はじめに
先日、五号活字を主体とする、文選箱およそ2箱分の古い活字を入手しました。縞木綿の包みを開くと、おそらく当初の姿を保っているのであろう文選箱1つ(主にひらがな活字)と、三分の一程度が崩れてしまったらしき文選箱1つ(主に漢字活字)、そして後者の文選箱から崩れ出たものと思しき活字が古新聞にくるまれた状態で出てきました。
これは「初荷品につき入手した状態で」とされていた通りの姿であり、1箱分の一部が崩れていること等は承知していました。
入手の決め手は2つ。まず何といっても大きかったのは、いわゆる築地体後期五号仮名に見える活字と前期五号仮名に見える活字が数多く含まれていたことです。このサイズの明朝活字で、ベントン以前のものなど、本当に存在していいのか?!という感じです。もし、1本でもオリジナルのピンマーク入り活字が含まれていたら……
そしてもうひとつの決め手。当初からの緩衝材である可能性が高そうに見える古新聞に日付の情報があれば、当該活字の鋳造時期を想定するなどの手がかりになり得ます。少なくとも、「製作後100年を超えたもの」であるかどうかの判断基準にはなるでしょう*1。
実際のところ、どれくらい古い活字なのでしょうか。
もしも築地体前期五号仮名に見える活字が築地活版オリジナルであれば
仮に「西磐井活字」と名づける理由
文選箱の外に崩れ出た活字の緩衝材となっていた古新聞を丁寧に広げてみると、
この活字群がひとつのコレクションとして成立したのが『巖手毎日新聞』販売地域においてであったと思われることと、今回、その当時西磐井郡だった地域からインターネット経由で入手したものであること、――以上2点から、当該活字コレクションを仮に「西磐井活字」と呼ぶことにしておきます。
広げた新聞をよく見ると、文選箱の底面になっていたのであろう折り癖が残っているところがありました。
また、ひらがなメインの文選箱に詰め物として使われていた部分を取り出してみたところ、発行日が年月日すべて揃っており、かつ箱外活字を覆っていた古紙につながる内容であったことが判りました。
この「西磐井活字」がひとつのコレクションとして成立したのが、今から117年前であること。これはおそらく確実です。
ひらがなメインの文選箱の端から100本をチェックしてみたら
内寸で2寸5分×5寸(約7.5cm×15cm)の標準的な文選箱の場合、五号活字なら20本×40行で800本ほどが収まります。
果たして、「西磐井活字」には無印ピンマークしか無いのか、何らかの商標が刻印されたピンマーク入り活字が含まれているのか。入手時の原状は何らかの指標によって整理分類された結果であるのかどうか――活字の向きもまちまちで、少なくとも仮名の書風も特に整理された状態には見えないのですが――。
端から20本ずつ、活字サイズを実測しながら合計100本をサンプリングしてみた際の驚きの一端を記したのが、先日の「築地五号仮名フェイスの築地五号ボディ活字を20本並べてデジタルノギスで計った寸法のメモ(5組測定の100本中1本は築地活版のピンマーク入り)」でした。
概ね「築地五号ボディ(約3.71mm角)」と考えてよいサイズだった「西磐井活字」のひらがな活字、最初の100本中1本に、東京築地活版製造所の商標ピンマークが刻印されていたことの驚きと喜び!!!
初号活字なら商標ピンマークが刻印されている活字が伝存していても不思議はなく、実際これまでにも入手していましたが*2、まさか五号活字が残されていたとは。そして手元に置いて観察する機会に恵まれるとは。
板倉雅宣『号数活字サイズの謎』(朗文堂「ヴィネット12」、2004 asin:4947613726)の裏表紙に、東京築地活版製造所のカタログ『活字と機械』(
衝動のまま「メモ」を公開し、一夜明け。
この最初の100本には、少なくとも3種類のネッキがあり、特に整理分類された様子がないことから、原状を保存する必要性は極めて薄いと判断しました。
が、その一方で。
せめて整理分類に至る経過をある程度記録しておかなきゃマズいんじゃないか。博物館の学芸員だったら――とりわけ印刷博物館であったなら――、どういう風にこの「西磐井活字」と向き合っただろうか。
――と、文化財を扱う責任の重さを改めて痛感したことから、このような記事を書き残すこととした次第です。
漢字メインの文選箱から活字を取り出してネッキ別ピンマーク別に分類整理
いったん仮名メインの文選箱を離れ、一部が崩れてしまっている漢字メインの文選箱を整理することにします。並びを整えて見なければ何とも言えませんが、こぼれている活字の数量は、漢字メインの文選箱にうまく収まるくらいの本数であるように思われます。
まずは漢字から順に、ネッキとピンマークで分類した活字を文選箱に収めていきます。続いて仮名活字を同様に。
文選箱の、ほぼちょうど4分の3となりました。
同じ要領で、箱外にこぼれていた活字を整理し戻してみます。
入手時点で漢字メインの文選箱に入っていた詰め物が、ちょうどいい塩梅に隙間を埋める状態になることが判りました。
ちなみに、こちらの詰め物は「巖手毎日」ではなく、古いノートの切れ端でした。
3本ネッキの仮説的分類
こうしていったん文選箱に収めた「西磐井活字」に見られた3本ネッキの活字は、少なくとも5種類、ひょっとすると6種類に分類できる
――分類しなければならない――ようでした。
3本ネッキの位置関係から、当時の鋳型では最大5本のネッキを設定できたように見受けられたことから、活字の足元から文字面に向かってネッキの特徴を表記してみることにします。
①「太細細・・」:築地型
②「太太太・・」:築地活文舎型
築地活文舎のピンマークについては、商標の形象がより鮮明に残されているものの速報「築地活文舎五号仮名フェイスの築地活文舎製築地五号ボディ活字(築地活文舎のピンマークと五号活字ネッキの覚書)」をご参照ください。
③「細・細・細」:未詳
④「・太細細・」:未詳(Aか?)
⑤(または⑤と⑥)「太太・・太」:少なくとも左側2本は江川活版か?
活字のネッキについて何かご存じの方がいらしたら、ぜひご教示くださいますよう、お願いします。
今後の整理方針をどうしたものか
現時点では当初の文選箱の方向性に従って、「漢字・仮名の別>ネッキの種類>ピンマークの種類」という階層によって整理してみつつあるところだったのですが。
こうして記事を書き進めてみて、「ネッキの種類>ピンマークの種類>漢字・仮名の別(>少なくとも仮名は文字種別に整列)」という階層に切り替えた方がtypefounder研究という観点からも好ましいのではないかという気がしてきたところです。
さてどうしたものか。
*2:「築地初号フェイスの東京築地活版製造所製初号ボディ活字・42ptボディ活字と15mmボディ規格による錯乱の跡」https://uakira.hateblo.jp/entry/2024/04/08/225523