日本語練習虫

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仏典字様の活字と明朝様の活字

天理図書館の館報『ビブリア』87号(1986)に掲載された、岸本眞実「近世木活字版概観」に、ちょっと気になる話題が記されている(83頁)。

錦林王府(聖護院門跡)の木活字版『唐鑑』も、私家版に属するものであろう。

この王府に伝来した活字は、仏典の字様のものが僅か四千余であったので、明朝様の活字を補雕した(第一冊刊語)と言う通り、書中僅かに筆写体のものが散見される。

錦林王府木活字版『唐鑑』は、『大阪府立図書館蔵近世木活字本目録』に掲載されている通り同館石崎文庫にあり、「おおさかページ」の「近世木活字本」における「主な資料」には挙げられていないが、「おおさかeコレクション」で閲覧可能になっている。ありがたい。

「おおさかeコレクション」の『錦林王府活板唐鑑』12コマが、問題の第一冊刊語になる。

王府舊藏活字印若干千字皆佛典字
様今所存者僅四千有餘逸失頗多不
可以爲用也此册子一仍舊貫省補不
足字凡爲明朝様者皆屬
法王之新補云

なるほど、『大阪府立図書館蔵近世木活字本目録』24頁に「第一冊第七丁」として採られた刊語がほぼその通り記されているのが判る(「目録」では原文の改行は無視され、末尾の「云」は省かれている)。

文字の種類として「若干千字」、同一字種の重複分を含めて四千本の活字が伝存しているが、それでは文章を印刷しきれないので新しく彫った活字を追加して今回の印刷に用いる、という話。

今の我々が「明朝体」と呼びたい字様(書風)の活字が「佛典字様」と呼ばれ、同じく(ちょっとヘタれた)楷書あるいは「筆写体」と呼びたい字様(書風)の活字が「明朝様」と呼ばれているところが面白く、また悩ましいポイントだ。

天保壬寅(1842)年に校訂布字と扉に記され嘉永3(1850)年に発行されたと刊記にある『錦林王府活板唐鑑』の刊語は、19世紀半ばの日本における印刷文字の字様に対する一般的な見方を示しているのか、王府=聖護院門跡の旧蔵活字であるという特殊事情が伝来活字の字様を「仏典字様」と呼ばせているものなのか。

また筆写体の「明朝様」という呼び方は、和様に対する唐様という程度の意味合いで「明朝様」と呼ばれているものなのか、唐様の書風の中でも「欧体」「柳体」「顔体」などのように何か特有の書風を示すラベルであるのか。

さて。


なお、この『錦林王府活板唐鑑』の活字字様については、堀川貴司「漢籍から見る日本の古典籍 ―版本を中心に―」(『国文学研究資料館調査研究報告第34号 』〈2014〉講演録として収載〈http://doi.org/10.24619/00001031〉)の中に、注15として次の記載がある。

聖護院宮蔵版、嘉永3年(1850)刊木活字版『唐鑑』には、同宮旧蔵の活字で足りないものを新たに作ったとの記述が前付にあるが、明朝体の旧蔵活字を「佛典字」、写刻体の新補活字を「明朝様」と呼んでいる。幕末ではあるが、明朝体黄檗版によって普及したことの傍証であろう。なお同書のことは古書画店「北さん堂」のホームページにより知った(http://the-man.info/1408、2013年9月16日閲覧)

北さん堂のウェブサイトは2021年10月現在も健在だが、当該の記事は同サイトにも、ウェブアーカイブ等にも見当たらない。どのような紹介記事だったのか、知りたかった……。