東京大学大学院法学政治学研究科附属近代日本法政史料センター(明治新聞雑誌文庫、原資料部)のウェブサイトに掲載されている、2024年4月10日付の最新情報「【おしらせ】国書データベースで明治新聞雑誌文庫資料(2023年5月公開 125点、2024年4月公開『有喜世新聞』、『大阪新聞』)が画像公開」(https://www.meiji.j.u-tokyo.ac.jp/n_20240410.html)によると、「2024年4月に公開となりました『有喜世新聞』は、当文庫所蔵分に加え、欠号、虫損箇所などを本学総合図書館所蔵資料から補い、創刊号から全号欠号なく公開となります。」という実にありがたい内容となっています。
2020年1月29日に公開された古谷昌二氏のブログ「平野富二とその周辺」の記事「国内外の博覧会と活字・印刷機出品(その2)」で言及されている、明治14年11月26日付『有喜世新聞』に掲載されたという弘道軒神崎正誼と(築地活版製造所)「平野富二との間でひと悶着」の記事、これを実見するには明治新聞雑誌文庫に郵便複写依頼をするのがいいか念のため前後の日付も確認した方がいいかもしれないので現地で閲覧させていただくべきかと迷いつつ実行できずにいたのですが。
何と先方からこちらに(全世界に)歩み寄ってきてくださいました!!!
東京大学大学院法学政治学研究科附属近代日本法政史料センター明治新聞雑誌文庫,一般デジタル,Z2-4-3の、DIG-TOKY-03776(有喜世新聞1151-1175号 https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100456452/)に含まれている、明治14年11月26日付『有喜世新聞』2面(デジタル49コマ https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100456452/49?ln=ja)のダウンロード画像から当該記事部分(上・中段)を切り出して掲出しておきます。
この噂話のあと、神崎正誼は実際に平野富二を訴えたりしたんでしょうか。
明治15年4月7日付の日記に田中千弥が記した〈「築地活版平野富二」と「弘道軒神崎正誼」との間に生じた「葛藤」について「公裁」が仰がれ、上野景範と松田道之が小室樵山へ仲裁を依頼した結果(小室の代理人となった斎藤謙二の働きもあって)両社は和解した〉というような話(「平野富二と神崎正誼の葛藤を小室樵山が仲裁?」https://uakira.hateblo.jp/entry/20160216)との辻褄はどのような具合になっているのでしょうか。
2024年5月21日付で旧表題「2024年4月より国書データベースで『有喜世新聞』を全号デジタル画像公開してくださってありがとうございます!(明治14年秋神崎正誼は平野富二を訴えたか?)」から新表題「2024年4月より国書データベースで明治新聞雑誌文庫他蔵『有喜世新聞』を全号デジタル画像公開してくださってありがとうございます!(明治14年秋神崎正誼は平野富二を訴えたか?)」に変更しました。