日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

夏目漱石『鶉籠 虞美人草』(縮刷版合本、春陽堂)は初版以降いつまで本文が「都式六号活字」で刷られていたのか製版者情報はいつまで掲載されていたか知りたい話

2018年11月、人生初コズフィッシュ訪問の際――今のところ再訪はできていないのですが――、祖父江慎さんが複本でお持ちだった夏目漱石『鶉籠 虞美人草』(縮刷版合本、春陽堂)95版を頂戴しました。大正141925年6月25日発行で、清水康次「単行本書誌」(『定本漱石全集 第27巻 別冊下』〈岩波書店、令和2年、https://www.iwanami.co.jp/book/b492587.html〉)に記された最後の版になります。

chihariro氏のブログ「紙の海にぞ溺るる」の記事「夏目漱石『鶉籠 虞美人草』」によると、この清水康次「単行本書誌」に基づく「書誌の上では最後の版」である95版に発行日違いのものがあり、更に後の版をお持ちの方もおいでであるということですが、今回のテーマは初期の版に用いられた本文活字のこと。

漱石『鶉籠 虞美人草』初期の版の本文活字を「都式六号活字」と断ずる所以

コズフィッシュ訪問時、大正21913年12月10日発行の『鶉籠 虞美人草』初版本も見せていただき、更に行長の計測もさせていただきました。清水康次「単行本書誌」によると「本文7ポイント、パラルビ」という仕様とされていますが、実測した行長は52字詰で130mm強。つまり本文活字サイズは計算上7.1pt強という具合に見えます。7.0pt活字52字であれば行長が128mmに収まっていなければ不自然。

実は当日気づいていなかった大事なことが2つありました。1つは、これが「都式六号活字」つまり私が9.5ptであると考えている「都式活字(新聞の本文用サイズ)」の4分の3である大きさの活字であろうという可能性。これは訪問の2日後になってから気がついて一人で驚き、また納得したものでした。

縮刷合本『鶉籠 虞美人草』初版は本文が「都式活字=9.5pt」の3/4である7.125pt(都式六号活字)で、ルビは9.5ptの1/2である4.75pt(都式七号活字)だ――と考えれば、本文活字サイズ7.125pt×1行52文字≒130.2mmですから、実測値に矛盾がありません。基本活字である9.5pt相当の都式活字と同ルビ活字は明治351902年1月に『都新聞』紙上で使用が開始され、また明治381905年10月の紙面から「都式六号活字」の使用が開始されています。

当時も頭の片隅では気がついていたつもりだったのに明確に意識できていなかったもうひとつの大事なことは、大正2年の時点では少なくとも東京築地活版製造所が7ポイント活字の開発にまで至っていなかったということです。2017年の「新聞活字サイズの変遷史戦前編暫定版」に記したように大正2年の段階では新聞の本文活字サイズは9ポイントよりも小さいサイズになっておらず、大正3年に築地活版が発行した総合見本帖『活字と機械』に掲載されているのは初号から七号までの号数活字と四号活字の縦横半分サイズである新七号活字、そしてポイント系では基本の活字として36、28、24、20、18、16、14、12、10、9、8、6pt活字、ルビ用の仮名活字として8、6、5、4.5、4pt活字のみとなっています。

この時期に和文ポイント活字の開発・販売で最も先行していたのは築地活版でしたから、そもそも7pt活字は選択肢として挙がらない存在だったのです。

近代文学の資料となる書誌事項という場では活字サイズのおよその目安として「7ポイント活字」としても大勢に影響はないと思いますが、活字史家type historianの立場からは「都式六号活字」であると記しておきます。

漱石『鶉籠 虞美人草』奥付の製版者情報はいつまで掲載されていたか

2018年11月6日付の吹囀tweet添付画像に示されているようにhttps://twitter.com/uakira2/status/1473620822917283845、初版本の奥付には「印刷者 川崎活版所 川崎佐吉」「製版所 松藤善勝堂」と記されていました。

清水康次「単行本書誌」では「印刷所」情報としてまとめて「松藤善勝堂整版・川崎活版所印刷」と注記されているのですが、大正31914年6月5日発行の第8版でも同様の記載があったようで、大正71918年6月30日発行の第40版では「川崎印刷所」単独表記となっているようです。

都式活字の開発者である松藤善勝堂の名が奥付に掲載されるのは、この第8版までだったのでしょうか、あるいはもっと後の版まで続いていたでしょうか。漱石『鶉籠 虞美人草』をお持ちの方、あるいはお近くの図書館で参照可能という方、奥付の情報をお教えいただければ幸いです。

ちなみに、本文に都式六号活字を用いている家蔵の第22版(大正51916年12月20日発行)では松藤の名が消え去っています。

漱石『鶉籠 虞美人草』第22版奥付
漱石『鶉籠 虞美人草』第22版「坊っちやん」冒頭(本文都式六号活字)

漱石『鶉籠 虞美人草』の本文活字はいつまで「都式六号活字」だったか

清水康次「単行本書誌」では大正101921年2月20日発行の第62版(印刷者「川安印刷所」)や大正11年10月15日発行の第66版(印刷者同)までは初版と同じ活字を本文に用いていたようで、後版のちはんの目印が付されている大正131924年6月3日発行の第88版以降で「活字は8ポイントと少し大きくなり、字数行数も変わ」り、「一部誤植が正されている箇所がある」状態だと書かれています。

祖父江さんから頂戴した95版は冒頭に記した通り大正141925年6月25日発行のもので、印刷者は「単行本書誌」記載の通り日東印刷。

漱石『鶉籠 虞美人草』第95版奥付
漱石『鶉籠 虞美人草』第95版「坊っちやん」冒頭(本文秀英前期六号活字)

本文を見ると、活字サイズが正確には「8ポイント活字」よりも少し小さい「秀英六号」活字であり、また少なくとも仮名の書風は大正3年見本帖以前の(仮称)「秀英前期六号」の活字が使われているようです。

「都式六号活字」が本文に使われていたのは、第87版までだったのでしょうか、あるいはもっと前の版で「都式六号活字」から「秀英前期六号活字」に切り替わっていたのでしょうか。漱石『鶉籠 虞美人草』をお持ちの方、あるいはお近くの図書館で参照可能という方、ご教示いただければ幸いです。



2024年5月23日追記:
宮城県図書館蔵『鶉籠 虞美人草』を現認しました。OPACでは出版年「1918」、価格「¥1.70」となっていますが、これは別の館で入力された書誌データがそのまま引き継がれてしまったもののようです(204年5月23日現在:https://www.library.pref.miyagi.jp/wo/opc_srh/srh_detail/9910800122 。現物の奥付は出版年月日「大正31914年4月15日」発行の第7版という表記があり(初版から第6版までの年月日は95版奥付と同じ)、価格は1円50銭、印刷者:川崎佐吉(川崎活版所)と製版所・松藤善勝堂の名が併記されています。本文はもちろん都式六号活字。