「俳句がもっと楽しくなるポータルサイト」と銘打たれたウェブサイト「セクト・ポクリット」で2024年11月下旬に始まった新連載「ハイクノスガタ」第1回「子規と明治期の活字」でご参照頂いたおかげで、『書体のよこがお:時代と発想でよみとく書体ガイド』(グラフィック社、2023)の「築地体」「秀英体①」「弘道軒清朝体」「江川活版三号行書仮名」の章項もまた、「明治期の和文活字書体(書体史)というものをどういう具合に捉えていけばよいか」についてのスケッチのひとつであったなぁと気がつきました。「子規と明治期の活字」のような記事で横浜市歴史博物館「小宮山博史文庫◉仮名字形一覧」が活用されていることを知れて、我がことのようにうれしいです。
「ハイクノスガタ」は、字游工房の書体デザイナであり俳人である木内縉太さん(https://x.com/kinouchi9)、造本作家・造本探偵であり歌人・俳人である佐藤りえさん(https://x.com/sato_rie)、俳句とカリグラフィーと句具の後藤麻衣子さん(https://x.com/goma121)による輪番連載ということで、今後の展開がとても楽しみ。
日本新聞社が書籍印刷で混用していた五号仮名活字
「子規と明治期の活字」で取り上げられていた子規『獺祭書屋俳話』(明治26年5月20日印刷〈印刷者:日本新聞社・佐々木正綱〉、日本叢書、NDL:https://dl.ndl.go.jp/pid/992734)を国会図書館デジタルコレクションで見た感じでは、この時期の秀英舎と同様の「
明治26年以前に存在したベンダ固有の五号仮名活字には、美華書館のSmall Pica Japanese*2、築地活版(平野活版)の前期五号仮名*3、紙幣局の五号仮名*4、博聞社の五号仮名*5、印刷局の五号仮名*6、そして国文社の五号仮名*7がありました。『獺祭書屋俳話』では、このうち確かに紙幣局の五号と築地活版(平野活版)の前期五号が大きな部分を占めているものの、国文社の五号も含めた「
参考のため、東京・大阪の国文社が用いていた明朝五号の標準仮名見本を掲げておきます。
『獺祭書屋俳話』の他の頁をチラ見した感じでも、紙幣局の活字と築地活版の活字の混用を徐々に整理していく過程――どちらか一方に寄せていくか、「秀英五号」のようにブレンド型にしていくか――、とは異なるような気がしたので、日本新聞社が印刷したものを遡って幾つか見てみました。
陸羯南『行政時言』(明治24年9月29日印刷〈印刷者:日本新聞社・大橋鐵太郎〉、日本叢書、NDL:https://dl.ndl.go.jp/pid/783002/1/37)――印刷コンディションやマイクロフィルム化・デジタル画像化の際のノイズ等ではない、明らかに異なる活字が混用されています。
陸羯南『近時政論考』(明治24年6月3日印刷〈印刷者:日本新聞社・中村留吉〉、日本叢書、NDL:https://dl.ndl.go.jp/pid/783013/1/89)――印刷コンディションやマイクロフィルム化・デジタル画像化の際のノイズ等ではない、明らかに異なる活字が混用されています。
陸羯南『予算論』(明治23年12月9日印刷〈印刷者:松本秋齋〉、日本叢書、NDL:https://dl.ndl.go.jp/pid/800244/1/15)――本郷区湯島一丁目13番地の松本秋齋は明治10年頃から営業していた葆光社(葆光社活版所)の印刷者として明治21年からクレジットされるようになった人物です(https://dl.ndl.go.jp/pid/870200/1/317)。ひょっとすると松本守が本名であったかもしれません(https://dl.ndl.go.jp/pid/868689/1/39/https://dl.ndl.go.jp/pid/1498921/1/13)。葆光社松本秋齋が明治20年代に手掛けた印刷物を「近デジ」で調査した際のメモによると、限りなく「全て」に近い数が前期五号で印刷されており、本書の基本活字も前期五号です。
山本育太郎『日本外政私議』(明治22年8月12日印刷〈印刷者:日本新聞社・遠山英一〉、NDL:https://dl.ndl.go.jp/pid/785638/1/99)――印刷コンディションやマイクロフィルム化・デジタル画像化の際のノイズ等ではない、明らかに異なる活字が混用されています。また、個人的に注目している「き」以外に目印をつけませんが、紙幣局五号と国文社五号(≒印刷局五号)が多用されており、明治24年や26年の版面とはだいぶ異なるテクスチャーになっていることが一目瞭然かと思います。
