日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

意匠公報データベースに残る和文活字など「第22類活版」の意匠登録――明治20~30年代の9事例

弘道軒「篆体片仮名」(明治23年

明治21年12月18日に公布された勅令第85号「意匠条例」https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/Detail_F0000000000000014318によって和文活字書体の保護が企図された最初の事例と思われるのが、弘道軒の神崎による登録第103号「片假名文字ノ意匠」です(出願日不明・明治23年12月15日付登録、以降10年間、https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1801/DE/JP-0000103/35/ja。残念ながら原簿が失われているため、具体的にどのような字形の書体だったのか、今は判りません。

登録意匠主であった神崎正誼の逝去に伴い明治25年1月に神崎正助が相続と届け出されたことが、同年3月3日付の官報で公告されていますhttps://dl.ndl.go.jp/pid/2945864/1/10

江川活版「行書活字」(明治24年

12年ほど前、意匠公報データベースがインターネット公開されたことを契機に記した「江川次之進による行書活字の意匠登録」で示した通り、江川行書活字のデッドコピー品製造販売を企てた者があったが意匠登録によって対抗したというエピソードが津田伊三郎編『本邦活版開拓者の苦心』に載っています(179-180頁:https://dl.ndl.go.jp/pid/1908269/1/108

残念ながら原簿が失われているため、登録第111号「行書活字ノ意匠」(出願日不明・明治24年1月12日付、以降10年間、https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1801/DE/JP-0000111/35/jaにおいて、出願時点で既に発売されていた二号行書・五号行書と翌年発売予定だった三号行書、全体を具体的に示していたのか、あるいは「江川行書」に共通する書風のエッセンスを登録したものか――おそらく共通のエッセンスということなのだろうと思うのですが――、正確なところは判りません。

東京築地活版製造所「漢数字」(明治25年

原簿と思われる図が掲載されているのでご覧いただきたいのが、登録第225号「數字ノ意匠」明治24年9月1日出願・明治25年2月1日付登録、以降7年間、https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1801/DE/JP-0000225/35/ja

登録第225号「數字ノ意匠」添付図(部分)

このままの書風で活字製品化されたのかどうか、現時点では探し出すことができていません。大正3年の『日本印刷界』61号に出された青山進行堂による年賀用活字見本*1に掲載されている「初号ビンビン形」https://dl.ndl.go.jp/pid/1517480/1/11の大元になったアイデアという具合に思われるのですが、いかがでしょうか。

弘道軒「楷書活字」(明治26年

初代神崎正誼亡き後、二代目の正助が出願した、登録第289号「楷書活字ノ意匠」明治26年3月1日出願・明治26年5月25日付登録、以降7年間、https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1801/DE/JP-0000289/35/ja。解説文を素直に読んでいくと、これはいわゆる弘道軒清朝体活字ではなく、全く新しい活字書体を意図したもののようです。

登録第289号「楷書活字ノ意匠」添付図(部分)

添付図と解説文を読み解いて今風に表現すると「楷書の骨格に角ゴシックの肉付けをした書体を薬研彫りにした様」といった書体のようですが、実際に活字製品化されたのかどうか、現時点ではわかりません。

弘道軒「篆体ローマ字・数字」(明治26年

これも神崎正助が出願した、登録第318号「西洋文字及西洋數字ノ意匠」明治26年6月19日出願・明治26年10月23日付登録、以降10年間、https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1801/DE/JP-0000318/35/ja。解説文で「漢字ノ篆体ニ象リ変成シタ」と書かれていることから「篆体ローマ字・数字」としておきます。

登録第318号「西洋文字及西洋數字ノ意匠」添付図

活字の製造販売における知財保護ではなく、変わった書体を考案して意匠登録すること自体が目的になっていたのではないかと疑っています。

東京築地活版製造所「戯蛙模様の花形活字」(明治26年

実用例がありそうで見つけ出せていないのが、登録第319号「輪廓模樣ノ意匠」明治26年7月10日出願・明治26年11月17日付登録、以降7年間、https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1801/DE/JP-0000319/35/ja

登録第319号「輪廓模樣ノ意匠」添付図(部分)

この頃築地活版と製文堂は『印刷雑誌』において「新製花形見本」類を盛んに掲載しているのですが、明治26・27年に掲載された下記の築地活版製見本には出ていないものになります。

東京築地活版製造所「「矢ノ根形」活字」(明治32年

登録第762号「活字形状ノ意匠」明治32年3月28日出願・明治32年6月26日付登録、以降5年間、https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1801/DE/JP-0000762/35/jaの解説文に「点又は字画の両端を矢の根形の如くなし」と記されているこの活字書体は、明治36年に発行された『活版見本』中の「初号装飾書体見本」に掲載され、「矢ノ根形」と呼ばれていますhttps://dl.ndl.go.jp/pid/854017/1/20

登録第762号「活字形状ノ意匠」添付図(部分)

東京築地活版製造所「(仮称)孔波形活字」(明治32年

登録第763号「活字形状ノ意匠」明治32年5月19日出願・明治32年6月26日付登録、以降5年間、https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1801/DE/JP-0000763/35/ja

登録第763号「活字形状ノ意匠」添付図(部分)

