2010-01-01から1年間の記事一覧
徳永直に本木昌造伝を託した三谷幸吉。三谷の人物像については、片塩二朗『活字に憑かれた男たち』(asin:4947613483)が、神戸時代のことについて、かう記してゐる。 三谷の前半生の記録はなにものこっていません。海軍に徴用されたことのほか、家族にもかた…
先日(20100305)の記事さ、昭和十八年三月の“サンヤツ”広告に、かういふのがあると書いた。 徳永直 光をかかぐる人々 舶来第一を謳歌した文明開化の世、活字に心魂を砕き西洋心酔に憤激し、かの模倣にあきたらず日本独自の印刷技術の進歩向上に敢闘した先覚者…
先日(20100222)チラリと書いたんだども、昭和十八年十一月二十日付で初版が発行された徳永直『光をかかぐる人々』は、昭和十八年三月中旬に最初の“サンヤツ”新聞広告が各紙に打たれ、十八年十月・十一月に次の“サンヤツ”広告が各紙に出されてゐる。 『東京朝…
高見順や渋川驍らが学生時代からあれこれやってゐた同人誌のうち、あるものについて、「同人はみなプロレタリア作家同盟に屬してゐた」と高見が書いてゐるのを見かけた。 昭和三十六年十二月十五日から二十日にかけて読売新聞に連載された「青春放浪」(『高…
中野重治が獄中で愛読したといふ柳田国男の『雪国の春』。(旧)丸岡町民図書館の『中野重治文庫目録』によると、確かに、昭和三年二月に岡書院から刊行された『雪国の春』が、中野重治旧蔵書に含まれてゐる。 この『雪国の春』については、岡茂雄『本屋風情』…
先日(20100218)記した、『文化評論』1973年3月号所収の津田孝『徳永直論――「太陽のない街」前後のころ――』に記されてゐる、橋浦泰雄「初期の社会主義運動」の件なんだども。 日本近代文学館が所蔵する、日本共産党中央委員会宣伝教育文化部『読書の友』の複…
以前記した、『今井直一「活字書体と読み易さ」の時代背景』(20090710)に関連して。 昭和十四年六月の東京朝日新聞を見ると、『印刷術』を書いた元印刷局の工学博士で印刷学会の会長である矢野道也が「物質節約と技術の立場から」といふ副題で書いた「活字の…
かつて「ナップ以前に出版従業員組合において「文化人橋浦」と「労働者徳永」が出会ってゐたかもしれねぇ」と想像し、実際に橋浦泰雄が出版従業員組合創立総会で徳永直と会っていた模様であると知って、「S司書」候補の一人である関敬吾と徳永直が「つながっ…
徳永直の没後十五年を記念した小特集が組まれた『文化評論』1973年3月号に記された、津田孝『徳永直論――「太陽のない街」前後のころ――』なんだども。 関東大震災の前年に九州から上京してきて労働組合運動を含む印刷の現場に参入していった当時のことを徳永…
新刊書の棚を歩いてゐて目の端に入った、新谷雄彦・高橋昌昭『ひと目でわかる文字訂正・文字更正の実務』(asin:9784817838384)によって、文字の「校正」ではなく「更正」といふものがあることを知った。戸籍の処理に用ゐる作業概念であるらしい。 同じ日本加…
矢野啓介『プログラマのための文字コード技術入門』(asin:9784774141640)ばご恵贈いただき、拝読。ありがたうござる。 縁あって原稿段階で読ませていただいてゐたんだども、本のカタチになると、また感慨もひとしお。 どんな内容かといふのは、版元の新刊紹…
本日付で青空文庫本体での徳永直『光をかかぐる人々』公開が始まった。 http://www.aozora.gr.jp/cards/001308/card50066.html 昨年の1月末に入力を開始してから一年で公開にこぎつけたのは、偏に、校正してくださる方々に恵まれた故である。改めて深謝申し…
色々手抜きで、Windows XPのペイントで落書き。丸い輪郭の中さ眉・目・口だけ配置した基本の顔の、鼻のあたりから色々出してみる。 といふのは、小形さんのところに寄せられたyutanponさんのコメントば拝見して、思ふところがあったので。 まず、勾玉型とい…
改めて小形さんたちの提案にあった「冷笑」(SMIRKING FACE)ば眺めてみたんだども。 なんていふか、少なくともケータイ絵文字のコレに関する限り、みな、目を閉じてゐるか相当細めてゐるかして、口の端を曲げる(口を片頬に寄せる)絵柄だってことは、他人を見…
羽海野チカ『ハチミツとクローバー』の「鼻息」顔ば、ざっとふりかえると。 第3巻(asin:4088651073)33頁で、駅前スーパーとのクリスマス商戦を前に意気を高めるあゆちゃんとか、鼻息顔は色々あるんだども、「勝ち誇り」と言へるのは、次の1コマだけだらうと…
