2024年12月1日付で明治書院『日本語学』43巻4号(2024年冬号)が発行されました。「文字とデザイン」「ローマ字の規範」という2本立ての特集のうち、「文字とデザイン」特集に「明治の和文活字書体―― 一九世紀日本語印刷文字史の結実と二〇世紀日本語印刷文字史のはじまり――」という小文を書かせていただきました。
ここ20年ほど、「府川充男『聚珍録』の隙間を埋めていく」作業であったり「牧治三郎『京橋の印刷史』を訂正していく」作業であったり、そんなことを続けていて、小宮山博史『明朝活字 その起源と形成』(グラフィック社、2020)を経て改めて「明治期の和文活字書体(書体史)というものをどういう具合に捉えていけばよいか」についてのスケッチを繰り返していたわけですが――
- 「近代日本語活字・書体史研究上の話題」(『ユリイカ』2020年2月号)注釈リンク集(2020)
- 日本で活字という言葉はいつごろから使われているか、またそれはMovable Typeの訳語なのかどうか(2022)
- 『デザイン学研究特集号』30巻2号に「近代和文活字書体史・活字史から19世紀印刷文字史・グローバル活字史へ」という小文を書かせていただきました(2023)
――、これはその一番新しいものになります。
『日本語学』は明治書院のウェブサイトで、当該号(https://www.meijishoin.co.jp/book/b645441.html)やバックナンバーの「試し読み」が可能になっています。
ご高覧と御批正を頂戴出来れば幸いです。
備忘録。明治期に続く時期として私が捉えなおそうと試みている「二〇世紀日本語印刷文字史」の前半部分――大正から昭和戦前期の、ベントン以前の和文活字・書体史――は、①明朝・角ゴにおけるポイント活字の登場と展開、②新しい基本活字としての丸ゴ(「篆書」含む)、宋朝、正楷書等の登場、というのが大きな潮流になっていた、という具合にざっくりまとめちゃっていいような気はしているのですが。
ポイント活字の登場と展開について、『聚珍録』第三篇十三「初期ポイント活字の仮名」(695-716)の記述では食い足りないという個人的な動機によって、特に明らかにしておきたい特定ポイント活字の周辺も整理し直してみようと試みているのが、新聞活字史を中心とした和文ポイント活字史(メモ)なのでした。
- 新聞活字サイズの変遷史戦前編暫定版(2017-05-20)
- 東京築地活版製造所「昭和新刻7ポ75」(仮称)のこと(2019-02-01/下記『書物学』第21巻にてアップデートされています)
- 新聞活字サイズの変遷史大正中期編暫定版(2020-12-27)
- 大正中期の新聞における本文系ポイント活字書体の変遷(暫定版)(2022-09-25)
- 六号雑記(『書物学』第21巻「活字」に書かせていただいた〈「秀英電胎八ポ」書風と「築地新刻電胎八ポ」書風の活字について〉という記事の後書)(2022-12-01)
- 中央新聞が明治38年に本文活字として採用した東京築地活版製造所の9ポイント明朝活字(2024-05-02)
- 東京築地活版製造所の12ポイント明朝活字と写研の石井中明朝MM-A-OKS(2024-05-04)
- 函館毎日新聞と鹿児島新聞はいつごろ築地9ポイント明朝を本文活字に採用したか(2024-05-16)
- 秀英舎製文堂の六号仮名の変遷(2024-05-19)
- 夏目漱石『鶉籠 虞美人草』(縮刷版合本、春陽堂)は初版以降いつまで本文が「都式六号活字」で刷られていたのか製版者情報はいつまで掲載されていたか知りたい話(2024-05-19)
- 都式活字(都式新活字)の大きさを9ポイント7分5厘(9.75pt)ではなく9ポ半(9.5pt)相当と判断する理由(2024-05-29)
- 『都新聞』と同附録『都の華』に見える「都式活字」A型仮名とB型仮名、そして松藤善勝堂が1910年代に印刷した雑誌・書籍に見えるABブレンド型仮名(2024-06-08)
- 1920年代前半の新聞における本文系ポイント活字書体の変遷(暫定版)(2024-08-31)
- 「東京日日新聞」「大阪毎日新聞」と東京築地活版製造所の10ポ・9ポ半明朝活字(2024-09-04)
- 明治42年版『新聞名鑑』を手掛かりに築地初期ポイント活字の早期採用紙を探る―①ブランケット判の段数・字数と活字サイズ(2024-09-15)
- 明治42年版『新聞名鑑』を手掛かりに築地初期ポイント活字の早期採用紙を探る―②毎日電報の事例(2024-09-16)
- 「大阪毎日新聞」に見える東京築地活版製造所の9ポ・8ポ半明朝活字(2024-09-17)
- 早々と明治39年5月から築地9ポイント活字を用いた読売新聞は「字が小さすぎる」苦情への対応として築地10ポ・9ポ半明朝活字を採用せず明治42年正月から都式活字へ乗り換えるが…(2024-09-22)
- 読売新聞の本文活字は明治42年1月1日から大正6年2月末まで「都式活字」基調だが明治42年2月からは築地9ポ半が乱雑混植されていた(ので都式活字は9.5ポイントで間違いない)(2024-09-23)
- 明治42年版『新聞名鑑』を手掛かりに築地初期ポイント活字の早期採用紙を探る―③名古屋新聞の事例(2024-10-13)
- 読売より半年先に本文へ築地9ポを採用していた中央新聞は都式活字への切り替えも読売より半年近く早かったが予想外に早く都式から築地9ポ半に乗り換えていた模様(2024-10-14)
このあと少しばかり明治20年頃の五号活字に少し寄り道して、更に「西磐井活字」の件にいったん区切りをつけたら、改めて20世紀前半の本文活字史を考える上で欠かせない新聞活字史関連に戻ります。
それほど遠くない近未来に、7.5ポイントと7.0ポイントまでは追っかけてみるつもりです。