日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

〈日本で「活字」という語はいつ頃から使われているか、また「Movable Type」の訳語なのか〉問題を掘り下げるためのメモランダム

※2022年4月5日18時追記:長いので、せっかくのセクション見出しを目次として冒頭に並べ、少し読みやすくしてみました。


1. はじまりのQA

印刷博物館 印刷工房のツイッター・アカウントから発信された2022年3月15日付のツイートに、こういうものがありました。

3月5日付、大人のための活版ワークショップにおける「Q. 日本語ではなぜ「活字」という訳語になったのでしょうか?」という質問に対する長文の回答が、4枚組の画像投稿でなされたものです。回答の一部に誤りがあったとして、次のような修正版が16日付で投稿されています(凸版文久明朝体で示されている https://twitter.com/insatsukoubou/status/1503895266113761280 の画像化テキストを、引用者がテキストデータ化)。

A. 海外で活字は「movable type」とも呼ばれています。一度組版した活字は使い終わったら、版を解いて(解版)ばらされます。その後、また新たな版を造るために集められます。何度も組版しては解版する、文字の組み替えが自在にできるその様子から↘

「活きている字」という意味で名付けられた、というのが一般的な通説になります。しかし、実は、日本でいつから活字という呼称が生まれたのか、なぜ活字と呼ばれるようになったのはか、はっきりわかっておりません。弊館の学芸員の調査では、「活字」という呼称が使用され始めるのは↘

幕末~明治初期らしく、その頃にようやくいくつかの文献に見られ始めるそうです。ただ、現在のような市井一般で使用されるような言葉ではなく、一部の文化人、役人などが使用する専門用語に近い使われ方だったようです。意外にも、本木昌造も「活字」という言葉を使用した文献などは残して↘

おりません。「活字」という言葉の由来を示す文献なども現状は見つかっておりません。「活字」が一般的な言葉になっていくのは、1900年代に入ってからではないか、というのが弊館学芸員の見解です。実は大変に深いご質問でした。この件は、今後も継続的に調べていきたいと思います。〈終〉

これに対して、3月下旬以降鍵アカウント運用となっている〈活字中毒〉氏から、「明代にはすでに辞例があったから普通に印刷界隈の古来の一般用語ではないか?」という返信が3月16日の段階でツイートされています(https://twitter.com/yeongsy_han/status/1503895400205492234)。この返信にはデジタル版『漢語大詞典』を引いたものと思われる画像が添付されていて、「活字」という見出し語の釈文の第1は、次のように書かれています。

1. 印刷書籍時所用的一頭鑄著或刻著單個反著的文字或符号,排版時可以自由組合的方柱形物體。宋人畢昇發明。清代以前均以膠泥、木、錫、銅、鉛等材料制成,現代通用的是由鉛、銻、錫合金鑄成。明陸深《金台紀聞》:“近日毘陵人用銅鉛爲活字,視板印尤巧便。”


2. 並行世界にて(1)図書室好きのルームメイツ

「あのね、ロブロイさん、☝こういうお話を見たんだけど、図書委員さんはこんな時にどういう調べ方をするのかしら」

「うーん、〈 日本語ではなぜ「活字」という訳語になったのでしょうか?〉という疑問について、ですか。そうですね、専門用語の話だと考えれば日本印刷学会編『印刷事典』のようにジャンル特化した事辞典類を確認しつつ、〈活字中毒〉さんが『漢語大詞典』をチェックなさったように『日本国語大辞典』にも一応目を通してみる感じでしょうか。そうそう、『印刷事典』は2002年の第5版(https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000003623736-00)などよりも1958年の最初の版(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2526881)の方がいいかもしれません。あと、図書室には『The Oxford English Dictionary』もあったはずです、何といっても英国はわたしたちの競走の故郷ですからね。――といってもライスさん、図書委員は皆さんにこうした〈効率の良い調べ方のヒント〉は提供させていただきますが、〈調べもののお手伝い〉や〈調べて答えを出す〉ようなことは、本来はやっちゃいけないということになっているんですよ。」

「うん、ライス、がんばる」

「元々のQA発信アカウントさんのことを考えれば、通史のうち『印刷博物誌』(2001 https://www.jagat.or.jp/archives/13211)や『日本印刷文化史』(2020 https://www.toppan.co.jp/news/2021/04/newsrelease210428_1.html)の情報は精査済だと思うのですが、「日本における活版印刷の歴史」に関するわたしたちの知識を改めて補強するために、一応、ざっと目を通してみた方がいいかもしれませんね」

わたしたち?」

「図書委員としてのわたしではなく、ライスさんと同じ本好きとしてのわたしも、個人的に掘り下げてみたい話題です。よかったら一緒に調べさせてください。」

「もちろん、喜んで」

「では、明日、図書室で」


3. 本木昌造は「活字」という語を使用した文献などを残していない?

