日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

大阪森川龍文堂のピンマーク2種と二号宋朝長体活字・初号龍宋体活字

シンプルなⓇマーク

森川龍文堂の商標はシンプルなⓇマークでした。『全国印刷業者名鑑 1922』(https://dl.ndl.go.jp/pid/970397/1/136)や、『印刷美術大観 1932』(https://dl.ndl.go.jp/pid/1187069/1/12)にⓇの商標が掲げられているのを見ることができます。また、国会図書館所蔵の活字類見本帖である『活版総覧 和欧文活字と印刷機械』(1933)の表紙にもⓇマークが掲げられています(https://dl.ndl.go.jp/pid/1209922/1/3)。

森川龍文堂は、『大阪市工場一覧 昭和元年末調』によれば明治35年4月の創業で(https://dl.ndl.go.jp/pid/1264044/1/69)、昭和5年版『大阪市工場一覧』では明治40年の創業となっています(https://dl.ndl.go.jp/pid/1031570/1/165)。
『日本工業要鑑 昭和3年度(第18版)』では創業明治38年6月とされ、店主として森川竹二郎の名があり、購買販売係として森川健市の名があります(https://dl.ndl.go.jp/pid/1077333/1/427)。『全国工業人名録 昭和3年用』では社長の名が武二郎となっています(https://dl.ndl.go.jp/pid/8312056/1/1502)。

『人事興信録 第11版(昭和12年) 下』では森川健市のことを「大阪府人森川竹次郎の長男にして明治三十年十一月出生昭和五年家督を相続す森川龍文堂と称し活字製造業を営む」としているので(https://dl.ndl.go.jp/pid/1072938/1/1027)、創業者はタケジロウ(武二郎または竹二郎または竹次郎)で健市は二代目社長だったようです。

試しに「武次郎」で検索してみたら大正14年大大阪営業名鑑』には「森川瀧文堂森川武次郎」とあり、何が何やら(https://dl.ndl.go.jp/pid/1017404/1/65)。『全国印刷業者名鑑 1922』では「森川龍文堂活版製造所 森川武次郎」です(https://dl.ndl.go.jp/pid/970397/1/107)。

ピンマーク「Ⓡ」の二号宋朝長体活字

少し前にピンマークⓇの二号宋朝長体活字を入手していたので、横浜市歴史博物館2022年度企画展「活字 近代日本を支えた小さな巨人たち」(https://www.rekihaku.city.yokohama.jp/katsuji/)の展示用に貸し出しさせていただきました。名刺用紙への印刷は、せんだいメディアテーク活版印刷研究会によるものです。

森川龍文堂「Ⓡ」マークの二号宋朝長体活字(謹賀新年)とその印刷見本
森川龍文堂「Ⓡ」マークの二号宋朝長体活字(謹賀新年)とその印刷見本〈「年」の字にピンマークⓇ〉

各サイズの宋朝長体活字が揃って披露された広告を、『印刷美術年鑑 昭和8年版』(1933)で見ることができます(https://dl.ndl.go.jp/pid/1208644/1/70)。

ピンマークⓇの初号龍宋体活字

少し前にピンマークⓇの初号龍宋体活字を入手していたのですが、“正月用語”ではなかったため、企画展への貸し出しはしませんでした。

森川龍文堂「Ⓡ」マークの初号龍宋体活字(斜め方向)
森川龍文堂「Ⓡ」マークの初号龍宋体活字(ピンマーク正面方向)

各サイズの龍宋体活字が揃って披露された広告を、『皇紀二千六百年記念印刷美術大観』(1940)で見ることができます(https://dl.ndl.go.jp/pid/1685228/1/362)。

ピンマーク「森川龍文堂製」の初号龍宋体活字

同じタイミングでピンマーク「森川龍文堂製」の初号龍宋体活字を入手していたのですが、“正月用語”ではなかったため、企画展への貸し出しはしませんでした。

「森川龍文堂製」初号龍宋体活字(斜め方向)
「森川龍文堂製」初号龍宋体活字(ピンマーク正面方向)

森川龍文堂の活字には、「Ⓡ」のピンマークだけでなく、「森川龍文堂製」というピンマークが刻印されたものもあったのですね。接写で拡大してみると「龍」の最終画が「三」ではなく「テ」になっていると判ります。