「三重丸にK」ピンマーク
ご覧の通り、正確には「外側から太罫・細罫・細罫の三重丸」の6時の位置に「K」の字が収まっている形状です。このような三重丸について、変形輪紋の分類などで半円ならぬ「6分の5円」あるいは「雪印6Pチーズの1個食べた残り」とでもいうような扇型形状を指す用語があったりするでしょうか。
国会図書館デジタルコレクションで戦前の『印刷時報』と戦後の『月刊印刷時報』に出ている広告類をあれこれ眺めていった結果、『月刊印刷時報』152号(1957年1月)掲出の広告によって、これが京都河本精文社の商標だったと判りました(https://dl.ndl.go.jp/pid/11434615/1/91)。『日本印刷関係業者名鑑 1953年版』の広告では単なる「丸にK」ですから(https://dl.ndl.go.jp/pid/2464726/1/185)、この間に改めて制定されたマークということでしょうか。
NDL全文検索「河本精文社」の結果を見ていくと、『京都商工人名録 昭和39年版』に、大正10年創業と記載されていました(https://dl.ndl.go.jp/pid/2505326/1/269)。「精文社」というのは印刷所の名称として全国各地で好んで使われていて、検索語としては不便です。全文検索で古い時期の状況を拾い出すことは出来ませんでした。「河本正男」も重複が多く、全文検索では扱いにくい名前です。
「河本精文」で検索すると、上記「河本精文社」の代表者である河本正男を代表者とする「河本精文堂」を昭和25年創業としている『商工信用録 近畿版 昭和30年度版』が見つかりました(https://dl.ndl.go.jp/pid/2457032/1/225)。なるほど『月刊印刷時報』でも179号(1959年4月)以降は「河本精文堂」という表記に変わっているようです(https://dl.ndl.go.jp/pid/11434642/1/69)。「精文堂」もまた印刷所の名称として全国各地で好んで使われていて、検索語としては不便ですね。
この「河本精文堂」という表記が誤植の類なのか一時的な改名だったのかは判りません。
1960年代以降は京都の「河本精文社」が東京進出に際して「東京河本精文社」を立ち上げるなどしていたようですが、1993年に倒産してしまったようです(https://dl.ndl.go.jp/pid/2886787/1/28)。
現時点で手元にあるピンマーク入り活字のうち、機械彫刻母型によると思われるものは、この河本精文社のものだけです。どういう活字鋳造機を用いたのでしょうか。またマークの彫刻もクッキリ明瞭です。「カスチング」時代とは鋳型の性質が違うということなのでしょうか。製法についてご存じの方がいらしたら、ぜひご教示ください。