以前記した、『今井直一「活字書体と読み易さ」の時代背景』(20090710)に関連して。
昭和十四年六月の東京朝日新聞を見ると、『印刷術』を書いた元印刷局の工学博士で印刷学会の会長である矢野道也が「物質節約と技術の立場から」といふ副題で書いた「活字の統制(上)」が六月五日付で、また陸軍軍医学校の教官から東京帝大に移りやがて医学部長にもなった「石原式学校用色覚異常検査表」の石原忍が「眼の保健と衛生的立場から」といふ副題で書いた「活字の統制(下)」が六日付で出てゐる。
『文字の骨組み』(asin:4434130919)に続いて『文字の組み方』(asin:4416610122)を出された大熊肇さんのブログに「新聞の活字は天地を縮めたのではない」といふ秀逸な記事が出てゐたので、その辺をウロついてゐた印刷史散策者の一人として、上記状況ばメモしておく。
当該記事ば拝読してふと思ひ出したのが、「ゴシック4550」のこと。昭和十五年の「朝日活字」もゴシック4550も、どちらも近現代の日本語ば綴る二千字程の常用漢字を相手に考へると横方向に拡げてやることで日本語の活字は視認しやすくなるといふ認識に立ってゐる。
確かに、現在の常用漢字を平均的に見れば、「髪」「警」「驚」「襲」などタテに混み合ふ字種よりも、「縦」「擬」「鍛」「繭」「臓」などヨコに混み合ふ字種の方が多い。ヨコ方向の隙間を空ければ弁別しやすくなると発想されるのも、頷ける。
ちなみに、昭和十六年には書籍サイズの規制(規格化)と出版用紙の配給制度が始まり、昭和十八年には「書籍の余白を制限する」方針が打ち出されたりしてゐる。
岡茂雄が『本屋風情』(1974、平凡社)で“サンヤツ”広告の考へ方は自分がオリジナルだが新聞社側の営業方針によって挫折したといふ意味のことを書いてゐるんだども、時に新聞の一面の四分の三ほどを占めてゐた野放図な出版広告が全面的に“サンヤツ”化するのも、昭和十七-八年頃の統制の結果である。
昭和十八年十一月二十日付で初版が発行された徳永直『光をかかぐる人々』も、昭和十八年三月中旬に最初の“サンヤツ”新聞広告が各紙に打たれ、十八年十月・十一月に次の“サンヤツ”広告が各紙に出されてゐる。
……
事の大小から考へると、こちらを特筆大書すべきだと思ふんだども。
同じく大熊肇さんの直近のブログ記事、「号数サイズシステムは七号を汎用ルビとして作られたものではないだろうか?」といふ発見(問題提起)。
ブクマコメントから判断すると、名古屋DTPの勉強部屋での話題らしいんだども、これはすごい。
うすぼんやりと気がつきかけてはゐても、「七号を基準に各サイズを見てみると、初号は七号の8倍。壱号は七号の5倍。二号は七号の4倍。三号は七号の3倍。四号は七号の2.5倍。五号は七号の2倍。」とハッキリ言葉にできるところに、コロンブスの卵的、新しい視点の獲得がある。
この件に関しては、「七号ベースの整備」が平野期なのか曲田期なのか野村期なのか、己は平野期だと想像するんだども、掘り下げた調査が必要だらう。