日本語練習虫

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中外商業新報等に見られる旧商法期の商業登記DB希求

現在の商法である明治32年法律第48号の成立施行以後、商業登記の公告は官報で追えるようになっていくが、明治23年法律第32号として公布され、その一部が明治26年法律第9号「商法及商法施行条例中改正竝施行法律」によって同年7月1日より施行された「旧商法」による商業登記の公告は、官報には載っていない。
旧商法による商業登記の公告は、ひょっとするとすべてではないのかもしれないが、民間の新聞には見つけることが出来る。
例えば、現在の日本経済新聞の前身にあたる『中外商業新報』の、明治26年7月からのバックナンバー柏書房の「復刻版」第28巻)を見ると、次のような「商業登記公告彙報」状況が解る。

新しく始まったトピックであるためか、紙面中の掲載位置もまちまちで、そもそも連載の通し番号を付け始めるのも第6回から、また管轄裁判所の登記番号であろう号数も4件ほど抜けがあるように思われる。

昨年来、タイポグラフィ学会の江川活版製造所研究会の一員として江川活版のことを丁寧に追いかけたいと考え、色々と調べていく中で、ようやく久永其頴の没年に関する情報を拾い出すことができたのだが、江川活版の最盛期の活動に関する幾つかの疑問が残っている。
三谷幸吉が『本邦活版開拓者の苦心』に記した、支店開設の状況である。
仙台や大阪については、『印刷雑誌』などの広告出稿状況から、ある程度うらづけが取れるのだが、横浜や三国町のことが、全く判らない。また、雑誌広告などに見える京城支店のことも、正確な設立時期などが不明である。
特に支店長がどういう人物であるかを含めてきちんと参照しておきたい京城支店については、旧商法期の設立であろうという見当だけはついている。
旧商法下での江川活版の商業登記公告が『中外商業新報』に掲出されてくれていれば、バックナンバーから探し出せる可能性がある。
実は江川次之進の後妻にあたると思われる女性の情報が明治41年の『大日本婦人録』に江川次之進妻として記録されている。これはおそらく、商業登記の公告から情報を得たのだろうと推測される(明治32年以後の『官報』には、屡「妻」登記が見られる)。江川が旧商法下で京城支店開設の登記をしていれば――『官報』からは次之進死去の頃に為された「解散」の登記を見つけることができている――色々な点を確認できる筈だ。
そう思って探し始めてみたのが、さきほどのリストになる。7月2日付の紙面から始まった「商業登記公告彙報」の掲載を辿って、29巻の途中、10月11日付の第28回、合資会社川崎銀行までの掲載日と掲載会社を拾っていく作業だけで2時間強を費やした。
いつかどこかに江川活版製造所の登記情報が載っているかもしれない、という調査のために、このペースで明治32年まで調べていく作業は、今の自分には無理である。
草野真樹『商業登記公告による会社・企業家・商人データベース構築の方法と意義』や上川芳実『京都府における企業勃興 -旧商法期の「商業登記公告」からの観察』といった経済史研究が行われている今、どこかでこの『中外商業新報』の旧商法期の「商業登記公告彙報」が、先に記したような日付と社名のリストという形態だけでもいいから、既にデータベース化されていたり、現在進行形でデータベース化されつつあったりはしないだろうか。