日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

日本語マイクロ・タイポグラフィの実践者としての編集者と組版者の働きを「入稿原稿」の「組方指定」と刊本から読み取る(2018年1月作成の故twitterモーメント)

twitterがXになり、「モーメント(Moments)」機能でまとめたメモの閲覧もできなくなってしまったのが自分にとって想像以上に不便である――twilogのキーワード検索では「流れ」や「塊」がうまく拾い出せなかったりする――ので、標記モーメント(https://twitter.com/i/moments/949256909726470144)を2018年1月の吹囀ツイート履歴から再構成してみました:


SMART-GSの活用によって読み解けなかった田辺元手書き資料が読めるようになりつつある、http://langrid.org/culture/jp/research/r_kenkyu6/ くらいの意識しか持っていなかった「京都学派アーカイブ」で、2012年に西田幾多郎史料が大量公開されていた http://kyoto-gakuha.info/nishida.php ことを今頃知った。
https://x.com/uakira2/status/948902240122621953

- 2026年注:京都学派アーカイブの「西田幾多郎アーカイブ」はURLが変更されている https://www.kyoto-gakuha.org/nishida.php

アーカイブで出版年が1928となっている、資料No.01「所謂認識対象界の論理的構造」は、この原稿の1枚目に赤ペンで記された大量の(とても細かく注意深い)組方指示の内容が、

https://x.com/uakira2/status/948903987041808384

1930年に岩波書店から出版された『一般者の自覚的体系』の最初の章「所謂認識対象界の論理的構造」http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1186771/6 の体裁に完全に合致するから、同書の入稿原稿であると考えて良さげ。

https://x.com/uakira2/status/948904859574484994

ひとつ飛ばして西田幾多郎資料No.03「自己自身を見るものの於いてある場所と意識の場所」も、岩波1930『一般者の自覚的体系』の同題第三章 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1186771/68 の入稿原稿で、欄外に押されている「松」「菊」などは印刷を担当した秀英舎において本書を担当した文選工の署名(押印)と考えられる。

https://x.com/uakira2/status/948906523744350210

第三章の入稿原稿は、先行発表された掲載誌『哲学論考』に西田が校正・推敲を加えた書き入れ原稿に、編集者が更に組方指示を朱書きしたという形態になっている。この特徴に基づき、京都学派アーカイブ西田幾多郎史料では「印刷物頁」と名づけられた資料群の一つ。
https://x.com/uakira2/status/948907760267051008

西田幾多郎資料No.04「叡知的世界(哲学體系の一企画)」も、岩波1930『一般者の自覚的体系』の第四章「叡知的世界」に合致し、第三章同様『哲学論考』への書き入れによる入稿原稿である。

https://x.com/uakira2/status/948909254945136646

西田幾多郎資料No.05「直覚的知識(哲学體系の一企画)」も、岩波1930『一般者の自覚的体系』の第五章「直覚的知識」に合致し、第三章・第四章同様『哲学論考』への書き入れによる入稿原稿である。

https://x.com/uakira2/status/948910342049968128

西田幾多郎資料No.06「自覚的一般者に於いてあるもの及それとその背後にあるものとの関係」は、朱書きの正確な読み取りは困難だが、判読し得る限りの内容では著者名の活字指定が生きていることなど、この部分が独立して掲載された初出誌の入稿原稿であることを示しているようだ(後に岩波1930収録)。

https://x.com/uakira2/status/948912460362170369

西田幾多郎資料No.07「一般者の自己限定」も、06同様、初出誌の入稿原稿を示すと考えられる組方指示が朱書きされていて、こちらの方が多少鮮明に残っている(後に岩波1930 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1186771/236 収録)。

https://x.com/uakira2/status/948913510498488322

西田幾多郎資料No.08「一般者の自己限定と自覚」は、初出誌『哲学研究』への書き入れによる入稿原稿で、岩波1930『一般者の自覚的体系』http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1186771/280 への収録にあたって「総説」に改題されている。

https://x.com/uakira2/status/948915032028360704

以上、西田幾多郎資料No.01~08のうち、単行本『一般者の自覚的体系』の入稿原稿であることが「組方指示」の内容から明らかであるものには、すべて「哲学體系の一企画」という印が捺されている。したがって、資料04と05にだけ名称に「(哲学體系の一企画)」が付されているのは少し不自然だし、
https://x.com/uakira2/status/948915833505439745

一方で、当初『一般者の自覚的体系』が(おそらく)「哲学体系の一企画」という名称で編まれようとしていたと推測される。
https://x.com/uakira2/status/948916142092861440

このように見ていくことで、西田幾多郎資料No.02「述語的論理主義」の性質が、少し解るように思われる。前述の入稿原稿(No.01、03~08)に必ず見られた組方指示の朱書きが全く見られないが、西田の書き方は初出誌入稿原稿の形態と同様になっている。

https://x.com/uakira2/status/948917606743916544

この資料No.02「述語的論理主義」は、初出誌『哲学研究』のために書かれた(入稿)原稿の、カーボンコピーのようなものなのではあるまいか(「原稿」として仕上げる前の「草稿」にしては、あまりにも整いすぎている)。
https://x.com/uakira2/status/948918121011662848

途中、初出誌『哲学研究』を、『哲学論考』と立て続けに書き誤っていた。また、「西田幾多郎史料」とすべきところを多々「西田幾多郎資料」としてしまっていた。読み替えられたい。
https://x.com/uakira2/status/948923139244740608



以上は「入稿原稿の「組方指定」または「組版指定」の歴史を眺める」(2018-01-06)からリンクしていたモーメントを元ツイート履歴から再構成したものです。