日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

#NDL全文検索 で拾い集めた江川活版製造所と江川次之進の補足的情報

以前、江川活版製造所が明治20年代から30年代に開設したという支店の登記情報を『中外商業新報』から探しだそうとして挫折したことがあったわけですが(「中外商業新報等に見られる旧商法期の商業登記DB希求」〈https://uakira.hateblo.jp/entry/20130921〉)

そこで記していた通り、江川次之進の死亡時期は既に従来から判っていたので、「おそらくこのあたりにあるだろう」と見当をつけた時期の『官報』を虱潰しに調べて行って、「合名会社江川活版製造所解散」登記の公告と、「清算人決定」公告を見つけ出すことが出来ていました。

またそのブログ記事に「江川次之進の後妻にあたると思われる女性の情報が明治41年の『大日本婦人録』に江川次之進妻として記録されている」と記していたのは、安政5年6月生の「江川すゑ子」https://dl.ndl.go.jp/pid/779870/1/451のことなのですが、「江川次之進」と記されている部分がうまくOCRに拾われていないらしく、現時点のNDL全文検索では見つからない資料になっていたようです(「江川活版製造所」では検索可能)。

なお、「安政5年6月生の江川すゑ子」に関しては、当時も今も『大日本婦人録』以外の情報が全く判りません。当時は『大日本婦人録』編集者らが「妻登記」で得た情報なのではないかと想像していたのですが、少なくともNDL全文検索では登記情報に行き当たりませんでした。

今回改めて、2014年の「#ポ学会 07号掲載/江川活版製造所・江川次之進の件」https://uakira.hateblo.jp/entry/20141201についてディテールアップできることがないか、NDL全文検索で探ってみました。

『官報』のNDL全文検索で新しく見つかった江川次之進・江川活版製造所の情報

さて、そういうわけで「江川次之進」や「江川活版製造所」について、『官報』のNDL全文検索で他の情報を拾い集めてみました。

  • 1910明治43年10月1日、合名会社江川活版製造所設立登記(「合名会社登記簿第11冊第532号」「本店:東京市日本橋区長谷川町二十一番地」「目的:活字及諸器械製造販売ヲ以テ目的トス」「代表社員:江川貫三郎」社員「江川次之進/江川貫三郎/江川豊作/江川学博」1910年10月11日付『官報』付録1頁上段〈https://dl.ndl.go.jp/pid/2951545/1/22
  • 1912明治45年2月8日、江川学博退社(江川学博持ち分「全部ヲ江川貫三郎ニ譲渡シテ退社」1912年3月6日付『官報』付録2頁上段〈https://dl.ndl.go.jp/pid/2951968/1/19
  • 1912明治45年、江川活版製造所商号登記(「日本橋区商号登記簿第10冊第481号」「商号:江川活版製造所」「営業の種類:活版ノ製造販売業」「営業所:東京市日本橋区小網町四丁目三番地」「商号使用者:東京市日本橋区浜町一丁目二番地 西村幸」1912年4月1日付『官報』付録1頁上段〈https://dl.ndl.go.jp/pid/2951989/1/22
  • 1923大正12年4月10日、東京江川活版製造所仙台支店商号新設(「商号:東京江川活版製造所仙台支店」「営業の種類:活字販売業其他附属品一切」「営業所:仙台市東一番町一丁目」「商号使用者:仙台市東一番丁一番地 濟谷川三作」1923年7月18日付『官報』付録13頁上段〈https://dl.ndl.go.jp/pid/2955413/1/27
  • 1923大正12年、江川活版製造所商号新設(「日本橋区商号新設」「商号:江川活版製造所」「営業の種類:活字製造及印刷用諸材料製図販売」「営業所:東京市日本橋区小網町四丁目三番地」「商号使用者:東京市浅草区瓦町二十八番地 深町貞次郎」1923年7月31日付『官報』6頁中段〈https://dl.ndl.go.jp/pid/2955423/1/21

従来から『日本全国商工人名録』の記載が1911明治44年第4版あたりから「合名会社江川活版製造所」になっていることに気づいていたのですが、NDL全文検索のおかげで設立年月日が確定しました。

合名会社としての江川活版製造所の解散後、商号登記を行って屋号の維持を図ったようですが、「西村幸」という人物のことについては、現時点では何も判りません。次之進亡きあとの状況として、『本邦活版開拓者の苦心』https://dl.ndl.go.jp/pid/1908269/1/110は「結局親族宇野三郎氏、加藤喜三郎氏等が経営の任にあたった」と記し、二六新報社『世界之日本』掲載の深町貞次郎略歴https://dl.ndl.go.jp/pid/946122/1/331が「明治45年2月同氏没後西村某氏の経営に属し」と記していた点について、後者の説を採った方が良さそうだと言える状態にはなったと思います。後者の情報は、印刷往来社『印刷産業綜攬 昭和12年度版』の深町貞次郎略歴https://dl.ndl.go.jp/pid/1261287/1/141が「(深町氏は)明治28年江川活版製造所に入って傍ら明治45年、西村幸氏の名義を以て斯業を開設したが、大正9年江川活版所主江川次之進氏の歿するや、これを譲り受けて現地に開業経営し」とイマイチ信憑性に欠け、何とも言えない情報でした。

さて、本業とは考えられなかったためか、あるいは代表者ではなかったからか、『本邦活版開拓者の苦心』https://dl.ndl.go.jp/pid/1908269/1/107に全く触れられていなかった「江川次之進の事績」が『官報』の全文検索で新たに見つかりました。

