日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

#NDL全文検索 を可能にした超絶OCRは「大阪都村活版の草書活字」も文字認識できていてびっくり

たまに漏れがあるとはいえ、江川行書も南海堂行書も篆書活字すらかなりよく認識できることが判ってきたNDL全文検索を支える超絶OCRへの挑戦。今回は大阪都村活版の五号草書活字も認識出来ていることが判明しました。

平野幾次郎『さか野のつみ草』(明治27、内山亀太郎)なんですが、今回初めて目にしたこの本、活字の部分がすべて「大阪都村活版の五号草書活字」で刷られている希少本です。そしてこの印刷者表記(https://dl.ndl.go.jp/pid/872963/1/16)、見てください(※公開資料ではなく送信資料なのでリンクを辿ってご確認ください。)。

ここからちゃんと「都村活版」を拾って検索可能にしてくれちゃってたんですよ!

NDL全文検索 (ぜんぶんけんさく)サイコー、NDL全文検索 (ぜんぶんけんさく)サイコー、NDL全文検索 (ぜんぶんけんさく)サイコー!

ちなみに奥付には五号草書活字(日付住所その他)と二号草書活字(氏名)が使われていますね。

残念ながら、現在のNDL全文検索で拾える「都村活版」のうち、明治30年の段階で「合資会社都村活版製造所」だったことを示す『大阪府統計書』https://dl.ndl.go.jp/pid/807148/1/140と『さか野のつみ草』以外は、すべて香川県丸亀の都村活版の情報ばかりで、ちょっと残念。

大阪都村活版製造所の考案になる草書活字について

1933『印刷文明史』第4巻「青山進行堂の創業 活版製造業者として一大飛躍」https://dl.ndl.go.jp/pid/1821992/1/213より:

青山氏が先づこの久永式行書活字の母型製造を江川氏と特約し、関西一手に之れが普及販売に着目せしは、蓋し氏が活字製造業者として、他日大成功の基であつた、而して青山氏が行書の製造販売を為すに至つて江川活版製造所の大阪支店は閉鎖されしが、当時は江川行書活版印刷所などゝ称する行書専門の印刷所まで起りたる程にて、この行書活字は一般に流行したれば、その売行の極めて良好なりしは云ふまでもないことである。
斯くて青山氏は一方印刷業を経営する傍ら、一方には活字を製造して販売することゝとなり、事業は益々好調を呈した。明治二十九年の八月には又大阪都村氏の草書体活字の母型を造り、行書と草書体活字の供給者となつた

1934『本邦活版開拓者の苦心』「南海堂書体の継承篆書ゴチツクの創始者 青山安吉氏」https://dl.ndl.go.jp/pid/1908269/1/114より:

明治二十八年十一月、炯眼な氏は大望を懐いて、東京江川次之進氏の行書体原字によつて母型を製作し、続いて翌年八月には大阪都村活版製造所の考案になる草書活字の製造をも開始して、行、草両書体の活字を市販する運びとなつた。

このように「大阪都村活版製造所の考案になる草書活字」ということしか手がかりが無かった「大阪都村氏の草書体活字」なのですが。2012年に近代デジタルライブラリー「NDC816の江川行書」https://uakira.hateblo.jp/entries/2012/07/12人力集中探査を行った際に見つけ出した「都村草書」の実用例が、表紙に「新案意匠草書活字」と謳う山本栄次郎『往復自在新活益用文』(明治26、梅原朧曦堂https://dl.ndl.go.jp/pid/866115/1/1)でした。

山本栄次郎『往復自在新活益用文』表紙
山本栄次郎『往復自在新活益用文』「年始の文」

都村活版製造所の都村善平が開発した草書活字を手がけた書家片岡易山の情報求む

これまで文章にしていませんでしたが、都村活版製造所の都村善平が開発した草書活字は、この『往復自在新活益用文』凡例によれば「草書活字は片岡易山氏が流麗優美の筆になりたるものにして特に筆法に意を注ぎたれば其点画と云ひ其筆勢と云ひ恰も肉筆を看るの思あり」というものですhttps://dl.ndl.go.jp/pid/866115/1/3

新体詩林』2号

片岡易山は番付に載るような書家では無かったようで、情報に乏しいのですが、大阪の新体詩社が発行した『新体詩林』第2号(明治18)の版下を書いているようです(早稲田大学図書館古典籍総合データベース:https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he06/he06_04475/he06_04475_p0012.jpg)。

「片岡易山書」というのが特殊な場所に入っているため、不運なことに国文学研究資料館の調査時に写真撮影がされなかったように見えますが、近代書誌・近代画像データベースにはちゃんと「●春の花 龍溪学人 ※「編者曰く右一篇は矢野文雄君が著されたる経国美談より抜萃したるものなり 片岡易山書」と付記。 / 10オ」という注記がありますhttp://dbrec.nijl.ac.jp/BADB_WASDT-00039。素晴らしい!

近代書誌・近代画像データベースでは、『新体詩林』3号http://dbrec.nijl.ac.jp/BADB_WASDT-00040、4号http://dbrec.nijl.ac.jp/BADB_WASDT-00041、6号http://dbrec.nijl.ac.jp/BADB_WASDT-00042の書誌には「○○書」に類する表現が見られません(1号は活版印刷で2号以下が整版とのこと)。早稲田大学図書館古典籍総合データベースでは2号以外が電子資源化されていないため、3号以下の版下筆耕がどのようになっていたか自分の目で見て確認できないところがもどかしい。

2023年1月現在、ちょうど早稲田大学図書館の蔵本に欠けている『新体詩林』5号が日本の古本屋(あきつ書店)に出ているもののhttps://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=146408、この金額では手が出ません……

山本憲『四書講義 上之巻』(明治26年、岡本仙助)

近代書誌・近代画像データベースによると、国会図書館https://dl.ndl.go.jp/pid/755955/1/2に欠けている漢文の「自序」が長崎県立長崎図書館本http://dbrec.nijl.ac.jp/BADB_NGSK-01038にはありhttps://base1.nijl.ac.jp/~kindai/img/NGSK/NGSK-01038/NGSK-01038-03.jpg、「癸巳立春日大阪山本憲梅崖氏叙 片岡易山書 *漢文。影印。」と注記に拾われています。

池田市木部町「下村高清顕彰碑」

池田市ホームページからダウンロード可能な「池田市の歴史文化」(PDF:https://www.city.ikeda.osaka.jp/material/files/group/29/h29_rekishibunkakihonkousou_2.pdf)によると、池田市木部町「紀部神社前」にある「下村高清顕彰碑」も「片岡易山書」ということです。

追加情報求む

片岡易山は単なる版下筆耕ではない碑なども揮毫する書家だったようだとは言えそうですが、これ以上の情報は探し出すことができておりません。追加の情報をお持ちの方がいらしたら、ぜひお教えください。