「早々と明治39年5月から築地9ポイント活字を用いた読売新聞は「字が小さすぎる」苦情への対応として築地10ポ・9ポ半明朝活字を採用せず明治42年正月から都式活字へ乗り換えるが…」で予告した、「都式活字」と築地9ポ半明朝活字の乱雑混植について、項を改めてここに記しておきます。
上述記事の明治43年原紙に関する注釈で、本文の基本活字が「都式活字」であることと、そこに築地9ポ半が乱雑混植状態になっていることに触れました。
1面冒頭、「た」「に」「り」「る」など幾つかの仮名において、少なくとも2種類の書体が混ざっている状態であることがご覧いただけるでしょう。
『明治・大正・昭和の読売新聞CD-ROM』でざっくり目視――朝刊1・2面をプリントアウト確認――した感触では、どうやら明治42年2月27日から少なくとも平仮名「り」「る」で築地9ポ半活字の乱雑混植が始まっているようです。
明治43年12月14日朝刊1面で使われている仮名を一通り拾い出してみたところ、非常に多くの字種で乱雑混植状態でした。
「に」だけ3種類の活字が使われていますが、これは「都式活字」A型仮名とB型仮名、そして築地9ポ半という、珍しい組み合わせになってしまったもののようです(「『都新聞』と同附録『都の華』に見える「都式活字」A型仮名とB型仮名、そして松藤善勝堂が1910年代に印刷した雑誌・書籍に見えるABブレンド型仮名」)。
この頃の『都新聞』『読売新聞』紙面によって、「都式活字(都式新活字)の大きさを9ポイント7分5厘(9.75pt)ではなく9ポ半(9.5pt)相当と判断する理由」の大きな判断基準がひとつ増えました。「9ポ半相当」という少し含みのある表現ではなく、9ポ半と言い切ってもよいでしょう。
なお、『明治・大正・昭和の読売新聞CD-ROM』でざっくり目視した感触では、どうやら大正6年2月27日まで都式メインの本文活字に築地9半ポを混ぜるという状態だった本文活字が、2月28日のみ築地メインになっていました。翌日(大正6年3月1日)から9ポ仮名付活字に切り替えたと見られる読売で、なぜたった1日だけ築地9ポ半メインの紙面を組んだのか、そのあたりの事情は全く解りません。