  • 西野嘉章編『歴史の文字 記載・活字・活版』(1996)に寄せられた府川充男「江戸中期国産欧文木活字」(ウェブ版 http://umdb.um.u-tokyo.ac.jp/DPastExh/Publish_db/1996Moji/05/5200.html)中の「本木昌造の長崎町版」の項で、長崎人増永文治・同内田作五郎を書肆として1860年に刊行された『蕃語小引』について、府川氏は「増永文治(義寛)が実は本木昌造に名義を貸していたという史料が存在する」とし、その周辺事情を記しています。この増永文治・内田作五郎刊『蕃語小引数量篇』上巻(京都府立西京商業高校図書館蔵)の凡例末尾には「原語訳字共ニ活字ヲ用フ 今新ニ製スル所ニシテ未タ精ニ至ラス 覧者ノ寛怒ヲ希フ 萬延庚申九月」と記されているようです(http://umdb.um.u-tokyo.ac.jp/DPastExh/Publish_db/1996Moji/05/5500.html)。もっとも、本木昌造の名が『蕃語小引数量篇』に直接記されているわけではありませんし、『蕃語小引数量篇』上巻が天下一本と見られる稀覯本であり当該箇所の影印が紹介されているわけでもないことから資料を確認することができず、「一応参考にしておきましょう(この説を採るとは言ってない)」というような感覚でしょうか。
  • 朗文堂ヴィネット 04 活字をつくる』(2002)の片塩二朗「本木昌造の活字づくり」で102-109頁にかけて現存28葉すべてが影印紹介された長崎市立長崎博物館所蔵『本木昌造活字版の記事』(稿本)について、片塩氏は「①『本木昌造活字版の記事』の著者と筆者」(32-33頁)で当該稿本が本木昌造自身の手になるものと推定しておられます。この『本木昌造活字版の記事』の前文(1葉目:同書102頁)は、ブログ「花筏」の記事「【字学】 わが国活字の尺貫法基準説からの脱却と、アメリカン・ポイントとの類似性を追う*02 〔松本八郎〕 活字の大きさとシステム」(http://www.robundo.com/robundo/column/?p=7642)にも紹介されていて、冒頭が「活字判の便利なる」という書き出しである様子を見ることができます。中ほどにも「活字」の語が見えますね。もっとも、本木昌造の名が『本木昌造活字版の記事』に直接記されているわけではありませんので、「一応参考にしておきましょう(この説を採るとは言ってない)」というような感覚でしょうか。
  • 平野富二が新塾活字製造所の運営を引き受けることとなった後に刊行された『新塾餘談』という小冊子、国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能な初編の「緒言」の丁のオモテ末尾には「新塾餘談と題し毎月一二度活字を以て摺り」(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/825927/2)と記され、ウラに「明治壬申二月 本木笑三誌」の署名が付されています(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/825927/3)。本木昌造ではなく本木笑三というペンネームでの署名だから、「一応参考にしておきましょう(この説を採るとは言ってない)」というような感覚でしょうか。


4. 並行世界にて(2)アンダーリム眼鏡とOEDそして

「『印刷事典』はデジタルさん、《日国》3巻はチヨノオーさんがご覧になっているようなので、わたしたちは『The Oxford English Dictionary』(1933)のvolume VI(L-M)とXI(T-U)を手分けしてチェックしてみましょう」

