日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

石崎博志「宣教師たちはどのような字書をみていたか」を見たのだけれど

長いこと読もう読もうと思っていた石崎博志「宣教師たちはどのような字書をみていたか」(以下「石崎2007」)は、科研費の登録情報では掲載誌が「2007年『琉大アジア研究』 第8号1-16頁」と誤って記載されているのだけれど、実際は2007年12月発行の『琉大アジア研究』 第7号3-19頁だった。

NDLから複写を取り寄せてみて、上記が判明した。

『琉大アジア研究』第7号(2007.12)表紙コピー/NDL複写課メモつき

さて、「はじめに」には次のように書かれている。

本稿は、来華宣教師が漢語学習に際してどのような中国の字書を参照し、欧州に伝えたのか、また、在欧のヨーロッパ人は漢語辞書編纂に際して中国の字書をどのように使ったのかを明らかにすることを目的とする。具体的には、宣教師や在欧の中国学者の著作にどのような中国の字書が引用され、具体的に使用されているのかを紹介し、併せて19世紀時点での欧州各国の中国字書の所蔵状況を紹介する。とりあげる字書は『西儒耳目資』、「海篇類」の字書、『字彙』、『正字通』、『諧聲品字箋』、『五方元音』の諸書である。

各々項目見出しが立てられていて、「§1『西儒耳目資』」(3頁)、「§2 “海篇類の字書”」(3-6頁)、「§3『字彙』『正字通』と宣教師の資料」(6-11頁)、「§4 Antonio Diazと『諧聲品字箋』」(11-14頁)、「§5 “Vocabularium Sinico-Latinum juxta. Ou Fang Iuen In.” と『五方元音』」(14-15頁)となっている。

「宣教師や在欧の中国学者の著作にどのような中国の字書が引用され、具体的に使用されているのか」については、海篇類の字書までは「言及」はあっても「使用」されるものではないとされ、『字彙』『正字通』『諧聲品字箋』の「具体的な使用」状況が示される。

「19世紀時点での欧州各国の中国字書の所蔵状況」については、次の資料に依拠して各地の所蔵状況が示される(カッコ内は引用者による補足)。

  • パリ:Maurice Courant «Catalogue des livres Chinois, Coreens, Japonais, etc. par Maurice Courant». Bibliothèque Nationale. Département des Manuscrits. Tome 1-3. Paris(アクセント記号の有無は、引用元ママ。BnF Gallica〈関連書目のリストはこの第2巻収載〉:https://gallica.bnf.fr/view3if/ga/ark:/12148/bpt6k209141x/f3
  • ローマ:Albert Chan, S.J. "Chinese Books and Documents in the Jesuit Archives in Rome, a Descriptive Catalogue: Japonica-Sinica I-IV" M.E. Sharpe, New York, 2002.(〈Archivum Romanum Societatis Iesu〉:http://www.sjweb.info/arsi/japsin.cfm
  • ベルリン:"Verzeichniss der chinesischen und mandschu-tungusischen Bücher und Handschriften der Königlichen Bibliothek zu Berlin." Gedruckt in der Druckerei der Königliche Akademie der Wissenschaften. 1840(ヴァチカンのリストが「Pellot」ではなく「Takata1995」なのであれば、1840年刊の本書〈Verzeichniss der chinesischen und mandschu-tungusischen Bücher und Handschriften der Königlichen Bibliothek zu Berlin : eine Fortsetzung des im Jahre 1822 erschienenen Klaproth'schen Verzeichnisses〉は「Klaproth1840」ではなく「Schott1840」ではないかと思われる。「注15」として「ほか、18世紀のベルリン王立図書館の所蔵を示す資料として、"Verzeichniss der chinesischen und mandschuischen Bücher und Handschriften der königlichen Bibliothek zu Berlin"(1822)があるが、未見。」と書かれているが、何らかの混同があるのでは?:https://digital.staatsbibliothek-berlin.de/werkansicht?PPN=PPN71773725X&PHYSID=PHYS_0007&DMDID=


そもそも石崎2007を見てみたいと思っていたのは、一昨年の「フランス国立印刷局の漢字木活字調査報告に驚く」にも転記した、2013年頃のツイートに関わっている。

欧米人が明朝体漢字活字を彫り始めていたのは、欧文ローマン体活字とのつりあいがいいからだろう――という一般的な見解に対して、いやいや単に「(手本にされるような)権威ある中文印刷文字が明朝体だった」ってことでしょという斜に構えた(ように見えて、たぶん的を射ている)発想だ。

……だったのだけれども。

色々と突っ込みながら石崎2007を横目に見つつネットサーフィンをしていて、気になる文献を見つけてしまった。

まだ全文をちゃんと読んだわけではないのだけれど、Zhou Yueshan「The westward dissemination of pre-modern Chinese book collections to Europe: The books of Joachim Bouvet」(2020 https://journals.akademicka.pl/relacje/article/download/2514/3459)によると、白晋が太陽王に献上した漢籍康熙帝からの贈答品 で は な い っぽい、という見解になってきてるらしい。マジか!!

官製の印刷所(武英殿)の刊本ではなく、民間の書籍を買って持ち帰ったものが多数――というようなことが判明してきているとか何とか。

さて、石崎2007(「§3.2『字彙』や『正字通』の欧州での所蔵状況」)に、「因みに中国の字書がフランスに入ったのは1667年。ルイ14世の命を受けて北京に入ったJoachim Bouvet(中国名・白晋1656-1730)が49冊の漢籍を持ってきたことによる。その中には『設文解字』、『字彙』、『字彙補』が含まれている。」とサラっと書かれていることの典拠が示されておらず、なかなか悩ましい。

検索してたらMonique Cohen「A Point of history : the Chinese books presented to the National library in Paris by Joachim Bouvet S. J., in 1697」〈白晋が王立図書館にもたらした漢籍〉(『Chinese Culture』vol.XXXI pp.39-48 https://experts.bnf.fr/bibliodetails/37043)という資料の存在に行き当たったんだけど、これってどこかでコピーを得られないものだろうか。