2009-01-01から1年間の記事一覧
青空文庫へ登録しない状態で続けてゐた徳永直『光をかかぐる人々』続編あおぞラボ作業なんだども、河出書房版の「前篇」に続き、しだひろしさんが校正を進めてくださってゐる。 http://d.hatena.ne.jp/HikariwokakaguruHitobito/ 掲載誌『世界文化』または徳…
間宮武『六頭目の馬――間宮茂輔の生涯』(1994、武蔵野書房)ば借覧。 健康上の問題で軍人はあきらめるが実業家にさせようといふ父の期待に背き、文学をやるために慶応の予科を中退。鉱山に職を得るが、あるきっかけで山を降ろされて灯台守となり、島の生活の行…
過日「徳永直知人のS司書と徳永がS17に通ったS子爵邸のS文庫」へのコメントにて森洋介さんからご教示いただいた、野村純一「思想としての口承文芸研究――関敬吾先生を巡って」(『口承文藝研究』30、2007)の複写が、国会図書館から届いた。 昔話の研究におい…
『本が書かれると、著者は其の作物、即ち原稿を印刷屋に送る。印刷屋はそれを活字にして、本を作りたいと思ふ数だけ複製する。 『端の方にアルフアベツトの文字を浮き彫りに刻んだ、短い綺麗な金属の棒を想像してごらん、或る棒の端にはaといふ文字があり、…
『それで、紙は何で出来るか分りましたが、今度は、どうして本を造るのか、それを知りたいものですね。』とジユウルが云ひました。 『僕は一日中でもお話を聞きます。お話ときたら僕、独楽も兵隊も皆んな忘れて了ふんです。』とエミルが合槌を打ちました。 …
アムブロアジヌお婆さんはクレエルを呼びました。お友達が六ケしい刺繍の刺し方を聞きに来たのです。ジユウルやエミルの頼みで、それには構はずに、ポオル叔父さんは話しつゞけました。叔父さんはジユウルがきつとあとで姉さんに其の話をして聞かすだらうと…
前回(12/24)の続き。 広津和郎『続年月のあしおと』(講談社学芸文庫版「下」:asin:4061976575)第70項「徳永直」の冒頭は、間宮茂輔の豪徳寺人脈の裏付け証言から始まる。 その頃、世田谷の私の家の近くには、文学者たちが大分住んでいた。豪徳寺の森の西側…
さて、前回(12月23日)に引き続き『文化評論』の間宮茂輔連載についてのメモ。今回は1970年8月号「声なき時代の文学(七)」より。 徳永はまた追求心のさかんな点でも舌を巻くほどであった。活字の歴史を調べて書いた長篇「光をかかぐる人々」にはもはや触れな…
筑摩書房の『現代日本文學大系』第59巻の月報に、間宮茂輔が「徳永直の孤独な抵抗」といふ評を書いてゐる。 徳永直の文学についてはすでに多くの論述がなされ、評価もいちおう定ったかのように見えていた。そのような徳永の生涯とその作品が七〇年代のいま改…
そんなわけで(12月1日、18日、19日)、鶴見太郎『橋浦泰雄伝』(asin:4794964307)と、橋浦泰雄『五塵録』(1982、創樹社)ば借覧。 鶴見『橋浦泰雄伝』第二部「橋浦泰雄の民俗学」7「『民間伝承』の世界」中に、関敬吾との接点が書かれてゐる。 153-157頁に記さ…
山田吉彦・林達夫訳『完訳ファーブル昆虫記』第九巻(asin:4000039997)第十二節「こがねぐも類――所有権」の第一段落は12月20日付の記事さ記した通り。続く第二段落の最初の文まで記しておいたわけなんだども、その第二段落全体は、かう書かれてゐる。 思想を…
徳永直は、昭和十六年の『グウテンベルグその他』さ、かう書いてゐる。 活字の發明者グウテンベルグといふ人の名前は、少しまへに中野重治が何かに書いた文章で承知してゐたが、グウテンベルグが十五世紀中葉の人であり、印刷術がドイツに始まり、フランスか…
前回、12月18日付の記事へのコメントで森洋介さんからお教えいただいた『日本近代文学大系45 柳田国男集』の月報、最初の執筆者が岡野他家夫で、冒頭にかう書いてあった。 柳田国男先生の風格に僕は、温厚な英国型紳士の映像と、該博な学者の実態を見た、と…
以下、来春書かれる予定の未来日記、兼12月1日付の記事さogwataさんから頂戴したコメントへの返信。 …… 徳永直がサミュエル・ダイアの事跡を発見する手助けをすることとなった、東大図書館で「司書をしている知人のS氏」が澁川驍であるのか否か。 丸善が支那…
本日もseesaaの「あをぞラボ2.0號館366号室」へ、新しい記事を載せた。 徳永直『グウテンベルグその他』(『文学者』3巻2号) これもまた、木村一信『「光をかかぐる人々」序説――創作経緯とモチーフを中心に――』において、徳永が『光をかかぐる人々』を執筆す…
