日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

六号雑記(『書物学』第21巻「活字」に書かせていただいた〈「秀英電胎八ポ」書風と「築地新刻電胎八ポ」書風の活字について〉という記事の後書)

勉誠出版から2022年12月付で刊行される(された)『書物学』第21巻「特集 活字」に、〈「秀英電胎八ポ」書風と「築地新刻電胎八ポ」書風の活字について〉という記事を書かせていただきました。

私が「秀英電胎8ポ」と呼んでいる書風の活字が作られ使われるようになったのはいつどこで?ということを調べていって、今回ようやく明らかになりましたという話と、その調査の過程で最近まで〈東京築地活版製造所「昭和新刻7ポ75」(仮称)〉と呼んでいた活字の初出状況が判明しましたよ、という話です。

ご高覧と御批正のほど、よろしくお願いいたします。


あとがきの前書

「秀英電胎8ポ」活字という呼び名は、誠文堂新光社『アイデア』誌の367号「日本オルタナ文学誌 1945-1969 戦後・活字・韻律」および368号「日本オルタナ精神譜 1970-1994 否定形のブックデザイン」における「活字書誌」のために使うようになったもので、この活字はベントン彫刻機を用いて開発された岩田明朝(本文系)の手本とされたというものです。

2010年に人形町ヴィジョンズで開催された「原字ものがたり―デジタルフォントの原型」展にて岩田明朝のベントン原図が世間に公開されてから4年、「オルタナ出版史」第二部・第三部が制作・刊行された2014年の段階では、大日本印刷が刷っていた『中央公論』誌の本文である8ポイント活字を見る限り、昭和25年3月号まで旧8ポ(電胎8ポ)仮名+旧8ポ漢字、4月号から新8ポ(ベントン8ポ)仮名+旧8ポ漢字という組み合わせになっており、漢字が切り替わるのは昭和25年12月号からのようだ――という具合に大日本印刷が電胎8ポ活字使い終える時期を観察していました(2018年1月27日に開催された連続セミナー「タイポグラフィの世界」6「金属活字考」第3回「日本語活字を読み込む」の「配布資料ニ」に示した通り)

片塩二朗『秀英体研究』(2004、大日本印刷)に転載された、大日本印刷活版課・浅野吉雄「新刻八ポ活字とその後」(大日本印刷技術委員会『技術月報』第26号〈昭和26年10月1日〉)掲載の年表では「正8P彫刻開始(計画生産数決定)」が昭和25年8月で、「8P彫刻完成(鋳込完了とともに実用化す)」が昭和26年9月とされています。仮名は年表でも先行開発されているらしく書かれており、問題は漢字の開発完了時期ということになると思われます。

中央公論』誌をモノサシとして利用した詳細な観察は継続していないのですが、ひょっとすると、昭和25年12月号からズバっと一気に切り替わったのではなく、数十字あるいは数百字単位で少しずつ漢字活字の入れ替えが行われていて、昭和26年9月になってようやく全4750文字が新刻ベントン8ポに切り替わる――というような具合であったのかもしれません。

大日本印刷で電胎8ポが捨て去られようとしていたタイミングで、岩田母型が新書体の手本として受け継いだ形になっているところ(タイミングについては三省堂「Word-Wise Web」サイトで連載されていた、雪朱里『「書体」が生まれる―ベントンがひらいた文字デザイン』の第57回「ベントン彫刻機の普及――岩田母型とベントン① 」https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/benton57参照)が、色々運命的で面白いなと思っていたものでした。

岩田明朝への「転生」について紹介するにあたって書体の権利に関する当時の意識云々というエクスキューズが必要なのかどうか、という個人的な疑問を自分なりに引き受けていくために、そもそも私が「秀英電胎8ポ」と呼んでいる書風の活字が作られ使われるようになったのはいつどこで?――ということを明らかにし、出生から最初の死(昭和25ないし26年)に至る期間を確定させておきたかったのです。

この「転生」に関しては、まだ大きな謎が残っています。大正末の築地活版の見本帳に「秀英電胎8ポ」書風によく似たものが出現するのですが、岩田明朝の仮名は秀英舎による「秀英電胎8ポ」書風ではなく築地活版のものであるように見えるのです。手元の資料を見ていくと、昭和11年大日本印刷が刷った岩波文庫版『小説神髄』の本文8ポイントの仮名は、初期の「秀英電胎8ポ」書風ではなく築地活版風のものになっています。これは例えば、築地活版の活字をメインに使っていた日清印刷と秀英舎が昭和10年に合併した、その影響だったりするのでしょうか。そもそも築地活版は、いつごろからどのようにして「秀英電胎8ポ」書風の活字を自社の見本帳に掲載するようになっていたのでしょうか。

今回「秀英電胎8ポ」書風の初出状況が判明したことで、ようやく、残された謎について「いつごろからいつごろまでの期間の出来事を調べればいいのか」が明らかになりました。いつか続報をお知らせすることが出来るでしょうか。

あとがきの後書

さて、秀英舎の大正期の六号活字が「電胎8ポ」とは異なる書風のものであるということは、青土社ユリイカ』2020年2月号「特集・書体の世界」(http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3392)の「近代日本語活字・書体史研究上の話題」に記しました。それを踏まえた話なのですが。

今回判明した「秀英電胎8ポ」の初出は大正年間のある新聞だったのですが、その話が牧治三郎『京橋の印刷史』巻末年表712-713頁に書かれている項目に符合する内容だったことに、校了してから気がつきました。年号と新聞紙名は伏せますが――『書物学』第21巻でご確認ください!――、「大正〓年九月 〓〓〓、秀英舎新字六号採用、十五字詰十二段紙面改正」という内容です。これ、ヒントになる情報かもしれないということで「日本語活字を読み込む」の「配布資料ニ」にも拾い出してましたね、わたくし!!

牧が年表に「新字六号」って書いてた件、その新聞の新しい紙面に使われていたのは六号書風じゃなくて「秀英電胎8ポ」書風の活字だったんですよぉぉぉぉ……



以下2022年12月7日追記

あとがきのオマケ

本日から勉誠出版のウェブサイトで購入可能になった『書物学』21号「活字 近代日本を支えた小さな巨人たち」https://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&cPath=18_55&products_id=101347に書かせていただいた〈「秀英電胎八ポ」書風と「築地新刻電胎八ポ」書風の活字について〉という記事に付した注のうち、ウェブ資源へのリンクをオマケしておきます。