以上はマイクロフィルムからデジタル化された不安定な画像なので、できれば原本によって再確認しておきたいところではあります。
『日本』紙と『国家経済会報告』に見える現時点では正体不明の五号仮名
さて、「子規と明治期の活字〈前編〉」(https://sectpoclit.com/artisanal-1z/)で示されている明治25年5月27日付『日本』に掲載された「かけはしの記」も同時期の秀英五号ではなく紙幣局五号と築地体前期五号を主として他の五号を含めた「
国会図書館デジタルコレクション中で比較的最近デジタル化・ウェブ資源化された良好な画像である『国家経済会報告』の明治23年11月「第一回」(https://dl.ndl.go.jp/pid/1477306/1/17)を見ると、明治22年『日本外政私議』の活字群から明治24年『近時政論考』の活字群への移行の途中である様子が記録されています。
『国家経済会報告』「第一回」の画像によって改めて字形が詳細に観察できるようになった気になる「き」(10頁下方:https://dl.ndl.go.jp/pid/1477306/1/8「米茶の如き」「毛布帛の如き」)、どういう活字書体なのか、いつか判明する時が来て欲しいと願っています。
秀英舎が明治20年代前半に混用していた五号仮名活字
片塩二朗『秀英体研究』(大日本印刷、2004)で明らかにされたように(第7章「秀英舎と築地活版所 見本帳別の考察」のうち五号活字の節〔522-531頁〕)、秀英舎の五号活字は、明治22年発行の総数見本と明治29年発行の総合見本で初期の姿を見ることができ、この期間に若干手が入っているようです。
十数年前に採りためていた「近デジ」メモから、秀英舎が明治20年代前半に本文を漢字ひらがな交じりの五号明朝で刷っている資料を拾い出してみましょう。
- 染崎延房,・条野伝平『近世紀聞 2版』(明治20年8月〈東京秀英舎印行〉、NDL:https://dl.ndl.go.jp/pid/880854/1/428)――ブレンド型
- 島田三郎『開国始末 : 井伊掃部頭直弼伝』(明治21年3月8日印刷〈印刷者:秀英舎・佐久間司馬介〉、NDL:https://dl.ndl.go.jp/pid/993474/1/406)――ブレンド型
- 『市制町村制及理由』(明治21年4月8日印刷〈印刷者:秀英舎・嶋連太郎〉、NDL:https://dl.ndl.go.jp/pid/789754/1/88)――ブレンド型
- 高田早苗『租税論』(明治21年6月25日印刷〈印刷者:秀英舎・根岸高光〉、NDL:https://dl.ndl.go.jp/pid/799971/1/165)――ブレンド型
- 森本介石『学生の錦嚢』(明治21年7月7日印刷〈印刷者:秀英舎・嶋連太郎〉、NDL:https://dl.ndl.go.jp/pid/813456/1/27)――ブレンド型
- 米国婦人矯風会印刷会社 『婦人言論の自由』(明治21年7月28日印刷〈印刷者:秀英舎・嶋連太郎〉、NDL:https://dl.ndl.go.jp/pid/798991/1/25)――ブレンド型
- 横井小楠『小楠遺稿』(明治22年1月17日印刷〈印刷者:秀英舎・宮地久彦〉、NDL:https://dl.ndl.go.jp/pid/893945/1/314)――ブレンド型に近いが一部に「
乱雑混植 」あり - ユーゴー『探偵ユーベル』(明治22年6月15日印刷〈印刷者:秀英舎・嶋連太郎〉、NDL:https://dl.ndl.go.jp/pid/896690/1/45)――ブレンド型
- 石橋忍月『露子姫』(明治22年11月20日印刷〈印刷者:秀英舎・宮地久彦〉、NDL:https://dl.ndl.go.jp/pid/887332/1/102)――ブレンド型
- 尾崎紅葉『初時雨』(明治22年12月9日印刷〈印刷者:秀英舎・根岸高光〉、NDL:https://dl.ndl.go.jp/pid/887795/1/56)――ブレンド型
- 石橋思案『京かのこ』(明治23年2月17日印刷〈印刷者:秀英舎・根岸高光〉、NDL:https://dl.ndl.go.jp/pid/886054/1/65)――ブレンド型
