日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

NDLとCiNiiの徳富蘆花『小説富士』の書誌

国会図書館サーチで福永書店版の徳富蘆花『小説富士』を眺めると、第一巻第二巻がインターネット公開になっているのに、第三巻第四巻が館内+図書館送信限定になっているのは何故だろう。
現物を見てみたら理由が判るだろうかと思って学都仙台OPACを引いてみると、東北学院大学図書館が福永書店版と日本図書センターによる復刻版、蘆花全集刊行会版の三種を持っているようだ。が、なぜ福永版で第一巻が「巻」なのに第四巻が「卷」なのだろう。

不審に思って東北学院大学図書館のOPACを確認してみたが、すべて「巻」になっている。

実はCiNiiの書誌データが、この「少し不思議」の原因だったようだ。

なるほど、学都仙台OPACのような複数館の横断検索にはNACSIS-CATが活用されているのだな――少なくとも学都仙台OPACの場合はそのようだ――と実感できた出来事だった。



それはともかく、東北学院大図書館所蔵の福永書店版を眺めると、NDL書誌にある通り、徳富蘆花・愛(愛子)夫妻の他に著作者であるような人物の関与は認められない。なぜ、第一・二巻がインターネット公開で、第三・四巻が館内+図書館送信限定なのか。

どうもNDL典拠データベースに理由がありそうだ。

共著者である「徳富愛(愛子)」を見ると、生没年不明で、典拠が『小説富士』の第三巻・第四巻となっている。『小説富士』第一巻と第二巻、そして『日本から日本へ』などは見て見ぬふりをして「インターネット公開」、生没年不明な著作者の典拠データとなってしまった『小説富士』第三巻と第四巻を「館内+図書館送信限定」にしたのだろう。

コトバンク「美術人名辞典」による徳富愛子の情報は雅号などにどの程度裏付けがあるのか不明だが、公益財団法人蘇峰会の年譜記載や、蘇峰が記したという愛子の墓誌(東京都立蘆花恒春園にあるという)を見る限り昭和22年(1947)没というのは間違いないようだ。
従って、『小説富士』は、「インターネット公開」ステータスにしても全く問題がない。
NDLの著作権担当の方へは『小説富士』のステータス変更、典拠情報担当の方へは徳富愛(愛子)の典拠情報追記をお願いしたい。



2014/12/06追記:半年近く経過して、コトバンクの『20世紀日本人名事典』には徳冨愛子の生年月日と没年月日、略歴が丁寧に採られていると気づいたので、改めてNDL典拠情報のフォーム送信を実行した。