「うん、ライスはvolume VI(L-M)で“Movable Type”を探してみるね」

「はい、わたしは念のためvolume XI(T-U)で“Type”を見ておきます」

・・・

「Mov... Mova... Move...、あれっ、ロブロイさん、OEDには“Movable Type”が載ってないかも?!」

「“Moveable Type”でも載っていないのかな?」

「「ハヤヒデさんっ」」

「ええと、ええと、volume VIには“Moveable Type”でも載っていません」

「あっ、“Type”の項の9番目、556頁に“moveable type”を含む用例が載ってます」

「でもどうしてハヤヒデさんがここに?」

「わたしたちの母の国の言葉、British Englishの大辞典を二人が調べに来たのが見えたのでね。アメリカだと“Movable Type”と綴るのだけれど、イギリスでは“Moveable Type”なんだよ」*1

「「そうだったんですね」」

「それで、どんな風に書いてあるのかな?」

「はい、“A small rectangular block, usually of metal or wood, having on its upper end a raised letter, figure, or other character, for use in printing.” と書かれている最初の語釈に付随する用例が1713年のもの、1727-41年のもの、そして1751年、1799年、1829年、1849年、1880年と7件採られているんですが、1799年のものとして“A method of printing maps and charts of any size by means of moveable types.”と書かれています。ほかの6件は“moveable”が付かない“types”の用例です」

「なるほど、“Type”とはすなわち、小さく細長い直方体で、通常金属か木で出来ていて、上端にアルファベットや図形あるいは他の文字があり、印刷に使われる、と。用例の方は、〈"Moveable Type"を用いて地図や図表を任意の大きさで印刷する技術〉という感じかな。」

「そういえば、…」

「「デジタルさん?」」

「…1683年にロンドンで出版されて、世界初の活版印刷術指南書と言われるJoseph Moxonの『Mechanick Exercises: Or, The Doctrine of Handyworks Applied to the Art of Printing』では、わたしたちが〈活字〉とか〈type〉って呼びたいものの名前がだいたい全部〈letter〉って書かれているらしいですね(https://books.google.co.jp/books?id=xlJIAAAAYAAJ&hl=ja&pg=PA206-IA2#v=twopage&q&f=false)」

「そう、1713年のWatson『History of the Art of Printing』からの用例が“Christopher Planin .. printed .. that fine Bible .. whose Types were casten and made at Paris.”とあるようだけれど――」

「しかもだよデジタルくん、……」

「「「?!」」」

「……1734年に発行された初代William Caslonの活字見本には、“A SPECIMEN By WILLIAM CASLON, Letter-Founder, in Chiswell-Street, LONDON.”と書かれているんだよねぇ(https://en.wikipedia.org/wiki/File:A_Specimen_by_William_Caslon.jpg)、Type-Founderじゃなくてさ」*2

「――はい、タキオンさん、いま言いかけていたところなんですが、OEDの用例で1727-41年発行のEphraim Chambers『Cyclopaedia』の“Printing”から採られているもの、ここには “The printing letters, characters, or types, as they are sometime called.” と書かれていて、OEDに採られた2つ目の“moveable type”が9.bに出てくる1778年刊V. Knox随想録からの“To trace the art in its gradual progress from the wooden and immoveable letter to the moveable and metal type.” なので、おそらく18世紀初めのイギリスでは、今の日本で〈活字〉と呼ぶものを〈(printing) letter〉や〈(printing) character〉あるいは〈(printing) type〉と呼ぶ、そのあたりが混在していた時期だったように思われますね」


5. 陸深『金臺紀聞』より

早稲田大学図書館古典籍総合データベースで下村正太郎旧蔵本の『説郛』がウェブ資源化されています。『説郛』というのは様々な時代の漢籍を集めた叢書で、早稲田本は明末の崇禎年間(1628-1644)になって陶珽が杭州の宛委山堂から刊行したという120巻本になるようです。この『説郛 続 十二』(第12巻)に陸深《金台紀聞》が収録されています。問題の箇所は103コマ(https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/i12/i12_00006/i12_00006_0128/i12_00006_0128_p0103.jpg)右(十丁ウ)末尾から104コマ(https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/i12/i12_00006/i12_00006_0128/i12_00006_0128_p0104.jpg)右(十一丁ウ)2行目まで。翻刻してみます。