登録簿の解説文から仮に「孔波形活字」と呼んでおきます。「矢ノ根形」活字と同様に添付図は活字の清刷りに基づくものなのではないかと思われます。築地活版は明治33年から34年にかけて「新製見本」シリーズの第2巻を発行しており、2巻4号を横浜市歴史博物館小宮山博史文庫が所蔵し(A-ト1-9)、2巻5号と7号を印刷図書館が所蔵(Za313およびZa314)、更に書体讃歌(@typeface_anthem)さんが2巻6号を所蔵されているのですがhttps://x.com/typeface_anthem/status/1894037468753592480、少なくとも2巻5号、6号、7号の表紙表題「新製見本」にこの書体が使われています。

なお、『新製見本』2巻5号(明治33年6月)には「新製電氣銅版乙號源氏畫五十四種類」が掲げられており(No.7420-7444)、このうち12種が『印刷雑誌』10巻5号(明治33年6月)に掲載されていますhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1499025/1/7

印刷雑誌』11巻4号(明治34年5月)の「新製花形御披露」広告に「當月發兌ノ新製見本第二巻第九號ヲ以テ御案内致候」とあるようにhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1499036/1/15、この頃の『印刷雑誌』に掲出された東京築地活版製造所の広告類は、『新製見本』第2巻のことを知る有力な手がかりになるようです。

製文堂「電気版カット」(明治27年

文字活字や花形活字だけでなく、カット類を電胎法で活版資材化した「電気版カット」の絵柄が意匠登録された事例がありました。登録第352号「活版繪形ノ意匠」です明治27年2月27日出願・明治27年5月17日付登録、以降3年間:https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1801/DE/JP-0000352/35/ja。これは明治36年版『活版見本帖』に56番として掲載されていますhttps://archive.org/details/seibundo1903specimen/page/n199/mode/2up

右から登録第352号「活版繪形ノ意匠」添付画像/『活版見本帖』56番/『印刷雑誌』4巻1号「紙門」題字

垂れ幕状になっている部分の内側がくりぬかれていて文字活字を嵌め込んで使うようになっており、『印刷雑誌』では4巻1号から5巻12号まで「紙門」見出しに使われていました(4巻1号:https://dl.ndl.go.jp/pid/1498948/1/14

製文堂は明治26年8月の『印刷雑誌』3巻7号以降「弊堂ニテ製造致候花形及ヒ電氣版「カット」類ハ専ラ泰西ノ𦾔套ヲ避ケ斬新ナル工夫ヲ凝セシ日本畫ニ御座候」として度々「新製電気版カット」見本を掲げており、なぜこの「56番」だけが意匠登録されたのかは判りません。

ちなみに、明治27年に発行された書籍類で複数の出版社がパブリッシャーズマークとして採用していた「リースに鳥」の図柄が明治26年の『印刷雑誌』3巻8号に電気版カット「第10号」として掲載されていることから、時系列的には出版社同士の模倣ではなく各社がそれぞれ製文堂の新製電気版カットを気に入った結果と言えそうに思います。――「近代デジタルライブラリー」の図書館間送信によって地元図書館で『印刷雑誌』の閲覧が可能になった際に掲出広告のメモを取りためていたのですが、活字書体以外は詳細な内容を記しておらず、「「明治期における裏表紙のパブリッシャーズ・マーク」を出版者軸と印刷者軸で読み直してみる」を書いていた際には恥ずかしながらノーマークで、「製文堂電気カット」とメモした中に「リースに鳥」の初出が含まれていたことに、今回「国会図書館デジタルコレクション」を見直すまで気づいていませんでした。

意匠法時代初期の情報(明治32年明治37年)が見つからない

意匠公報データベースを見る限り、旧意匠条例最後の登録らしき第769号「頭飾及服飾形状ノ意匠」(https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1801/DE/JP-0000769/35/ja)の次に続くべき帳簿類が失われてしまっているようで、登録番号第2211号https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1801/DE/JP-0002211/35/jaより前の時期が資料の空白期間になってしまっているように見受けられます。

例えば明治33年11月の『印刷雑誌』10巻10号に築地活版が「新製年賀用飾文字」として「初号蔓形」の見本を掲げていて「意匠登録出願中」とされているのですがhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1499030/1/17、残念ながらこの空白期間に当たってしまっているため、登録番号等を探し出すことができません。

印刷雑誌』10巻10号掲載「初号蔓形」活字見本

また、旧意匠条例時代の全番号を総当たりしたところ、登録番号が検索ヒットしないケースがありました。ひょっとすると装飾活字の類で明治20年代から30年代にかけて意匠登録されたものが他にあったにも関わらず現時点で辿れなくなっているものがあるかもしれません。

ちなみに「初号蔓形」は明治34年1月の『印刷雑誌』10巻12号に掲載された広告において「意匠登録第999号」であると謳われていますhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1499032/1/15

*1:『日本印刷界』広告では「年賀用活字見本」と明確に謳われているわけではありませんが、同等の内容で独立した活字見本シートとなっているものが早稲田大学図書館に蔵されており、欄外に「年賀用活字見本」という表題が刷られていることから(https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/bunko10/bunko10_08020_0020/index.html)、こちらに倣いました。