- 宮崎湖処子『帰省』(明治23年6月24日印刷〈印刷者:秀英舎・宮地久彦〉、NDL:https://dl.ndl.go.jp/pid/872272/1/80)――ブレンド型
- 嵐月山人『桜と鵑』(明治23年6月26日印刷〈印刷者:秀英舎・島連太郎〉、NDL:https://dl.ndl.go.jp/pid/886496/1/72)――ブレンド型
- 大森惟中『秀郷勲功記』(明治24年4月22日印刷〈印刷所:秀英舎〉、NDL:https://dl.ndl.go.jp/pid/877358/1/9)――ブレンド型
- 広津柳浪『絵姿』(明治24年9月22日印刷〈印刷所:秀英舎〉、NDL:https://dl.ndl.go.jp/pid/885557/1/65)――ブレンド型
- パンゼー『闇路の灯』(明治24年11月1日印刷〈印刷者:秀英舎・島連太郎〉、NDL:https://dl.ndl.go.jp/pid/876676/1/162)――ブレンド型
今回各資料を見返して「
ちなみに私は、ブレンド型としての前期秀英五号を考える際、紙幣局五号と築地体前期五号に加えて印刷局五号・国文社五号との関係も比較検討が必要だと思っているのですが、これはまた別の話。
*1:「
*2:美華書館のSmall Pica Japaneseの姿は、宮坂弥代生「近代日本の印刷業誕生前史 ガンブルの講習と二つのミッションプレス」(『書物学』15巻〔勉誠出版、2019、https://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&products_id=101002〕)に掲載されている活字見本で確認できます。『聚珍録』刊行の頃にはまだ宮坂氏の調査が知られておらず、「本木-平野五号仮名第一次型」であるものと扱われていました。
*3:築地体前期五号仮名の姿は、明治10年刊『Book of Specimens』(平野ホール蔵、影印を片塩二朗『富二 奔る』〔朗文堂『ヴィネット08』、2002〕にて参照可能)、明治12年刊『Book of Specimens』(印刷図書館蔵、Za307、影印を板倉雅宣『和様ひらかな活字』〔朗文堂『ヴィネット03』、2002〕にて参照可能)、明治27年刊『五号明朝活字書体見本 全』(横浜市歴史博物館小宮山博史文庫蔵、仮名字形一覧 https://www.rekihaku.city.yokohama.jp/katsuji/jikei/data_katsuji/002018940/ にて参照可能)等が知られています。
*4:紙幣局五号仮名の姿は、明治10年発行の大蔵省紙幣局活版部『活版見本』(印刷図書館蔵、ZZ001)に掲載されており、影印を板倉雅宣『和様ひらかな活字』(前掲)や片塩二朗『秀英体研究』(大日本印刷、2004)、府川充男『聚珍録』第三篇(三省堂、2005)で参照可能。
*5:博聞社五号仮名の活字見本類は確認されていません。「博聞社『西洋礼式』序文と見出し四号本文五号」(https://uakira.hateblo.jp/entry/20111107)を手掛かりにしてください。
*6:印刷局五号仮名は、明治18年発行の『活字紋様見本』に掲載されている見本を国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能で(https://dl.ndl.go.jp/pid/853858/1/12)、影印を府川充男『聚珍録』第三篇(前掲)で参照可能。また印刷図書館蔵本(Za293)の影印を板倉雅宣『和様ひらかな活字』(前掲)で参照可能。
*7:国文社五号仮名は、大阪国文社名義で明治20年に発行された『活版花形見本』(印刷図書館蔵、ZZ004)に掲載されており、府川充男『聚珍録』第三篇298-299頁と板倉雅宣『和様ひらかな活字』(前掲)に「楷書五号」影印が掲出されています。我々の文脈では、少なくとも『聚珍録』では大阪国文社『活版花形見本』25-26丁の(明朝)五号活字總數目録が掲出されるべきでした。
*8:明治30年代末すなわち「秀英舎(製文堂)の五号平仮名が前期築地型に切り替はる時期」(https://uakira.hateblo.jp/entry/20050504)