古書多重手抄東坡於李氏山房記之甚辨比見石
林一說云唐以前凡書籍皆寫本未有模印之法人
不多有而藏者精於讐對故往往有善本學者以傳
錄之艱故其誦讀亦精詳五代時馮道始奏請官鏤
板印行國朝淳化中複以史記後漢付有司摹印
自是書籍刊鏤者益多士大夫不複以藏書為意學
者易於得書其誦讀亦因滅裂然板本初不是正不
無訛謬世既一以板本爲正而藏本日亡其訛謬者
遂不可正甚可惜也其說殆可與坡並傳近日毘陵
人用銅鉛爲活字視板印尤巧便而布置間訛謬尤
易夫印已不如錄猶有一定之義移易分合又何取
焉茲雖小故可以觀變矣

中國哲學書電子化計劃Wikiの方(https://ctext.org/wiki.pl?if=gb&chapter=113764)が、句読点つきの分だけまだ判りやすい感じがします(文章を読んで理解できるとは言ってない)

古書多重手抄。東坡於李氏山房記之甚辨。比見石林一說云:唐以前凡書籍皆寫本,未有模印之法。人不多有,而藏者精於仇對,故往往有善本。學者以傳錄之艱,故其誦讀亦精詳。五代時馮道始奏請官鏤板印行,國朝淳化中複以《史記》前後漢付有司摹印,自是書籍刊鏤者益多。士大夫不複以藏書為意,學者易於得書。其誦讀亦因滅裂,然板本初不是正,不無訛謬。世既一以板本為正,而藏本日亡。其訛謬者遂不可正,甚可惜也。其說殆可與坡並傳,近日昆陵人用銅鉛為活字,視板印尤巧便,而布置間訛謬尤易,夫印已不如錄,猶有一定之義。移易分合,又何取焉?茲雖小故,可以觀變矣!

昔は印刷術が無く、唐以前の本はみな写本だった。本を手にするのは大変だった。五代十国時代に官製の整板本が生まれた。書物は入手しやすくなったが、誤りも多かった。最近「毘陵人」が銅や鉛によって活字を作るようになった。――といった感じでしょうか。板本と活字本の流布に対して、校正・修訂の受け止めが違っているように書かれている気がするのですが、わたくしには読み取れません。

崇禎年間(1628-1644)よりも以前に書かれたことは確実なのであろう 『金台紀聞』の著者が、書家で1477年生-1544年没の陸深(https://www.easyatm.com.tw/wiki/%E9%99%B8%E6%B7%B1)であることが間違いないならば、インキュナブラ時代(incunabula:1450年代から1500年12月31日までの間)から半世紀を経ずに「近日毘陵人用銅鉛為活字」と書かれていることが興味深いと思います。ここで言う「毘陵人」というのは、ヨーロッパ人のことでしょうか、西域の人々でしょうか、さて。

※2022年4月7日21時30分追記:末尾に記した2022年4月7日12時30分追記の情報に関連して。当初中國哲學書電子化計劃Wikiの誤記に引きずられて『金台紀聞』の記述を「近日昆陵人用銅鉛為活字」と思い込んでいたため話が脱線してしまったいたのですが、〈ばっと〉氏による当該のご指摘(https://twitter.com/buttaiwan/status/1511887558527307779)にある通り、毘陵は現在の江蘇省常州市の古名ということのようです。とすると、これは張樹棟他『中華印刷通史』第8章第2節3「銅活字印刷」の項(ウェブ版:http://cgan.net/book/books/print/g-history/big5_9/08_2.htm#0823)に「但銅活字何時起源,學術界存在不同的看法。現知最早的銅活字印書活動是在十五世紀末(明朝弘治初年)。當時江蘇的無錫、常州、蘇州一帶有不少富家以銅活字印書,最有名的是無錫華燧的會通館、華堅的蘭雪堂、安國的桂坡館等。」とある、明代の金属活字印刷の動きを記した話ということですね。史梅岑『中国印刷発展史』(1972、第二版)第6章あたりと比べて、『中華印刷通史』では、何と多くの情報が、より整理された形で提示されていることか!


