日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

大杉栄・伊藤野枝訳ファーブル『科学の不思議』一八「紙」

 アムブロアジヌお婆さんはクレエルを呼びました。お友達が六ケしい刺繍の刺し方を聞きに来たのです。ジユウルやエミルの頼みで、それには構はずに、ポオル叔父さんは話しつゞけました。叔父さんはジユウルがきつとあとで姉さんに其の話をして聞かすだらうと思つたのです。
『亜麻や麻や綿は、殊に此の最後の綿は、もつと大事なほかの役にも立つのだ。第一には我々の着物になる。が、それがボロ/\になつて役に立たなくなると、こんどは紙を造るのに使はれる。』
『紙!』とエミルが叫びました。
『紙だ。我々が字を書いたり本を造つたりする本当の紙だ。お前たちの手帳の白い紙や、本の紙や、値段の高い縁飾りのある沢山の絵の入つた紙でさへも、あのみすぼらしいボロから出来るのだ。
『ボロはいろんな所から集められる。町の汚物の中からも、又何んとも云はれない汚い所からも集められる。そのボロはこれは良い紙に、これは悪い紙にと、いろ/\に分けられる。そしてそれを綺麗に洗ふ。それから機械の方に廻されるのだ。鋏で切り、鉄の爪で裂き、車でバラ/\に切れ屑にし、そしてそれを臼に入れて挽《ひ》く。それから水の中で粉のやうにされて石鹸のやうなものにされて了ふ。此の石鹸の泡のやうなものは灰色だが、それをこんどは白くしなければならない。そこで激しい薬を使つて、それを忽《たちま》ちの間《うち》に雪のやうに白くする。それで泡はすつかり清められたのだ。すると別な機械が篩《ふるい》の上でそれを薄い板に引き伸ばして、水を搾りとつて了ふと、泡のやうな液体がフエルトになる。このフエルトを機械が圧して、別な機械がそれを乾かし、又別なのが艶を出させる。それでもう紙が出来るのだ。
『紙になる前には、此の最初の材料はボロだつた。即ちボロ/\になつて使へなくなつた布《きれ》だつたのだ。そして此の布は、ボロ屑になつて捨てられる迄には、どんなにいろんな用に使はれて、どんなにひどい目に合つたか分らないのだ。腐蝕性の灰で洗はれ、有酸石鹸に漬けられ、木の槌で叩かれ、太陽や空気や雨に曝されて来たのだ。かうして烈しい洗濯や石鹸や太陽や空気などに抵抗し、腐蝕されても疵がつかず、製紙機械や薬にも負けずに、以前よりももつとしなやかに且つ白くなつて、此の試練の中から出て来て、我々の思想を載せる美しい艶々した紙になる。此の材料は一体何にだらうか。これでお前たちは、智恵の進歩の源である此の紙が、棉の木の毛房や麻や亜麻の皮から取れるのだと云ふ事が分かつただらう。』
『クレエルはきつと其の美しい銀鈿《ぎんでん》の附いた祈祷書がぼろ[♯「ぼろ」に傍点]ハンカチや、道ばたの泥の中から拾ひ上げたぼろきれ[♯「ぼろきれ」に傍点]などで出来てゐるんだと云つて聞かしたら、びつくりしませうね。』とジユウルが云ひました。
『クレエルは紙の本質を知つたらよろこぶだらう。が、あの子はその祈祷書が、初めそんな卑しいものだと分つたところで、決してそれを卑しめるやうな事はしないと思ふよ。工業は賤しいボロを貴い思想を収めた本に変える奇跡を見せる。が、神様はまだ、それとは較べものにならない程の植物の奇跡を見せて下される。汚い糞の堆山《やま》も、地中に埋もれば薔薇や百合や其他いろんな花を咲かせる、世にも類ひのない貴い物となるのだ。我々人間も、此のクレエルの本や神様の花のやうにならなければならない。自分で自分の値打ちをつけるようにして、吾々の賤しい出所を恥ぢないようにならなければならない。人間にはたつた一つの本当のえらさ[♯「えらさ」に傍点]』と、たつた一つの本当の貴さがある。それは霊魂の偉大と貴さだ。若し吾々がそれを持つて居れば、吾々の素性の卑しいだけそれだけに、我々の値打ちは大きくなるのだ。』

底本:「定本伊藤野枝全集 第四巻」學藝書林(2000年12月15日初版、asin:4875170556)192-193頁