日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

NDC816の江川行書

このNDC816というのは日本語による「作文書」の類を示す図書分類で、先日来言及している『聚珍録』掲載の江川行書多用例、松下照義『速初成学普通作文独学』(明二八)や江東散史編纂『速初成学日本作文案内』(明三三)が、ここに含まれる。
実は双方とも国会図書館都道府県立図書館に所蔵されていないらしく、検索では見当たらないのだが、逆に、近代デジタルライブラリーでNDC816資料の総数調査を行うことで、新しい資料を見つけ出せる可能性があった。
そこで実際に調査を行ったところ、江川行書多様例を数多く見つけ出すことができた。
その中で最も重要な発見は、既報の通り、やはり江川次之進その人が奥付に印刷者として名を残している『帝国作文大全』(明治二六年一〇月)や『作文必携』(明治二七年一月)ということになる。
後者が出された明治二七年には、江川行書を用いた資料として、江川『作文必携』の他、東京の堀越市太郎が『記事類語作文早学』『記事論説普通作文』など四点を刷っており、『作文独学大全』では角書に「行書活字」と示されているほか、『日本作文書』では扉に「各地方ニテ流行セル久永先生ノ行書活字ヲ以テ印刷」と記されている。
この「各地方ニテ流行」というのは、NDC9類によると大阪から火がついたらしく見えることや甲府、米沢の印刷用例が見られることなどが実態に基づく売り文句であることを証明している。
ともあれ、この堀越市太郎、江川活版製造所が出し続けていた広告に誘われて新規参入したものか、あるいは“求光閣から作文書を出す”という仕事内容からすると江川次之進の一番弟子とでもいった人物であったろうか。想像が広がるものの実態は判らない。
堀越は明治二八年にも「行書活字印刷」の『記事論説作文独稽古』、『作文独習』、『新撰日用用文独稽古』、『はがき作文独案内』、『類語用文早学』と多数の作文書を江川行書で刷っているのだが、実は二九年以降は見かけなくなってしまう。
堀越と入れ替わるようにして出てくるのが、『聚珍録』掲載の江川行書多様例を刷った大島寛治である。
大島は、二八年の『作文早まなび』、『書簡字典』に続き、二九年に『学生必携用文独案内』『大日本逓信用文』を刷り、同年の『新撰普通女子用文独稽古』では「行書専門 大嶋活版所」の大島寛治を名乗っている。
このように短期間に集中的に江川行書多様の作文書が出されている時期に、大阪で「都村氏の草書活字」がデビューし作文書に使われているということも発見したのだが、それはまた別の機会に記すこととしたい。