6. 並行世界にて(3)独仏蘭葡から揺籃期本を眺めると

「そういえば、故国ドイツで〈活字〉に相当する語も昔はSchrift(≒character)と呼ぶのが一般的(J. H. G. Ernesti『Die wol-eingerichtete Buchdruckerey』(1721)https://www.digitale-sammlungen.de/de/view/bsb10692625?page=64,65/ Hermann Neubürger『Encyklopädie der Buchdruckerkunst』(1844)201頁 https://books.google.co.jp/books?id=0F8gAQAAMAAJ&hl=ja&pg=PA201#v=twopage&q&f=falseで、今もSchriftかLetter、あるいはDrucktype(≒Printing-type)ですね」

((フラッシュさんまで…))

「フランス語でもCaractère(≒Letter / Character)ですから(Martin-Dominique Fertel『La Science pratique de l'imprimerie』1723 https://books.google.co.jp/books?id=FQ1fAAAAcAAJ、“Moveable Type”というような言い回しは、先ほどハヤヒデさんがお読みになったV. Knox随想録の例文のように、整板と活版を対比するような文脈で、あえて、わざわざ、使う語句だったのかもしれませんね」

「ライスさん、みなさん、せっかくなので多言語検索を実行してみます。【ステータス:“printing”または“typography”からオランダ語ポルトガル語の記事に移動、"type"に相当する語句を検索】」

「ブルボンさん…」

「【検索結果:オランダ語で〈活字〉に相当する語:Lettertypeポルトガル語で〈活字〉に相当する語:Tipo】、検索終了」

「さすがフラッシュさんブルボンさん。『印刷事典』(1958)の見出しは英独対訳になっているんですが、〈かつじ・活字〉の項には〈type: Schrift, Type, Buchstabe〉と併記されていますね。この項だけでも英独に限らずもっと多言語化してくれたら面白かったんですけど……。それはそうと、先日ウェブサイトが模様替えになった国会図書館の電子展示会『インキュナブラ -西洋印刷術の黎明-』(https://www.ndl.go.jp/incunabula/index.html)を拝読し、更にAlfred W. Pollard『An Essay on Colophons』(2018、The Project Gutenberg EBook https://www.gutenberg.org/files/56628/56628-h/56628-h.htm)を斜め読みさせていただいた感触では、最初期のcolophonでは〈ペンに依らずに新しい技術で印刷した〉という書き方だったものが、1470年頃に〈Et calamo libros audes spectare notatos / Aere magis quando littera ducta nitet?〉(And who dare glorify the pen-made book, / When so much fairer brass-stamped letters look?)という書き方が出てきているようなので、15世紀のヨーロッパ各地へ活版印刷術が広がっていきつつあった段階では〈整板じゃないよ活字だよ〉ではなくて〈ペン字(写本)じゃなくて真鍮文字(印刷本)だよ〉っていう言い回しが売り文句で、だからヨーロッパ各国語では活字のことをLetterとかCaractèreなんて呼んでて、整板本と比べるような時だけその必要に応じてMoveable Typeっていう呼び方をするんじゃないかなどと愚考する次第でありまするが。」

「素晴らしい推理だと思うよデジタル君。木活字や整板本の時代を(ほぼ)経験しないで〈写本から活版印刷本へ〉という技術革命を受け入れることになったヨーロッパの文字印刷の歴史像と、典籍を木版印刷していた東洋の文字印刷の歴史像は、思わぬところで違いが浮かび上がってくるみたいだねぇ」

「タタタ、タキオンさん、ありがたき幸せぇぇ…」


7. 今回採用する江戸期の時代区分

ひとくちに「幕末(江戸末期)」あるいは「江戸中期」などと言っても、その言葉が指し示す年代が大きく異なっている場合があるようです。今回は、次の通り私立大学図書館協会の「2011年度研究分科会報告大会資料」(https://www.jaspul.org/pre/e-kenkyu/kotenseki/report/2010-2011att.pdf)に掲げられている、「国文研『日本古典籍書誌記述要領』」に基づくという時代区分を採用しておきたいと思います。
念のため、同じ資料に記されている、「唐本の場合」の時代区分も並べてみておきます。

明代・清代西暦年c 江戸時代 西暦年j 和年号
明初 1368-1425
明中葉 1426-1526
明季 1527- 江戸初期1596-1643慶長-寛永
清初 1644-1661江戸前1644-1715正保-正徳
清中葉前期1662-1722
清中葉後期1723-1820江戸中期1716-1780享保-安永
江戸後期1781-1829天明-文政
清季 1821-1911江戸末期1830-1867天保-慶應

