秀英舎の六号明朝活字の仮名書風の変遷――現時点までに分かっている範囲では全部で三段階だったと思われる――を辿れる資料がすべてウェブ資源化されたので、備忘のため記しておきます。
築地六号型(明治19年築地活版「新製見本」型)
まだ少なくとも仮名の書風について「秀英舎の六号」とは言えない時期の六号活字。推定明治29年発行の秀英舎鋳造部製文堂『活字類見本 未完成』(横浜市歴史博物館小宮山博史文庫蔵)に掲載されています。小宮山博史文庫仮名字形一覧にて閲覧可能(https://www.rekihaku.city.yokohama.jp/katsuji/jikei/data_katsuji/001018940/)。
秀英前期六号
上記「築地六号型」を基本に、「と」「か」「し」などを独自のものに置き換えたもの。現時点では、便宜上「秀英前期六号」と呼ぶことにしたいと考えています。明治36年発行の秀英舎製文堂『活版見本帖』に掲載されているもの。Internet Archiveで閲覧可能(https://archive.org/details/seibundo1903specimen/page/n331/mode/2up)。「築地六号型」からの切り替わりの時期は判っていません。
秀英後期六号
上記「秀英前期六号」に色濃く残る築地六号の書風を脱し、全面的に秀英舎書風へと改めたもの。現時点では、便宜上「秀英後期六号」と呼ぶことにしておきたいと考えます。従来は、これのみを「秀英六号」と称するべきと思っていました。「秀英前期六号」からの切り替わりの時期は判っていません。大正3年発行の秀英舎製文堂『活版見本帖』に掲載されているもので、大日本印刷株式会社/市谷の杜 本と活字館「秀英体・活版印刷デジタルライブラリー」で閲覧可能(https://archives.ichigaya-letterpress.jp/library/items/196c01948e81?target=eyJpZCI6Imh0dHBzOi8vYXJjaGl2ZXMuaWNoaWdheWEtbGV0dGVycHJlc3MuanAvYXBpL3ByZXNlbnRhdGlvbi8zLzE5NmMwMTk0OGU4MS9jYW52YXMvMTAjeHl3aD0yMDM4LDEzNjAsMTM1OSwxMzU5IiwidHlwZSI6IkNhbnZhcyIsInBhcnRPZiI6W3siaWQiOiJodHRwczovL2FyY2hpdmVzLmljaGlnYXlhLWxldHRlcnByZXNzLmpwL2FwaS9wcmVzZW50YXRpb24vMy8xOTZjMDE5NDhlODEvbWFuaWZlc3QuanNvbiIsInR5cGUiOiJNYW5pZmVzdCJ9XX0)。
秀英六号活字の大きさ
これまで「秀英初号明朝フェイスの秀英舎(製文堂)製初号ボディ活字と42ptボディ活字」などあちこちに記してきた通り「秀英五号」活字の大きさは3.65-3.67mm程度(10.4pt程度)だったものと考えているのですが、「秀英六号」活字の大きさも「秀英五号」の4分の3程度、つまり7.8pt程度の大きさだったものと考えています。
8.0ptよりも小さかったことは確かですが、実際に7.75ptから7.85pt程度の範囲のどのあたりが定格サイズだったのか、まだ十分に検討出来ていません。