少し前に、「"齧られ丸"に篆書〔木〕」のピンマーク入り初号活字を入手していました。


以前、大正11年版『全国印刷業者名鑑』(印刷材料新報社、https://dl.ndl.go.jp/pid/970397)、大正15年版『全国印刷業者名鑑』(印刷材料新報社、https://dl.ndl.go.jp/pid/970398)、昭和10年版『全国印刷材料業者総攬』(印刷興業時報社、https://dl.ndl.go.jp/pid/1234542)に掲載されている広告類から活字商の商標を拾い出して一覧を作成し、更にNDL送信資料の『日本印刷界』(日本印刷界社、https://dl.ndl.go.jp/pid/1616457)や『印刷時報』(大阪出版社、https://dl.ndl.go.jp/pid/1615162)に掲載された広告類で補強したものがあるのですが(現時点では未公開の資料)、この「"齧られ丸"に篆書〔木〕」は見覚えがないマークです。
このように、ひと文字しか手がかりが無いような未知のピンマークに出会った場合にどうするか。
活字のピンマークが文字の意匠だった場合、青山進行堂の「青」や「A」のように(「大阪青山進行堂のピンマーク6種と活字書体3種(付:青山督太郎の略歴と生没年――没年の典拠情報求む――)」)、基本的には屋号の最初の文字か代表者の苗字に関係すると考えて探索をスタートしたい。
ここで「こんなこともあろうかと、全国規模で活字商の名称を拾い出した資料を作ってみていました。」と言えれば我ながら凄ぇと思うのですが、3年ほど前に今回のピンマークなど未知のものが幾つか入手できてしまったことから、慌てて作り始めた資料になります。
大正末から昭和初期に全国でどれくらい活字商が活動していて「木」の字は何件くらいあったか
いまのところこれも公開の予定はありませんが、大正11年版『全国印刷業者名鑑』(印刷材料新報社、https://dl.ndl.go.jp/pid/970397)、大正15年版『全国印刷業者名鑑』(印刷材料新報社、https://dl.ndl.go.jp/pid/970398)、昭和10年版『全国印刷材料業者総攬』(印刷興業時報社、https://dl.ndl.go.jp/pid/1234542)に掲載されている活字商の名を一覧表にしてみました。NDL全文検索の拾い漏れが目に余るため、3冊の名簿に掲載されている全国各地の活字商の情報を全て手作業で拾い出したものです。

