日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

江川活版製造所の五号行書仮名

江川活版製造所が発行した活字見本のうち、明治30年頃に発行されたものと推定される『新製花形電氣銅版見本』(印刷図書館蔵 Za403)には明朝の二号、四号、五号、六号、七号活字と、江川行書の二号、三号、五号活字、(築地体)二号太字仮名、そして「年賀文字」扱いと思われる明朝と江川行書の一号活字見本が掲載されています*1。この見本帖によって、江川活版が販売していた活字のうち明朝二号と五号の仮名が築地活版のもので四号と六号が印刷局のものだということが判るのですが、残念ながら『印刷雑誌』2巻9号(明治25年10月)に掲載された三号行書発売広告文中に使われている五号行書と同様https://dl.ndl.go.jp/pid/1498932/1/13、五号行書仮名の全体像を理解するには文字種がだいぶ不足している状態です。

青山進行堂は「明治二十八年十一月、青山氏は東京江川活版製造所と特約し、同所の創製せる行書體活字の母型製造に着手した、是れ氏が母型を製造して廣く活字を印刷業者に供給せる最初であつた」と言われていることから島屋政一『印刷文明史』第四巻〔印刷文明史刊行会、昭和8年〕2480ページ、NDL:https://dl.ndl.go.jp/pid/1821992/1/212、『富多無可思』64ページの「五号行書活字」は江川行書の五号仮名であろうと思われるのですが、一応検証してみたいところ。

青山進行堂『富多無可思』64ページ「五号行書活字」

――というわけで、明治二十年代末に江川行書を用いた書籍を盛んに刷っていた求光閣(堀越市太郎)が手掛けた鳳鳴散史『記事論説作文独稽古』(印刷:堀越市太郎〈明治28年2月4日〉、発行:求光閣〈明治28年2月9日〉、NDL:https://dl.ndl.go.jp/pid/864437を素材に、活字見本を私製してみることにしました。

江川行書の五号ひらがな
江川行書の五号カタカナ

『富多無可思』64ページの「五号行書活字」は江川行書の五号仮名の姿を(すべて?)記録した貴重な資料と言えそうです。

*1:江川活版製造所研究会「江川次之進の事績と江川活版製造所の変遷」(『タイポグラフィ学会誌07』2014年)