教科書的な現代日本文には出現しない、「あ゛」「い゛」「う゛」「え゛」「お゛」など濁点つきの仮名文字。その一バリエーションに、「ま゛」といふパターンがあり、横山光輝原作のSFロボット特撮『ジャイアントロボ』が発する声を表すものとして定着してゐる。
ウェブの素人QA系情報では、この《ジャイアントロボの「ま゛」》に関して下記三作品(または三作品のうち「パイレーツ」と「軽シン」の二作品)が言及されるお約束になってゐる模様なんだども、裏付けのない不正確な話が繰り返されてゐる。
まずはじめに再確認しておきたいのは、「天才」江口が描いたのは「ま゛」ではないといふ事実だ。
ジャプコミックス版の第6巻「翼なき野郎どもの巻」(JC336、雑誌43014-93、1980年5月15日初版第一刷発行)冒頭に収録された「朱にまじわれば!?の巻」に出てくる「じゃーやんと・ロボ」は「ま!!」と応答する。「ま゛!!」ではない。
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次に見ておく必要があるのは、「軽シン」と「シネ倶楽部」の基礎情報だらう。ネット上できちんと記したものがゴミの中から拾い出せないでゐるので、念のため記しておかう。
「ま゛」が出て来るのは、たがみよしひさ『軽井沢シンドローム』第七巻(昭和五九年一二月一日初版第一刷発行)(asin:4091804772)Part.13「海は恋してる」と、細野不二彦『あどりぶシネ倶楽部』(昭和六一年九月一日初版第一刷発行)(asin:4091811612)Scene.2「スタア誕生」なんだども。
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さて、この、どちらが先に掲載誌に描かれてゐただらうか。
共に小学館『ビッグコミックスピリッツ』に載った作品で、「軽シン」は人気連載。「シネ倶楽部」は読み切りが何度か断続的に載ったものだ。
最近でこそ何年何号に載ったといった情報が奥付に記されたりするんだども、当時の単行本に、さういった付帯情報は無い。
ともあれ「軽シン」は人気連載だったわけだから、おそらくは昭和五八年から五九年にかけての「スピリッツ」を見れば、「海は恋してる」に行き当たることが確実で、問題は「シネ倶楽部」。試しに「ビッグコミックスピリッツ 昭和58年 あどりぶシネ倶楽部」で検索すると、かつて「日本の古本屋」に販売登録があった昭和五八年三月三十日号に、どの話かは判らないんだども細野不二彦「あどりぶシネ倶楽部」読切といふ情報が記載されてゐる。
昭和五十八年三月を中心に見ていけば、たがみと細野の執筆状況を確認できるだらう。――といふわけで、「軽シン」と「シネ倶楽部」の掲載号を確認するため、敢て国会図書館や現代マンガ図書館ではなく、蔵書がPCで検索できてかつ書庫資料の出納を一度に十冊頼める米沢嘉博記念図書館に出かけることにした。
実は米沢嘉博記念図書館の蔵書をウェブで検索すると、昭和五十八年の「スピリッツ」には所蔵漏れの号が見受けられるので、限られた時間をどこでどう使うか、賭である。
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両者の先後について結論を記すと、細野不二彦『あどりぶシネ倶楽部』「スタア誕生」は、『ビッグコミックスピリッツ』昭和五八年八月一五日号に掲載されてゐて、たがみよしひさ『軽井沢シンドローム』「海は恋してる」は同昭和五九年八月三〇日号に掲載されてゐた。
単行本しかチェックしないタイプの読者が知るのは軽シンが先行してゐるんだども、マンガ表現における《ジャイアントロボの「ま゛」》は、細野が一年早い。
以下『あどりぶシネ倶楽部』「スタア誕生」のストーリーについてネタバレあり。
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細野不二彦『あどりぶシネ倶楽部』の第二話「スタア誕生」は、かつて子役として特撮「ジャイアント・X」に主演した男が冴えない大学生活を送ってゐて、ふとした縁で学生映画サークルの作品に出演を果たした後に退学して父の会社を継ぐといふ話なんだども。
