旧twitterがXになり、「モーメント(Moments)」機能でまとめたメモの閲覧もできなくなってしまったのが自分にとって想像以上に不便である――twilogのキーワード検索では「流れ」や「塊」がうまく拾い出せなかったりする――ので、標記モーメント(https://x.com/i/events/818094082920546306)を2017年1月の吹囀履歴から再構成してみました:
〈草創期の海軍きっての能書家だった〉という伊藤雋吉は「しゅんきち」https://t.co/8a9SlRU7DU だろうか、「としよし」https://t.co/CP6C8r1gH7 だろうか。
— UCHIDA Akira (@uakira2) January 8, 2017
第六管区海上保安本部が〈船名番号等表示要領〉に「大正、昭和時代に宮内庁で侍従を務められた広幡氏」http://kaiho.mlit.go.jp/06kanku/news/press/press.pdf/24-12-04.pdf
と書いてる人物、広幡忠隆 https://reichsarchiv.jp/%E5%AE%B6%E7%B3%BB%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88/%E5%BA%83%E5%B9%A1%E5%AE%B6%EF%BC%88%E6%B8%85%E8%8F%AF%E5%AE%B6%EF%BC%89
とは異なる平行世界の広幡氏?(或は宮内庁侍従で別の広幡氏が?)
https://x.com/uakira2/status/818009751481122816
『海軍制度沿革』中「艦艇名文字書体に関する件」に触れられているのは巻8の僅かな箇所(第三第七節の一部)http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1886716/192 のみである模様。例の仮名書体の原図は無い。「艦船造修試験検査規則第60条」を探さねば。「艦艇名文字書体に関する件」
問題の「艦船造修試験検査規則第60条」は、同じ『海軍制度沿革』巻8の第三章第一節に収録されている明治37年7月2日付のもの(達106)http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1886716/98 が初出だった。掲示場所と文字色に関する規定はあるけれど、書体の見本は無い。「艦船造修試験検査規則第60条」
艦船名を掲示する場所と色に関しては、明治31年「艦船造修試験検査規則」第53条で既に規定されているようだ。http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1886716/90
https://x.com/uakira2/status/818065329293172736
更に遡って、明治27年「艦船造修試験検査規則」第54条にも艦船名に関して「軍艦名は平仮名水雷艇及船名は漢字を以て艦船尾に附著すべし其書体及寸法は鎮守府司令長官之を定め海軍大臣の認可を受くべし」との規定がある。http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1886716/84
https://x.com/uakira2/status/818066605615652864
明治31年の規則53条「軍艦名及水雷艇名は平仮名船名は漢字」「軍艦名の文字は金色」に合致するから、横須賀に係留されている「みかさ」http://judas.air-nifty.com/ikusabune/2005/08/post_0a7b.html は、やはり《ほぼ日本海海戦時(明治38年 1905)のまま》ということだろうか。
https://x.com/uakira2/status/818067742548893697
ともあれ、明治27年の「艦船造修試験検査規則」第54条によって艦船尾記載の名称表示に使う文字の「ひながた」整備が必要になったのだとすると、「原字を伊藤中将が揮毫した」https://x.com/fuyuzuki601/status/816965712883236864 というのは時期的に(「宮内庁侍従の広幡氏」よりも)信憑性が高い。
https://x.com/uakira2/status/818087844820357121
明治20年代に作られた(書かれた)「四角い枠に収まるような整った極太の平仮名(の雛型)」の一つに、明治21年刊『新撰讃美歌』に使われた日本で最初の「和文アンチック形」活字 http://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&products_id=3218 があり、これが「艦船名の仮名」と同系統の書風。明治21年刊『新撰讃美歌』
そして推定明治29年発行の秀英舎製文堂『活版見本帖 未完』の「太字仮名」(『秀英体研究』235頁掲載)もまた、この築地活版による最初期和文アンチック活字や、先ほどの「船名書体」と同系統の書風。秀英舎製文堂『活版見本帖 未完』の「太字仮名」(『秀英体研究』235頁掲載)
「菱湖風」が当時の「いろは仮名」手本の主流であったように、《その流儀で普通に書くとこの「太仮名」になる》というような書家があったのだろうか。アンチゴチに関係することなら何でも知りたい自分、とても知りたい。
https://x.com/uakira2/status/818093924161982467
以上、2017年1月作成の故twitterモーメント《艦艇名標や「アンチック活字」の元になった明治20年代の太字の書家について知りたい》でした。
以下2025年5月の短信:
『創業百年の長崎造船所』(三菱造船、1957)307頁コラム「艦船の命名」に「艦船の名は平仮名で艦尾に記されるが,文字の原形は故伊藤雋吉男爵の揮毫で,艦政本部に保管してあった.終戦後もその資料は保管され,海上保安庁の巡視船などに使われた」とあるのを発見(https://t.co/g7euJb2WfN)。
— UCHIDA Akira (@uakira2) May 26, 2025
以下、今回の故twitterモーメント再構築にあたり追記:
「近デジ」ローラー作戦を継続していた2005年の暮れに明治21年版『新撰讃美歌』に出会い、その重要性を伝えるべく「聖アンチック体」という記事(https://uakira.hateblo.jp/entry/20060217)でお知らせして以降、考えてみれば私製「仮名見本」の姿を提示していなかったと気がつきました。
2005-2006年当時はウェブ資源化されておらず、2011年になって高画質でデジタル化された国会図書館蔵『新撰讃美歌』(明治21年版:https://dl.ndl.go.jp/pid/1919179)に基づく、築地活版が手掛けた最初期和文アンチックひらがな活字の私製見本を掲げておきます。



