小形さんのブログで「Unicode顔文字提案」のための素材募集が行はれてゐるわけなんだども。 http://d.hatena.ne.jp/ogwata/20100207 下記、auの「勝ち誇り」顔の作者さんって、例へば1980年代後半〜90年代前半くらいの、何か具体的なマンガの表現をベースに…
今頃になって知ったんだども、goo地図では東京(23区?)に限り、昭和22年と38年の航空写真と現在の地図を重ね合はせる機能を持ってゐる。 早速昭和22年の豪徳寺を見てみた。 http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E139.39.1.874N35.38.43.971&ZM=8 広域を見…
己の見間違ひでなければ、HTML5の最新のeditor's draftは2010年2月4日付で直前のものは2009年8月25日付だと書かれてゐるんだども、一昨日の「最新版」は2010年1月31日付だった。 相変らずruby elementがspecに含まれてゐることについては編者に感謝を捧げた…
新日本出版社の『日本プロレタリア文学集』14巻から20巻、《「戦旗」「ナップ」作家集[1]-[7]》ば借覧。 文学集19巻=作家集6巻に渋川驍が収録されてゐて――そのこと自体が既に己には驚きだったんだども――、少なくとも《「戦旗」「ナップ」作家集[1]-[7]》の…
昭和十四年八月十一日から二十年四月二日まで書かれた『青野季吉日記』(1964、河出書房新社)によると、青野は五月七日に「日本文化史展」を見て「心悦ぶ」とひとこと感想を記してゐる。 あちこちの出版社主や編集者が何度も通ってゐる他、渡辺順三や村雲大樸…
渡辺順三『烈風の中を』(1971、東邦出版社)の中に、徳永直の第一印象のことが、かう記されてゐる。 私が徳永君とはじめて会ったのは、たしか昭和六年の夏であったと思う。私が池袋から世田谷の豪徳寺裏に移ったのがその年の四月で、それから少しおくれて徳永…
先日は標記の件について間宮茂輔「作家同盟の周辺にいて(三)――プロレタリア文学運動の回想――」(『文化評論』1969年12月号)に書かれてゐたものをメモしてみた己なんだども、渡辺順三『烈風の中を』(1971、東邦出版社)の中には、かうあった。 そのころのことで…
まだ徳永が存命で、壺井栄の妹との破局問題があれこれと騒がれてゐた頃に書かれた、橋本英吉「徳永直との三十年」(『新潮』1956年8月号)のコピーが国会図書館から届いた。 残念ながら、徳永と碁を打つ話などは出て来ないんだども、己にとって興味深い、ふた…
講談社版『日本現代文学全集』第89巻「伊藤永之介 本庄睦男 森山啓 橋本英吉 集」に付属の「月報94」(1968年7月)に書かれた立野信之「橋本英吉のこと」には、立野と橋本の出会ひの頃のこと、小林多喜二が立野宅にゐたところに特高がやってきて小林と立野が捕…
倉田稔『小林多喜二伝』(asin:4846004082)746頁に、やはり出所が明示されないで書かれてゐる、上京直後の多喜二の第一印象―― 上京した多喜二に立野信之は、「お前は背のスラリとした貴公子かと思っていた」と言い、片岡鉄兵は「君が本当の小林君ですか」と聞…
先日借覧した風間道太郎『憂鬱な風景●人間画家・内田巌の生涯』(1983、影書房)によって、徳永直には『美術運動』に書いた「内田巌さんについて」といふ追悼文があることを知った。 その1月13日付の記事に書いたやうに、日本美術会編、科学新興社発行の雑誌『…
倉田稔『小林多喜二伝』(asin:4846004082)774頁に、やはり出所が明示されないで書かれてゐる、「当時、下落合にあったナップの事務所で会合が開かれた。このナップの会合で、渡辺順三は、民主的な討議のやり方などをはじめて見ておどろいた。」云々といふ箇…
経堂・豪徳寺仲間だった渡辺順三と徳永直が、小林多喜二『党生活者』の伏字なしゲラを読んだ話が、倉田稔『小林多喜二伝』(asin:4846004082)に出てくる http://blog.goo.ne.jp/takiji_2008/e/28cda157389b72f57629388aba088809 ――といふので倉田“多喜二伝”ば…
間宮茂輔『党員作家』(昭和33年12月20日、同光社出版)と『三百人の作家』(昭和34年5月15日、五月書房)ば借覧。 曽根といふ名を与へられた、間宮自身であらう主人公と共に、徳永直をモデルとした登場人物について多くの紙面が費やされてゐる『党員作家』。「…
購求法を思ひ悩んでゐた香港海外基督使團の『雖至於死――台約爾傳』(サミュエル・ダイアの伝記)について、助力をお申し出いただいてゐたわけなんだども、おかげで現在手元に届いてゐる。 ご尽力いただいた方々に、深く感謝。 さて、基督教伝道、漢字活字開発…