日本語練習虫

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ファーブルが昆虫記に書いた「思想の産物」の「所有権」

山田吉彦林達夫訳『完訳ファーブル昆虫記』第九巻(asin:4000039997)第十二節「こがねぐも類――所有権」の第一段落は12月20日付の記事さ記した通り。続く第二段落の最初の文まで記しておいたわけなんだども、その第二段落全体は、かう書かれてゐる。

思想を集める者の仕事はこれよりずっと上だ。彼は別種のくも[♯「くも」に傍点]の網とも言える書物を編み、その思想で我々を教え、我々を感動させ得るものを作るのだ。我々人間の間では犬のこの骨に類するものを保護するのに、特にこの目的のために案出された憲兵を持っている。書物を保護するためには、我々は笑い物の手段しか持っていない。漆喰で幾つかの石を一つずつ積み上げる。すると法律はこの壁を保護してくれる。ペンで我々の思索の建物を建築してみる。すると大した障害もなく、各人はそこの切石をとり出し、気が向けば全体を自分のものにすることもたやすく出来る。兎の穴は所有物で、思索の産物はそうではない。もし動物が他人の財産に手出をする悪いくせを持っているとすれば、我々人間もまた同じ悪癖を持っている。

さういふわけで、生没年不明の安谷寛一訳を長々と掲げることにはためらいがあった己なんだども――1896年9月27日生、1987年10月3日歿と判明したわけなんだども――、中野重治が『空想家とシナリオ』で引用した、本に対するファーブルの見解が『科学の不思議』にあり関東大震災の年に殺された大杉栄伊藤野枝の共訳で読めると判ったので、大杉・伊藤訳を後日掲げることにする。
実は大杉・伊藤訳の『科学の不思議』は青空文庫で『定本伊藤野枝全集』第四巻を底本として入力済みファイルになってる模様なんだども、全体を校正する余力が今の己に無いので、該当箇所のみ自分で入力して示すつもり。
ちなみに、『昆虫記』のオリジナル『Souvenirs entomologiques』は、1879年から1907年にかけて書き継がれたといふんだども、1800年代半ばにヨーロッパで二国間の国際著作権条約が幾つか結ばれ出し、ファーブルがこれを書き始める直前の1878年に漸くパリで国際著作権法学会(Association Littéraire et Artistique Internationale)が創設され、1886年ベルヌ条約が締結されるに至ってゐる。ただし1886年に調印したのは十箇国。
Copyrightに登録を必要とし、無方式主義のベルヌ条約に加盟しない海賊版大国であったアメリカが、国際著作権法を受けつけるのが1891年のことである。
思想の産物に所有権が無いとファーブルが書いてゐるのは、さうした時代を背景にしてゐると思った己。
書物を「くもの網」と言ってゐるのは、森洋介さんのコメントにあるやうに、スウィフト『書物戦争』を意識してゐたらしく思はれますね。