日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

『都新聞』と同附録『都の華』に見える「都式活字」A型仮名とB型仮名、そして松藤善勝堂が1910年代に印刷した雑誌・書籍に見えるABブレンド型仮名

明治41-421908-09年に東京築地活版製造所から中央・読売の本文活字の座を奪った「都式活字」ですが、活字サイズはデビュー時から一定しているように見えるものの――9.75ptと言われるが実際は9.5pt相当と思われる――、仮名の書風が短期間のうちに3段階の変遷を辿っていたようだと判ってきました。

『都の華』および『小波身上噺』に見る「都式活字」の書風変遷

仮称「都式活字」A型仮名

仮称「都式活字」A型仮名は、『都の華』52号〈明治351902年2月25日発行〉から55号〈明治35年5月4日発行〉まで使われていました。『都新聞』本紙では、初めて「都式活字」が採用された明治351902年1月28日から、6月1日までの略4か月間使われたものです。

『都の華』54号に見える仮称「都式活字」A型仮名

仮名セットだけを見ていると特徴的な「あ」「な」「も」「る」等に目を奪われてしまいますが、「中央新聞が明治38年に本文活字として採用した東京築地活版製造所の9ポイント明朝活字」が従来の前期五号や後期五号の書風とだいぶ離れたものになっていることと比べると、これ以前の『都新聞』が本文に用いていた築地前期五号書風のスタイルを本家よりも濃く受け継いでいると感じられます。

仮称「都式活字」B型仮名

仮称「都式活字」B型仮名は、『都の華』56号〈明治3519027月22日発行〉から最終73号〈明治36年12月発行〉まで使われていました。『都新聞』本紙では明治351902年6月3日から、「都式活字」の最終使用日となる大正61917年11月30日まで使われたものです*1

『都の華』71号に見える仮称「都式活字」B型仮名

一見すると「築地体後期五号書風」だと感じられますが、明治411908年11月3日から『大阪毎日新聞』本文での使用が始まった築地10ポイント明朝活字や、明治421909年2月11日から『東京日日新聞』本文での使用が始まった築地9.5ポイント明朝活字とは、異なる書体です。

明治末から大正半ばの新聞を見慣れた方にとっては、仮称「都式活字」B型仮名が、都式活字の姿として定着しているのではないかと思います。

仮称「都式活字」ABブレンド型仮名

明治431910年に松藤善勝が逝去した際に松藤善勝堂を引き継いだのが、木戸善輔です。二六新報社『世界之日本』(大正101921年)に書かれている略伝の通りhttps://dl.ndl.go.jp/pid/946122/1/359、木戸は松藤と共に「都式活字」の開発にあたった人物でした。なお、合資会社松藤善勝堂設立の登記で大正10年5月5日付『官報』付録4頁上段https://dl.ndl.go.jp/pid/2954741/1/24に掲げられている木戸の名は「木戸善助」になっています。

仮称「都式活字」ABブレンド型仮名は、松藤善勝堂が1910年代に自ら手がけた印刷物に見られます。

小波身上噺』に見える仮称「都式活字」ABブレンド型仮名

国会図書館デジタルコレクションをキーワード「松藤善勝」で官報と雑誌を対象として検索して得たリストを見ていたら、「印刷所松藤善勝堂」という並びになっている資料がありました。開いてみると、松藤善勝堂が自ら印刷した「都式活字」の用例だったことが判り、驚きました。

「印刷所松藤善勝堂」となっているのは、大正21913年の日本農業社『日本農業雑誌』9巻8号https://dl.ndl.go.jp/pid/1551563/1/79、9号https://dl.ndl.go.jp/pid/1551564/1/73、10号https://dl.ndl.go.jp/pid/1551565/1/82、11号https://dl.ndl.go.jp/pid/1551566/1/76、12号https://dl.ndl.go.jp/pid/1551567/1/74です。

改めて全資料を対象にして「松藤善勝堂」で検索していくと、次の2点が見つかりました。

本文を見ると、『小波身上噺』と同じ、仮称「都式活字」ABブレンド型仮名で印刷されています。

10年前の吹囀ツイートにも記しましたが、国会図書館蔵本『小波身上噺』は奥付が欠けているので、現在でも国会図書館デジタルコレクションをキーワード「松藤善勝堂」で全文検索しても、拾われることはありません。

また、「都式六号活字」の実用例であると思われる夏目漱石『鶉籠 虞美人草』国会図書館蔵本は64版ということなのでhttps://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I033365238、「製版」担当者であった松藤善勝堂の名が奥付から消えています。そのため国会図書館デジタルコレクションをキーワード「松藤善勝堂」で全文検索しても、拾われることはありません。

報知新聞に使われている都式活字

『新聞総覧』では本文活字を「報知式五號」と称していた『報知新聞』ですが明治44年版:https://dl.ndl.go.jp/pid/897420/1/13大正2年版:https://dl.ndl.go.jp/pid/2390577/1/15、『印刷雑誌大正81919年5月号(印刷図書館蔵)に掲載された匿名子による「都式活字で有名な松藤善勝の偉業」に「所謂都式の名が一時に都鄙を風靡した。先づ之れに垂涎したのは報知新聞で之に改めるに決したのであつたが、爾後多くの新聞が之れに改まり」と記されているように、実際には松藤善勝堂が開発した「都式活字」が使われていました。

大正3年8月23日付『報知新聞』に見える仮称「都式活字」ABブレンド型仮名

少なくとも手元にある大正3年8月23日付『報知新聞』は、今回の分類で言うところの仮称「都式活字」ABブレンド型仮名で印刷されています。

新見ぬゑ(@nue213)さんによる2015年7月8日付吹囀ツイート添付画像4枚目https://x.com/nue213/status/751383152728240128/photo/4の雰囲気は仮称「都式活字」B型仮名であるようにも感じられ――もう少し精細な画像を拝見したいところ――、『報知新聞』が使用していた「都式活字」に書体の変遷があったのか無かったのか、いつか知りたいところです。

また、他紙の状況も現時点では全く不明と言うほか無く、この記事での整理を足掛かりにして調査の網を広げてくださる方がいらしたら、ぜひお知らせくださいますよう、お願いいたします。

*1:大正6年12月1日付『都新聞』から段制および本文活字の変更が実施され、従来の「都式活字」(9.5pt相当)9段16字詰が、推定8.5pt活字10段16字詰に変更となっています。