江川活版全盛期と評された明治30年代に、平塚の小林活版石版印刷合資会社設立時、有限責任社員として出資していたのです。逝去に伴って息子の貫三郎が手続き上次之進の出資分を相続し、すぐさま代表社員あて譲渡の手続きを執り行ったことが判ります。

『官報』以外のNDL全文検索で新しく見つかった江川次之進・江川活版製造所の情報

次之進の「信仰心」関連

また『官報』以外の資料をNDL全文検索したところ、『本邦活版開拓者の苦心』が「宗教には深い関心を持ち本願寺へは毎年千五百円宛寄付され」云々と記しているhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1908269/1/110ことの一端が見つかりました。1912明治45年『婦人雑誌』4月号で「故江川次之進殿」と書かれる最期まで、「海岸寺婦人教会永続資金」の寄付を続けていたようなのです(https://dl.ndl.go.jp/pid/1580342/1/12)。

この『婦人雑誌』で検索ヒットする「江川次之進」の情報はほとんど全て「海岸寺婦人教会永続資金」の寄付のことなのですが、1件だけ毛色の違う情報が紛れ込んでいました。次之進の信仰心のことと江川活版製造所の様子が伺えるエピソードで、「散歩に出かけた置時計」とでも言っておきましょう(1896明治29年10月号〈https://dl.ndl.go.jp/pid/1580158/1/16〉)

江川活版「鉄工部/鉄鋼所/機械製作部」関連

明治40年代の工業之日本社『日本工業要鑑』に掲載されている情報を、時系列で並べておきます:

『本邦活版開拓者の苦心』に「明治三十三年築地二丁目十四番地に、江川豊作氏を主任として、且つて築地活版所にいた本林勇吉氏を招聘し、本林機械製作所を開設して、印刷機械の製作にも従事するようになった」とあることについて、今回のNDL全文検索でも「本林勇吉」や「本林機械製作所」では実のある結果が得られませんでした。

諸器械あるいは印刷機械などを製造する「江川活版鉄工部」の存在が1901明治34年印刷雑誌』11月号の名簿https://dl.ndl.go.jp/pid/1499041/1/15によって判明することを「研究ノート」に記していましたが、どうやら鉄工部は1897明治30年6月に創設されたものと考えてよいようです。また「合名会社江川活版製造所鐵工部」という独立した会社が明治43年10月に設立されたわけではなく、これは「合名会社江川活版製造所」として登記された江川活版の鉄工部門という位置づけになるのでしょう。

そう遠くない将来にNDL全文検索で新聞の検索ができるようになって欲しい(できれば大阪紙優先で)

手書きの文字も高精度にOCR認識できていると一部で話題の通り、NDL全文検索で江川行書活字の印刷物もかなり良く認識されていることに驚きました。

葉若茂『新撰日用用文独稽古』奥付(国会図書館デジタルコレクション)

上の画像は2012年頃に「近代デジタルライブラリー」で閲覧できたインターネット公開のNDC816つまり「日本語による「作文書」の類を示す図書分類」に属する資料を人力で虱潰しに調べていった時(「NDC816の江川行書」〈https://uakira.hateblo.jp/entry/20120712〉)に見つけた、「江川行書活字」をメインに使う本を数多く印刷している「堀越市太郎」が手掛けた本(葉若茂『新撰日用用文独稽古』https://dl.ndl.go.jp/pid/866586/1/37)の奥付です。

今回NDL全文検索で「堀越市太郎」をチェックしてみたところ、当時の自分の人力検索に漏れが無かったこと(と同時に、全ての奥付を目で見て拾い出していた「堀越市太郎」本をNDL全文検索で拾い出せること)が確認できて驚きました。江川行書活字なのにOCR認識出来ている!

行書体とはいえ活字の文字なので、純粋な手書き文字よりは楽勝なのでしょう。

NDL全文検索 (ぜんぶんけんさく)サイコー、NDL全文検索 (ぜんぶんけんさく)サイコー、NDL全文検索 (ぜんぶんけんさく)サイコー!

もっとも、苦手な文字もあるようで、人力検索で発見した貴重本、印刷者に江川次之進の名前が出ている綾部武雄『帝国作文大全』https://dl.ndl.go.jp/pid/865074は肝心の江川の名前がOCR認識されなかったらしく、キーワード「江川次之進」ではヒットしませんでした。本文の様々な文字や奥付でも「印刷者」などの読み取りに成功しているだけに、実に惜しいことになっています。

綾部武雄『帝国作文大全』奥付(国会図書館デジタルコレクション)

たまに読み落としがあるとはいえ、行書活字でもこれだけ高精度に読めていることが判ったので、「新聞広告の全文検索」への期待が嫌でも高まります。江川活版や関係会社の事績を跡付けていく作業で、新聞広告の拾い出しがどれほど役立ったか、ほんとうに計り知れないものでした(「江川行書活字と久永其頴書の名刺(付文昌堂)」〈https://uakira.hateblo.jp/entry/20120624〉)。『官報』がこれだけOCR認識できているので、本文の読み取り可能化も勿論期待しています。

各地方で登記公告されていた商業登記の類を検索したいというようなニーズも、そう遠くない近未来に満たされるようになって欲しいと、これは中小企業の歴史研究を手がける人に共通する切実な願望だと思います。

刊行後70年などを区切りにして、新聞各紙がNDL全文検索できるようになって欲しいと大きな声で皆さんご唱和ください。また、横浜毎日をはじめ関東の新聞復刻版は紙ベースで全国各地の図書館が既にそれなりに所蔵していたりしますから、できれば大阪紙優先でというのもお願いしておきたい所存。