山川出版社の高校教科書『詳説日本史B』(2017年改訂版 https://www.yamakawa.co.jp/product/70012)が江戸期の時代区分について文学史・美術史を考える上でも非常に興味深い重要な変更を行ったらしく、その意義を跡見学園女子大学文学部人文学科の矢島新教授が3年連続で論じておられます。論考自体とても勉強になりましたし、改めて『詳説日本史B』で近世史を勉強し直したくなりました。


8. 並行世界にて(4)日本国語大辞典

「すみません、出遅れました。日本国語大辞典、第二版三冠――じゃなかった、3巻の出番です。」

「「チヨノオーさん」」

「それでは3巻798頁上段、〈かつじ〉の項を読ませていただきます」

活版印刷に用いる字型。古くは木製のものもあるが、普通、方形柱状の金属の一端に文字を左右反対に浮き彫りしたもの。大きさ、字体ともに種々あり、規格に、号数活字とポイント活字とがある。これを組みならべて活版を作成する。

「ふむふむ、続けてくれたまえよ」

「では、引き続き用例です――」

  • 空華日用工夫略集―応安3年(1370)9月22日「唐人刮字工陳孟才・陳伯寿二人来」
  • 徳川実記―東照宮附録(1616)22「十万余の活字を新に彫刻せしめ、三要に給はりて刷印せしめらる」
  • 随筆・好古日録(1797)27「公事根元の活字も、今存するもの至尠し」

「――続けましょうか」

「いや、とりあえずここで区切ろう」


9. 《日国》用例への疑義等

  • 《日国》2版3巻「活字」用例の1、空華日用工夫略集の応安3年(1370)9月22日の条に見られる「唐人刮字工陳孟才・陳伯寿二人来」の「刮字工」というのは、五山版時代に板本出版のために招かれた職工ですから整板本の字彫職人(彫工・刻工)の意味であって、「活字」の用例に混ぜるのは極めて紛らわしいのではないでしょうか。確かに「唐人」である元代の王禎は1297年に木活字を設計製作して『旌徳県志』を作り、著書『農書』に「造活字印書法」篇を記している(https://read01.com/aA3aPG5.html)ことから中国において13世紀の段階で既に木活字印本が誕生していることは間違いないようですが(『印刷博物誌』404頁)、日本において「唐人刮字工陳孟才・陳伯寿」が関与して刊行されたものは活字本ではないようです。陳孟才・陳伯寿については、珠算史研究学会会誌『珠算史研究』第2号(1981)所収の鈴木久男「『魁本対相四言雑字」について」(https://namuec.org/ology/1990-c.pdf)と、末尾に掲げられている文献リストが、とても参考になります。
  • 《日国》2版3巻「活字」用例の2、東照宮御実記付録巻22の「慶長活字」の項に見られる「十万余の活字を新に彫刻せしめ、三要に給はりて刷印せしめらる」云々や、「以活字刊行群書治要大蔵一覧」の項に見られる「銅製の活字もて刊行せしめられ」云々について。確かに(少なくとも)経済雑誌社から明治37-40年(1904-07)に刊行された御実記を #ndldigital で見る限り、そのように書かれているわけですが(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/772965/172)。夙に知られるように、徳川実記は後世の編纂になるものであって、編纂時点(内閣文庫正本:https://www.digital.archives.go.jp/img/3695382 21コマ他)ではなく原資料の時点でどのような文言だったのかを確認すべきものではないでしょうか。慶長期の資料においては舟橋秀賢『慶長日件録』が「慶長十年四月廿八日、早朝主上番所へ出御、前大樹銅鋳一字板十万字、可有調之由」などと記しているように(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1041785/104*3、「一字板」「一字印」「銅印字」などと呼ばれていたのでは?
  • 《日国》2版3巻「活字」用例の3、藤貞幹『好古日録』についてはブログ版「うわづら文庫」である「うわづらをblogで」でPDF版を見ることができます(http://uwazura.seesaa.net/article/30486323.html)。27条「活字年中行事」だけでなく、21条「活字神代記」、19条「活字水鏡」なども書かれているのですね。幕末より早い「江戸中期」における「活字」という語の用例とは言えるのでしょう。


