日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

朝日堂活版製造所の朝日印ピンマークと㊹ピンマークが同じ面に刻印された初号フェイス42ptボディ活字

過日、大阪朝日堂活版製造所が鋳造した初号丸ゴシックフェイスで42ptボディの活字を入手しました。「秀英初号明朝フェイスの秀英舎(製文堂)製初号ボディ活字と42ptボディ活字」と同じ計り方で、縦3か所の平均が14.780mm(42.059pt)、横3か所の平均が14.743mm(41.956pt)。

青山進行堂のピンマーク入り初号丸ゴシックフェイス・推定築地初号ボディの漢数字「三」4本および青山進行堂のピンマーク入り初号丸ゴシックフェイス・推定42ptボディの漢数字「三」1本の計5本と同時に使われていたらしき活字セットの一部だったものです(青山進行堂が鋳造したの初号フェイス活字の実測寸法については「初号フェイスの大阪青山進行堂製初号ボディ活字・42ptボディ活字・15mmボディ活字」https://uakira.hateblo.jp/entry/2024/04/07/232401

大阪朝日堂活版製造所製ピンマーク入り初号フェイス活字(斜め方向)
大阪朝日堂活版製造所製ピンマーク入り初号フェイス活字(ピンマーク正面方向)

朝日堂活版製造所とその商標

大阪市東成区にあった大西貞三の朝日堂活版製造所。『日本商工録 昭和8年度』によると創業明治40年で、「活字製造並ニ各種印刷材料」を手がけていたようです(『日本商工録 昭和8年度』での屋号は「朝日堂」https://dl.ndl.go.jp/pid/1034250/1/17。『大日本帝国商工信用録 昭和7年阪神版』では創業大正10年となっていますからhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1030370/1/218、大西貞三が活字商売を始めたのが明治40年で何らかの形態で法人化したのが大正10年ということになるのでしょうか。

大日本帝国商工信用録 昭和7年阪神版』には、朝日をイメージしたシンプルな商標が掲載されています。

大日本帝国商工信用録 昭和7年阪神版』掲載商標

昭和14年7月26日付『官報』で昭和14年3月24日付での設立が公告された京阪神活字製造工業組合は、理事に青山督太郎、森川健市、岡本萬三、岩橋宗次郎、満田利一が名を連ねており、監事として田村由松と大西貞三の名がありますhttps://dl.ndl.go.jp/pid/2960260/1/42。4か月後の7月19日に理事と監事に改選があり、理事は森川健一、岩橋宗次郎、満田利一、岡本悦蔵、寺島福蔵、法兼磯吉の6名、監事が大西貞三、今井彦兵衛の2名となっています(10月12日付『官報』https://dl.ndl.go.jp/pid/2960327/1/33。森川健市「活版製造業のいまむかし(後半)」(『月刊印刷時報』 370号〈1975・3〉)に上げられている「昭和14年西日本活字工業組合員名簿」によると大阪市内の活字製造所が22軒、京都市3軒、兵庫県12件(うち神戸市8件)となっておりhttps://dl.ndl.go.jp/pid/11434833/1/60、また『名古屋印刷史』が記す昭和12年全国活字業者第一回大会の各地代表の中にも大西の名が見えていますからhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1115630/1/192、朝日堂は中堅あるいは大手と言ってよい存在だったのでしょう。

『関西模範産業大鑑 昭和10年版』を見ると朝日堂活版製造所の商標は上半分に下弦の旭日、下半分が所主である「大西」という図になっているのですがhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1232775/1/128、『全国印刷材料業者総攬』に掲載された大きく鮮明な図版だと「大西」の「大」の字に配している立体が実は活字を模していて、「下弦の旭日」がピンマーク風にあしらわれていますhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1234542/1/23

左(白黒)『関西模範産業大鑑 昭和10年版』掲載商標/右(赤)『全国印刷材料業者総攬』掲載商標、国会図書館デジタルコレクションより

この『全国印刷材料業者総攬』掲載広告では活字を模したイラストも示されているのですが、残念ながら(秀英舎製文堂の「S」マークなどどは違って)ピンマークの記載はなく、単なる平面として処理されています。

『全国印刷材料業者総攬』掲載朝日堂活版製造所広告(国会図書館デジタルコレクションより)

㊹というピンマークについて

2023年1月21日に開催された印刷博物館のオンラインイベント「活字のブランド PIN MARK」の内容が、『印刷博物館ニュース vol.85』の特集2として記録されていますhttps://www.printing-museum.org/etc/pnews/08501.php。PDF版の図1に並べられているピンマーク入り活字の2段目に2つのマークが刻印された活字が見え、文字面側に製造元を示す「SB Co」(Stephenson and Blake社)のマーク、そして足側に活字サイズを示す「㊽」(48 american point)のマークがあると判ります。

日本で鋳造された活字で、このように製造元マークと活字サイズマークの2つが刻印された例が他にあったのかどうか、今は判りません。手元にある初号活字では、ピンマーク類未紹介のものも含め、この1本だけになります。

ところで、実測で42ptボディであるこの初号丸ゴシック活字に、なぜ「㊹」という44ptボディであることを示すようなピンマークが刻印されているのでしょうか。

明治31年10月14日付『官報』第4589号で告示された明治31年文部省告示第61号で「檢定出願ノ教科書圖書ノ文字印刷等ニ關シテハ明治三十二年四月一日以後左ノ標準ニ從フヘシ」として、検定教科書の活字サイズと文字組が定められましたhttps://dl.ndl.go.jp/pid/2947878/1/1。活字サイズについては、次のように定められています。

尋常小学校第一學年前半期用ノモノ 凡明朝活字初號(四十四ポイント)ノ大サ以上
尋常小学校第一學年後半期用ノモノ 同    一號(二十八ポイント)ノ大サ以上
尋常小学校第二學年以上用ノモノ 同    二號(二十二ポイント)ノ大サ以上
師範學校尋常中學校用ノモノ 同    四號(十四ポイント)ノ大サ以上

師範学校尋常中學校教科書用圖書中ニ用フル註解例題參照若クハ之ニ類スルモノハ凡明朝活字五號(十一ポイント)ヲ用フルコトヲ得

板倉雅宣『号数活字サイズの謎』(朗文堂、2004)は、明治19年(1886:アメリカン・ポイント・システムの発表)と昭和7年(1932:築地活版による「活字規格に就て一言申し上げます」の発表)を和文活字のボディ・サイズに関する転換点とし、この間の半世紀ほどの期間を、上記明治31年文部省告示第61号に見られるような少なくとも建前上は「初号活字=44pt」とされる時期であると見ています。

大阪朝日堂のこの「㊹」活字も、大阪でポイント活字が本格的に使われていくようになりつつあった明治44年(「20世紀初頭の大阪活版印刷所で日本とイギリスの印刷史が交錯していた話」https://uakira.hateblo.jp/entry/2023/04/30/113632から昭和7年頃までの間に鋳造されたもの、ということになるでしょうか。