日本語練習虫

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勉誠出版『書物学』第15巻「特集◉金属活字と近代」に「世界史の中の和文号数活字史」という記事を書きました

勉誠出版から2019年4月30日付で刊行される(された)、『書物学』第15巻「特集◉金属活字と近代」に、「世界史の中の和文号数活字史」という記事を書きました。

書物学 第15巻  金属活字と近代

書物学 第15巻  金属活字と近代

特集記事の執筆者とタイトル、そして(「立ち読み版」で確認できる)リード文を掲載順に掲げておきます。

明朝体活字はヨーロッパの東洋学の進展と清国へのキリスト教布教活動が動輪となって開発された。東洋学には対訳辞書の編纂が必要であり、布教には漢訳聖書の出版が不可欠であった。彼らが選んだ書体は伝統的な楷書体ではなく、明代に始まった木版印刷用書体である明朝体であった。

  • 石崎康子「ウィリアム・ギャンブルと横浜」

ウィリアム・ギャンブル(William Gamble、1830-1886)は、1869年11月に来日し、我が国に活字鋳造技術と西洋式活版印刷術を伝えた。その技術は翌年、横浜に伝えられ、その年の年末には活版印刷による日本最初の日刊日本語新聞が刊行された。そして明治初頭、横浜で刊行された印刷物には、美華書館由来の活字を見ることができる。

  • 宮坂弥代生「近代日本の印刷業誕生前史 ガンブルの講習と二つのミッションプレス」

西洋式の金属活字は上海からやってきた。日本語の組み版に使われる活字とその印刷にかかる技術は、キリスト教宣教師が中国に開設した印刷所をへて日本にもたらされたのである。その印刷所と技術移転はどのようなものだったのか。

  • 蘇精「美華書館二号(ベルリン)活字の起源と発展」

美華書館活字販売広告に見られる6サイズの中文活字の開発は欧米人の苦闘の結果であった。本論ではそれら中文活字の開発の起源と発展過程を明らかにし、そのなかでもベルリン二号活字開発の経緯についてギュツラフとの関係を詳細に検討する。

  • 内田明「世界史の中の和文号数活字史」

明治十年代、産業化に成功しつつあった日本の活版印刷事業者が手本とした英米では、活字規格がまだ全国規模では標準化されていなかった。開発の背景が異なる大小様々な欧米系漢字活字群をひとまとめに導入した明治2年の長崎で始まった近代日本語活字が「号数活字」として体系化される過程は、単純な一本道ではなかった。


この特集記事は、ちょうど1年前の今日から7月にかけて横浜開港資料館で開催された企画展「金属活字と明治の横浜」を受けたものです。蘇精先生の記事は、2018年9月に開催された連続セミナー「タイポグラフィの世界」http://www.visions.jp/b-typography/ 特別企画〈東アジアの漢字書体、その現在と未来〉での講演「上海美華書館二号ベルリン製明朝体」の記録になりますが、特集の流れに関係が深く、かつ広く読まれるべきものなので、ここに加わっています。

内田「世界史の中の和文号数活字史」は、2016年10月に仙台卸町TRUNK「あなたの知らない世界 vol.9:めくるめく近代日本語活字の世界」でお話させていただいたところから、――

――2016年12月「立命館明治大正文化研究会」での「近代日本の活字サイズ ―活字規格の歴史性(付・近代書誌と活字研究)」に基づく『近代文献調査研究論集 第二輯』を経て――

――せんだいメディアテーク地下活版印刷工房での1年間の活動を経て「イマココ」という感じのことを短い字数の中に詰め込んだものになっています。

ご高覧とご批正のほど、よろしくお願いいたします。