実は『ジャイアントロボ』の主役草間大作少年役をやった故金子光伸氏には、大企業のサラリーマンとなってゐた一九八三年当時、雑誌企画だった「仮面ライダーZX」の特番を作る際に主役のオファーがあったんだども実現しなかったのだといふ。
なぜ「スタア誕生」が「ジャイアント・X」なのかといふ点については、かうしたエピソードに細野不二彦か担当編集者がインスパイアされたといふ事情があるんぢゃないかと思ひ、またそれゆえ過去の軽シンの小ネタから古いアニメ・特撮好きと推察されるたがみよしひさにも「スタア誕生」はガッツリ刺さる話だったのだらうとも思ふ己。
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さて、マンガ表現における《ジャイアントロボの「ま゛」》としては細野不二彦『あどりぶシネ倶楽部』が一年早いと先に記した己なんだども、マンガ家の描き文字ではなく出来合ひの活字を使ふといふ意味でのマンガタイポグラフィ表現における《ジャイアントロボの「ま゛」》については管見に入る限りたがみよしひさ『軽井沢シンドローム』が嚆矢。
出来合ひの活字と言っても、最近の「コミック用フォント」などと違って、少なくとも写研のメイン文字盤には無い文字だし、当然と言へば当然だどもworks014さんの資料にある幼児用仮名文字盤にも存在しない。といふか、そもそもPCフォントと違って「濁点のみ」「半濁点のみ」といふグリフが写研の文字盤には存在しないらしく見える。「ま」と濁点の切り貼りか合成・作字などの作業が必要である。
軽シンのセリフを印刷するために、編集者が切り貼りしたのか、写植職人が合成して出力したのか、そのあたりはまったく判らない。
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写研の情報誌『QT』64号(一九八五年六月)では、現在もマンガ写植・マンガDTPの第一線で活躍されてゐる有限会社双葉写植のことが触れられてゐる。
マンガの仕事を多く手がける(有)双葉写植では、ほとんどの書体を揃えるだけでは足りずに、写植文字を加工し、袋文字やシャドーのついた文字をも用意して見本帳を作り編集者の要求にこたえている。これらは指定が来てから加工するのだが、同社の荒井政一工場長は
「以前は加工するのもずい分時間がかかっていましたが、いろいろとやり方を考えましてね。今ではアッという間に加工できるんですよ。そうしないと間にあわないものですから……」
双葉写植さんの「加工」は、書体の変形だけだったのか、字体の変形にも及んでゐたのか。
このあたり、吉田戦車『伝染るんです。』の例の文字の件や、「あ゛」「い゛」「う゛」「え゛」「お゛」等のマンガ表現の「生まれたて」の頃の事例と並べておいた上で、改めて、それがマンガタイポグラフィとして成り立つ際の仕事が「作家」「編集者」「写植職人」等々の、どんな方々のものなのかといふことを知っておきたいといふ欲求が、実は、『アイデア』336号の作文の末尾に記したひとことの大元になってゐる。
再掲しておかう。
マンガ文字、マンガタイポグラフィは、どういった人々が担い手となって発展させてきたのか。これは、いちマンガ読みの立場からは解明しきれない問題です。残念ながら、『週刊少年マガジン』初代編集長も『週刊少年サンデー』編集長もすでに物故されています。マンガ原稿が作られる現場、印刷される現場、書体づくりの現場など、マンガタイポグラフィの現場に携わってこられた方々の経験が記録され伝えられることを願ってやみません。
もっとも、常備してゐない文字グリフについて、文字モノの印刷においても金属活字時代なら木活字を彫って間に合はせたとか、写植時代だって電子活字時代だって作字の必要は無くなってゐないわけなので、印刷担当側がオモテに出る筋合ひは無いといふ職業倫理をお持ちの方々が印刷マンガのタイポグラフィを支えて来られただらうこともまた、十分に予想されるところではある。