2018年11月、人生初コズフィッシュ訪問の際――今のところ再訪はできていないのですが――、祖父江慎さんが複本でお持ちだった夏目漱石『鶉籠 虞美人草』(縮刷版合本、春陽堂)95版を頂戴しました。
#神保町ブックフェスティバル で工作舎ブースへの紙型補充を待つあいだ本の雑誌社ブースに出かけて『拡大版 絶景本棚』を購求。2015年に取材されたコズフィッシュの本棚が載っている。昨日は、まさかの、祖父江 @sobsin さんが複本でお持ちだった『鶉籠 虞美人草』95版のうち1冊を頂戴してしまった! pic.twitter.com/VDrQeDmXqB
— UCHIDA Akira (@uakira2) November 5, 2018
chihariro氏のブログ「紙の海にぞ溺るる」の記事「夏目漱石『鶉籠 虞美人草』」によると、この清水康次「単行本書誌」に基づく「書誌の上では最後の版」である95版に発行日違いのものがあり、更に後の版をお持ちの方もおいでであるということですが、今回のテーマは初期の版に用いられた本文活字のこと。
漱石『鶉籠 虞美人草』初期の版の本文活字を「都式六号活字」と断ずる所以
コズフィッシュ訪問時、
この『鶉籠 虞美人草』初版は、行長を測ると52字詰で130mm強、つまり本文活字サイズが7.1pt強になっているという、なかなか厄介な相手。紙が伸びちゃった?!と、祖父江さんと二人で頭に「?」を浮かべていたのだけれど。 pic.twitter.com/3yd8bWX0Xp
— UCHIDA Akira (@uakira2) November 6, 2018
実は当日気づいていなかった大事なことが2つありました。1つは、これが「都式六号活字」つまり私が9.5ptであると考えている「都式活字(新聞の本文用サイズ)」の4分の3である大きさの活字であろうという可能性。これは訪問の2日後になってから気がついて一人で驚き、また納得したものでした。
今になって冷静に考えてみたら、春陽堂『鶉籠 虞美人草』初版は本文が「都式活字=9.5pt」の3/4である7.125pt(仮称都式六号活字)で、ルビは9.5ptの1/2である4.75pt(仮称都式七号活字)ってことだ!
— UCHIDA Akira (@uakira2) November 6, 2018
(7.125pt×52文字≒130.2mm) pic.twitter.com/Vfx5SyCSNy
縮刷合本『鶉籠 虞美人草』初版は本文が「都式活字=9.5pt」の3/4である7.125pt(都式六号活字)で、ルビは9.5ptの1/2である4.75pt(都式七号活字)だ――と考えれば、本文活字サイズ7.125pt×1行52文字≒130.2mmですから、実測値に矛盾がありません。基本活字である9.5pt相当の都式活字と同ルビ活字は
当時も頭の片隅では気がついていたつもりだったのに明確に意識できていなかったもうひとつの大事なことは、大正2年の時点では少なくとも東京築地活版製造所が7ポイント活字の開発にまで至っていなかったということです。2017年の「新聞活字サイズの変遷史戦前編暫定版」に記したように大正2年の段階では新聞の本文活字サイズは9ポイントよりも小さいサイズになっておらず、大正3年に築地活版が発行した総合見本帖『活字と機械』に掲載されているのは初号から七号までの号数活字と四号活字の縦横半分サイズである新七号活字、そしてポイント系では基本の活字として36、28、24、20、18、16、14、12、10、9、8、6pt活字、ルビ用の仮名活字として8、6、5、4.5、4pt活字のみとなっています。
この時期に和文ポイント活字の開発・販売で最も先行していたのは築地活版でしたから、そもそも7pt活字は選択肢として挙がらない存在だったのです。
近代文学の資料となる書誌事項という場では活字サイズのおよその目安として「7ポイント活字」としても大勢に影響はないと思いますが、
漱石『鶉籠 虞美人草』奥付の製版者情報はいつまで掲載されていたか
2018年11月6日付の
清水康次「単行本書誌」では「印刷所」情報としてまとめて「松藤善勝堂整版・川崎活版所印刷」と注記されているのですが、
都式活字の開発者である松藤善勝堂の名が奥付に掲載されるのは、この第8版までだったのでしょうか、あるいはもっと後の版まで続いていたでしょうか。漱石『鶉籠 虞美人草』をお持ちの方、あるいはお近くの図書館で参照可能という方、奥付の情報をお教えいただければ幸いです。
ちなみに、本文に都式六号活字を用いている家蔵の第22版(
漱石『鶉籠 虞美人草』の本文活字はいつまで「都式六号活字」だったか
清水康次「単行本書誌」では
祖父江さんから頂戴した95版は冒頭に記した通り
本文を見ると、活字サイズが正確には「8ポイント活字」よりも少し小さい「秀英六号」活字であり、また少なくとも仮名の書風は大正3年見本帖以前の(仮称)「秀英前期六号」の活字が使われているようです。
「都式六号活字」が本文に使われていたのは、第87版までだったのでしょうか、あるいはもっと前の版で「都式六号活字」から「秀英前期六号活字」に切り替わっていたのでしょうか。漱石『鶉籠 虞美人草』をお持ちの方、あるいはお近くの図書館で参照可能という方、ご教示いただければ幸いです。
2024年5月23日追記:
宮城県図書館蔵『鶉籠 虞美人草』を現認しました。OPACでは出版年「1918」、価格「¥1.70」となっていますが、これは別の館で入力された書誌データがそのまま引き継がれてしまったもののようです(204年5月23日現在:https://www.library.pref.miyagi.jp/wo/opc_srh/srh_detail/9910800122 )。現物の奥付は出版年月日「