徳永直『光をかかぐる人々』の続編、青空文庫への登録をしないまま『世界文化』連載分の入力を終へたところ、第一節から三節の校正を、「前編」に引き続きしださんが手がけてくださった。ありがたうござる。
今回校正して戴いたあたりに記されてゐる、三代木村嘉平の遺品を尋ねて鹿児島へ出かけたりする話について、徳永は、『科学の友』二巻三号と四号(昭和二十一年三月・四月)さ、「嘉平の活字」と題して『世界文化』昭和二十三年十一月号・十二月号に掲載した部分を発表してゐる。細かい表現は後に書き改められるんだども、段落の数や順序など話の運びは『世界文化』連載分とほぼ同じ形に整へられた状態で、記されてゐる。

己が古書店で入手した四月号の中には、一箇所、主人公が「五郎」と記されてゐるところがある。
これ以上はとりつく島もない。それにいつまでも老人と青年を立ン坊させておくわけにゆかなかつたので、五郎は禮をのべて嘉平遺品を以前の場所にもどしてもらつたが、まだ心殘りと不安がたくさんあつた。
他の部分はすべて、一人称の「私」で書き進められてゐる。
この「嘉平の活字」に関する節が戦中に書き進められてゐて、伊藤整の“得能五郎”に倣って私であって私でない、さういふスタイルで語らうと考えてゐたものだったりするんぢゃないかと思った己。
それはともかく。
徳永は同時に『科学と芸術』創刊号(昭和二十一年四月)さ、「上海へ」と題して、『世界文化』昭和二十四年一月号に掲載した七、八、九、十、十一節に相当する部分を発表してゐる。S司書に伴はれて探検した東大図書館の書庫で支那叢報と出会ひ、Samuel Dyerの『A Selection of three thousand Characters being the most lmportant in the Chinese Language』を発見するところまで、細かい表現は後に推敲されてゐるんだども、段落の数や順序など話の運びは『世界文化』連載分とほぼ同じ形に整へられた状態で、記されてゐる。
サミュエル・ダイアの業績について、おそらく世界で最も早く(再)評価した徳永の、1946年の作品である。