10. 近世木活字時代の「活字」用例

川瀬一馬『日本書誌学用語辞典』(2001、雄松堂出版)は近世木活字版を「江戸末期から明治初年にかけて出版された木活字本」としています。けれども、文禄・慶長期から寛永期にかけて(江戸初期)の刊本である古活字版の時代と、江戸末期天保以降と考えてよいか?)の間に挟まれた時代にも多くの木活字本が出ていることからhttps://uakira.hateblo.jp/entry/2020/12/29/191139)、ここでは川井昌太郎「嵯峨本と近世木活字版」(2020、『日本印刷文化史』100-109頁)と同様に、「古活字版が終焉した後から明治初年までに刊行されたものを近世木活字版とよぶことに」したいと思います。

国文研『日本古典籍書誌記述要領』に基づく区分で江戸中期の前半という頃になる享保年間に「縁山活字版」が刊行されています。縁山活字版のひとつである、佛教大学図書館デジタルコレクションの『觀經散善義傳通記見聞 三』(享保辛亥〈1731〉https://bird.bukkyo-u.ac.jp/collections/kangyosanzengidenzukikemmon-03/)の跋文中に「活字」の語が見えていることと、何と言っても「宇田川町/活字板木師 中村源左衛門/同板摺 中山市兵衛」という表示が目を引きます(下図は53-54コマを再構成)。

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佛教大学図書館蔵『觀經散善義傳通記見聞 三』跋文・刊記

江戸前期にあたる元禄-正徳年間に刊行された「植工常信」の手になる禅籍群https://dl.ndl.go.jp/search/searchResult?featureCode=all&searchWord=%E5%B8%B8%E4%BF%A1%E6%9C%A8%E6%B4%BB%E5%AD%97&fulltext=1&viewRestricted=0への言及がある、貴重な本があります。江戸前期の終わり近くである宝永7年(1711)刊の中村富平『弁疑書目録』ですhttps://kotenseki.nijl.ac.jp/app/l/#%2Fsl%2Fsi%2F%7B%22keyword%22:%22%E5%BC%81%E7%96%91%E6%9B%B8%E7%9B%AE%E9%8C%B2%E3%80%80%E5%AE%9D%E6%B0%B8%22,%22sortField%22:%22o.regsort%22,%22sortOrder%22:%22asc%22,%22sz%22:20,%22fr%22:0,%22time%22:%2220220405161350%22,%22romajiCheck%22:%22%22%7D。凡例の筆頭に示されている通り、書物の流通が盛んになる中で、類似の書名が「混淆錯乱し」て紛らわしいため流通書目リストを作成したゾ、という意図で編まれたようです。国内の主要な書物を独自に分類した「総目録」では、次のように示されています。

第一、同音書目/第二、同名書目/第三、両名書目/第四、古今書目/第五、略名書目/第六、読曲書目/第七、植字書目/第八 足利書目/第九、落巻書目

新日本古典籍総合データベース経由で、『弁疑書目録』東北大学附属図書館 狩野文庫本(マイクロ資料)を眺めてみましょう。

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『弁疑書目録』東北大学附属図書館 狩野文庫本(マイクロ資料、DB75コマ)

『弁疑書目録』中巻の一丁オから「第七、植字書目」(ううじしょもく、または、うえじしょもく)の項が始まっています。

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『弁疑書目録』東北大学附属図書館 狩野文庫本(マイクロ資料、DB79コマ)

『弁疑書目録』中巻の五丁オ、新日本古典籍総合データベース79コマ左に見られる〈〇〇禅師語録〉群が、「植工常信」の手になる禅籍群ですね。

江戸前期においては江戸初期の用語が残存し「植字版(植字板)」と呼ばれていたようだが、江戸中期ころから「活字板(活字版)」と呼ばれることになったようだ――という仮説を記しておきたいと思います。あるいは、近世期に強い印刷史・出版史家の間では、このあたりの事情が既に調べられ一定の結論が見えている話題なのかもしれません。諸賢のご教示を賜りたく。