「大正11年名鑑」では103軒、「大正15年名鑑」では167軒、そして「昭和10年総攬」では281軒の活字商が掲げられています。
このリストに見える活字商のうち、屋号か代表者の苗字のどちらかの最初の文字が「木」であるような活字商は、次の5件です*1。
- 木戸活字製造所(東京、木戸末松):S10総覧(https://dl.ndl.go.jp/pid/1234542/1/66)
- 興文堂活字商店(木村惣平):T15名鑑(https://dl.ndl.go.jp/pid/970398/1/421)/興文堂活字製造所(東京、木村惣平〔物平〕):S10総覧(https://dl.ndl.go.jp/pid/1234542/1/68)
- 木村鍍金活字工業所(大阪):S10総覧(https://dl.ndl.go.jp/pid/1234542/1/118)
- 鶴賀活版製造所(長野、木村栄):S10総覧(https://dl.ndl.go.jp/pid/1234542/1/220)
- 木下活字店(福山、木下卓蔵):S10総覧(https://dl.ndl.go.jp/pid/1234542/1/249)
このうち、NDL全文検索で昭和10年版『全国印刷材料業者総攬』でしか関連情報が見当たらない木村鍍金活字工業所と木下活字店については除外して、まずは「送信資料」の範囲で検討してみます。
木戸活字製造所・木戸末松
- 「清文堂/木戸末松/神田区今川小路1-6」昭和5年『職業別電話名簿 第20版 甲篇』(https://dl.ndl.go.jp/pid/1142736/1/336)
- 「清文堂/木戸末松/神田区神保町3-7」昭和9年『職業別電話名簿 第24版』(https://dl.ndl.go.jp/pid/1142887/1/381)
- 「木戸活字製造所/木戸末松/滝野川区滝野川町736」『全国工場通覧 昭和9年9月版』(https://dl.ndl.go.jp/pid/1212170/1/313)
- 「清文堂/木戸末松/神田区神保町3-7」昭和11年『東京・横濱近縣職業別電話名簿 第26版』(https://dl.ndl.go.jp/pid/1899960/1/208)
- 「木戸活版製造所/木戸末松/北区滝野川町736」『日本印刷関係業者名鑑 1953年版』(https://dl.ndl.go.jp/pid/2464726/1/113)
- 「株式会社木戸活版/今村キヨ/千代田区神保町3-7」『宣伝事典 1956年版』(https://dl.ndl.go.jp/pid/2478832/1/155)
- 「有限会社木戸活字製造所/木戸末松/北区滝野川町三丁目9」『宣伝事典 1956年版』(https://dl.ndl.go.jp/pid/2478832/1/155)
秀英舎・製文堂が鋳造した活字のピンマークである「生に丸」印を連想させる篆書「木」のピンマークをセイブンドウの木戸氏が選んだ――というのは、とてもありそうな話に思えます。滝野川町の木戸活版は、火曜印刷が活字を購入していたところではないかと予想しているところでもあり*2、気になります。
1956年の「株式会社木戸活版」と「有限会社木戸活字製造所」の両方が「清文堂の木戸末松」由来であるように思われますが、現時点では関係があるとも無いとも判りません。
興文堂・木村惣平
- 「興文堂活字店/浅草栄久町53」『全国印刷業大観 大正16年度』(https://dl.ndl.go.jp/pid/1020854/1/54)
- 「木村惣平/浅草区森下一」昭和2年『職業別電話名簿』第17版(https://dl.ndl.go.jp/pid/1142440/1/71)
- 「興文堂/木村惣平/浅草区森下一」昭和4年『東京横濱近縣職業別電話名簿』第19版(https://dl.ndl.go.jp/pid/1901554/1/319)
- 東京活字工業組合の理事(昭和15年4月『印刷時報』175号 https://dl.ndl.go.jp/pid/1499111/1/63)
- 「興文堂活字製造所/台東区浅草千束町1-47」昭和28年『日本印刷関係業者名鑑 1953年版』(https://dl.ndl.go.jp/pid/2464726/1/113)
- 「中川興文堂/中川重夫/台東区浅草千束町1-47」昭和32年『全国印刷業者及び関連業者名簿』(https://dl.ndl.go.jp/pid/2484453/1/125)
- 昭和21年4月の東京活字興業株式会社設立(社長:藤井三太夫)より(?)同社役員(昭和36年『帝国銀行・会社要録 第42版』https://dl.ndl.go.jp/pid/8798242/1/838・『日本印刷人名鑑』https://dl.ndl.go.jp/pid/2478821/1/211)
昭和10年代まで活動していた浅草区森下町(現在の台東区寿一丁目10番地あたり)の興文堂と、昭和20年代から浅草千束町にあった興文堂活字製造所あるいは中川興文堂が同じものなのか異なるものなのか、現時点では判りません。
鶴賀活版製造所・木村榮
- 「鶴賀活版製造所/長野市千歳町9番地」明治37年『長野繁盛記 : 一名・善光寺案内』(https://dl.ndl.go.jp/pid/765218/1/27)
- 「長野市千歳町の鶴賀活版製造所は明治三十四年同所に創業以来……」『印刷時報』6号雑報欄(https://dl.ndl.go.jp/pid/1499107/1/113)
- 「鶴賀活版製造所(有)/木村榮/長野市上千歳町」昭和24年『長野市とその周邊』(https://dl.ndl.go.jp/pid/11578730/1/71)
- 木村榮略歴:昭和30年『日本印刷人名鑑』(https://dl.ndl.go.jp/pid/2478821/1/59)
- 沿革:『長野県会社名鑑 第10版』(https://dl.ndl.go.jp/pid/12288866/1/251)
昭和30年『日本印刷人名鑑』によると、地方のローカルな活字商に留まったわけではなく「大正十二年の関東大震災の際には、被害をうけた東京に活字を送り、東京印刷界の復興に大きな貢献をなした」ということです。その頃の活字が東京圏で戦火を逃れて生き残っていたのだとしてもおかしくはないでしょう*3。
NDL館内限定資料に見える三社の情報
「木戸活字」5件、「木戸活版」44件、「木戸末松」0件、どれもマークに繋がるものではありませんでした。
「興文堂 活字」8件、「木村惣平」22件、どちらもマークに繋がりませんでした。
「鶴賀活版」59件の大半は「木戸活字」等と同じく住所と屋号くらいしか書かれていない短冊形広告や電話帳の類でしたが、『日本印刷年鑑 1957年版』(日本印刷新聞社)に商標入りの広告が掲載されていました(https://dl.ndl.go.jp/pid/2458802/1/256)。

丸に篆書「木」のピンマークは鶴賀活版
こうして「館内限定資料」によって「"齧られ丸"に篆書〔木〕」のマークが鶴賀活版の商標だったらしいことが判ってから改めて「送信資料」を見直していったところ、昭和36年『月刊印刷時報』6月号に掲載された『第十回印刷文化展(印刷機材展・印刷PR展)』の鶴賀活版ブースの写真に、社名と商標が映されていました(37ページ左上:https://dl.ndl.go.jp/pid/11434668/1/42)。
さて、昭和28年の長野県議会図書室『蔵書目録 第2冊』によると、同図書室に鶴賀活版の昭和26年版『活字型録』が蔵されていたようです(13ページ:https://dl.ndl.go.jp/pid/2984891/1/9)。現在でも架蔵されているのでしょうか。「図書室は、議員の利用を妨げない範囲で一般の方も利用することができ、会議録などの図書などをご覧いただけます。」ということなので(https://www.pref.nagano.lg.jp/gikai/chosa/gaiyo/tetsuzuki.html#tosyosit)、機会があれば閲覧させていただきたいものです。もし長野県議会図書室で鶴賀活版の『活字型録』をご覧になれる方がいらしたら、ぜひ内容をお教えください。
*1:罫輪郭製造販売の弘栄堂・木村重蔵と、欧文活字の二葉商会・木村房次は除外〔S12『印刷産業綜攬 昭和12年度版』に両者の人物紹介あり:https://dl.ndl.go.jp/pid/1261287/1/143〕
*2:「セクト・ポクリットの輪番連載「ハイクノスガタ」第3回「掌上の沈黙 ──『黙示』富沢赤黄男──」を拝読して気になった火曜印刷の活字」
*3:この活字は他のピンマーク入り活字と共に東京の出品者から入手したものですが、実際の来歴は不明です。