香港の海外基督使團が2008年9月に『雖至於死――台約爾傳††Even to Death - The Life and Legacy of Samuel Dyer』といふサミュエル・ダイアの伝記を出版してゐる。 http://www.omf.org.hk/resshow.php?id=100ネット書店に注文してみたんだども、当方のISPで迷…
ひさびさにseesaaの「あをぞラボ2.0號館366号室」へ、新しい記事を載せた。 徳永直『日本文化史展を見る』(『文学者』2巻7号) これは、矢部貞治が見に行く一週間ほど前に朝日新聞主宰の皇紀二千六百年記念「日本文化史展」を見に出かけた徳永の感想記で、木…
芝野耕司編『JIS漢字字典』(asin:4542201279)の本文を開くと、最初の見開きに、かうした文字群が掲げられてゐる。 「〆」「々」「ヶ」などが態々冒頭に掲げてあるのは、『JIS漢字字典』が第一に想定する読者像である『パーソナルコンピュータ、ワードプロセ…
徳永直がSamuel Dyerの事跡について初めて公の場に書いたのは、昭和十八年十月十一日付の東京新聞「下燈」欄であるやうだ。 「鉛活字の最初」と題して徳永はかう書いてゐる。 いま丸|善《ぜん》で再刻《さいこく》頒布《はんぷ》中の英《えい》字本「支|那…
坪谷善四郎『大橋佐平翁伝』ば眺めてゐて、郷里で出版を始めたころに出した北越雑誌について、かう書かれてゐた(五二−五三頁)。 翁はまたその頃独力で、毎月三回発行の北越雑誌というを発刊せしが、その体裁は東京において、その頃好評の花月新誌に倣い、唐…
徳永直『光をかかぐる人々』の続編、青空文庫への登録をしないまま『世界文化』連載分の入力を終へたところ、第一節から三節の校正を、「前編」に引き続きしださんが手がけてくださった。ありがたうござる。 今回校正して戴いたあたりに記されてゐる、三代木…
澁川驍『書庫のキャレル』所収の「戦時下の東京大学図書館」に、東京大空襲の翌日に上林暁が火事見舞いに訪れたエピソードが書かれてゐる。 その翌日、私が夕方近く階段を下りてくると地下の入口で宿直室の場所を尋ねている人があった。聞き覚えのある声だと…
本日公開分が、徳永直『光をかかぐる人々』続編、『世界文化』連載分の、最後の節になる。 http://d.hatena.ne.jp/HikariwokakaguruHitobito/ 末尾は次の通り。 「――記録がのこつていないけれど、昌造翁が、門人を上海にやつたというのは、ほんとか知れませ…
Wikipedia英語版におけるSamuel Dyerの項目で、参考文献に挙げられてゐるものの一つに、クアラルンプールのマラヤ大学図書館ライブラリアン Ibrahim bin Ismail による「Samuel Dyer and His Contributions to Chinese Typography」(『The Library Quarterly…
矢部貞治日記、銀杏の巻より。 五月廿一日(火)晴 上野でやってゐる東京朝日新聞の「日本文化史展」がもう明日終るといふので一度是非一瞥して置きたいと考へ、今日は朝からそちらへ行く。凡ゆる部面でいゝものが出てゐた。中で中食を喰べ二時頃出て来た。 上…
昨日、大正十四年七月一日付の職員録中に見かけた森本謙蔵は、昭和五年当時の明治大学図書館司書長の森本謙蔵と同一人物か? http://www.lib.meiji.ac.jp/about/publication/toshonofu/oonoJ4.pdf http://www.lib.meiji.ac.jp/about/publication/toshonofu/uk…
それらしい資料が言及しあってゐる印刷物は見終へたやうなので、国立公文書館アジア歴史資料センターの公開資料、職員録を眺める。 例へば山田珠樹が東京帝国大学附属図書館の司書官となってすぐに出された、大正十四年七月一日付の職員録を見ると、館長・姉…
かかりつけの歯医者が勤労感謝の日を休日診療日に設定してくれていたので、治療に出かけた。宮部みゆき責任編集の『松本清張傑作短編コレクション 上』(asin:4167106949)を持参し、受付での待ち時間に、『或る『小倉日記』伝』、麻酔の待ち時間に『削除の復…
徳永直を書庫に誘ひ、サミュエル・ダイアの記事を載せた支那叢報の存在を探し出してみせた、「本郷の大學圖書館」の「司書をしている知人のS氏」 http://d.hatena.ne.jp/HikariwokakaguruHitobito/20091103 ――について、詮索してゐる。試みに「東大 司書」…
昭和五十五年十一月に発行された庄司浅水『愛書六十五年』中の「文化産業の地」(pp.144-146)に、かうあった。 発展に次ぐ発展をつづけた博文館印刷所(いちじ十大雑誌を擁《よう》し、雑誌王国を誇っていた講談社の発行する九大雑誌の印刷・製本を一手に引き…