※2022年4月7日22時30分追記:2022年3月16日深夜に発生した地震による書籍流に埋もれてしまっていた『ビブリア』87号のコピーをようやく発掘しました。昨秋「仏典字様の活字と明朝様の活字」(https://uakira.hateblo.jp/entry/2021/10/20/085430)を書く際にNDL遠隔複写で入手していたものです。岸本眞実「近世木活字版概観」(同72-94頁)にも当然縁山版活字版への言及があり、〈その内、『授手印決答受決抄』の刊語にある二百部を印行した等の記述や『観経四帖疏伝通記見聞』(享保14-16年刊)の巻末に見える「活字板木師 宇田川町 中村源左衛門/同板摺 中山市右兵衛」の活字制作者と摺師の記載は、当時の活字印行を知る重要な史料である。〉(77頁)という指摘が既にありましたね。ただ、これが日本における「活字」という語の最初期の用例であろうという観点の記述はされていないようです。

※2022年4月8日19時追記:江戸前期が終わりつつある宝永年間に、もう1つ注目すべきと思われる資料が刊行されています。明の儒学者で日本に亡命した朱舜水から弟子たちが学んだ中国の事物を安積澹泊が編纂し柳枝軒から刊行された『舜水朱子談綺』です印刷博物館コレクション:https://www.printing-museum.org/collection/looking/74831.php。下巻の「人倫」の項に、「活版」の語が見られ(早稲田古典籍データベース:https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/i17/i17_00014/i17_00014_0004/i17_00014_0004_p0027.jpg、語釈として「ウエ字板銅ニテ作ル一名銅板」と書かれているのです。
江戸前期においては江戸初期の用語が残存し「植字版(植字板)」と呼ばれていたものが、明朝遺臣らの文化に触れることで江戸中期を迎える頃から「活字板(活字版)」と呼ばれることになったのかも?!――という思いつきは、現時点では妄想の域であるとしておきます。


11. 「探求心に終わりはない」

明代の陸深『金台紀聞』で、「近日毘陵人用銅鉛爲一字印」のような表現ではなく「近日毘陵人用銅鉛爲活字」と書かれたのは、13世紀末から14世紀初めの頃に木活字による印刷システムを成立させていた元代の王禎が『農書』において「造活字印書法」を示しており、中国の印刷史において「活字」の語とモノが存在していたからでしょう。

当初「MovableなType」であることを意識した表現を行っていなかった西洋人が「Movable」であることを明示するようになるのは、どうも大航海時代中国文明との接触により東洋の印刷史・技術体系を知ってからのことではないかと思われます。西洋人が、「活字」という中国語から「Movable Type」という訳語を作ったのではないでしょうか。

西洋の印刷技術のテキスト、東洋の印刷技術のテキスト、各々を精緻に紐解いて「活字」と「Movable Type」の関係が明らかになるような日が来ること、また特にCJKの印刷史を虚心に振り返ることと新出資料との出会い等によって日本に「活字」の語が導入された時期のことが明らかになるような日が来ることを願って、一連のメモを終わりたいと思います。



※2022年4月5日22時追記:並行世界の登場人物が8名と煩雑なのに会話を追うには不親切な構成だったので、「【はてなブログで吹き出しを導入】会話形式にして記事を読みやすくしましょう」を参照し、PC版限定ですがキャラ画像つきフキダシ表示に対応してみました。キャラ画像は、Cygames「ウマ娘プリティーダービー」のキャラクター一覧からSNSイコン画像を借用しました。なお、2人・3人が同時に声を上げている部分については、CSSの設定が調整しきれておらず、キャラ画像は1人分になっています。
※2022年4月5日23時追記:sec.11のタイトルを「探求心に終わりはないよ」から「探求心に終わりはない」に変更しました。タキオン担当を僭称しながら痛恨のミス。
※2022年4月6日21時追記:《日国》2版3巻「活字」用例の2への疑義として言及していた御実紀編纂時点の清書本として、国立公文書館内閣文庫蔵の正本デジタル化資料へのリンクを書き足しました。
※2022年4月7日12時30分追記:ツイッターで頂戴したご指摘(https://twitter.com/buttaiwan/status/1511887558527307779)により、中國哲學書電子化計劃Wikiからの引用文を除き「昆陵人」を「毘陵人」に修正しました。ありがとうございます。早稲田本や漢語大詞典の画像をちゃんと見直してれば「毘陵人」であることに自分で気づいても良かったのに。


*1:アメリカだと“Movable Type”と綴るのだけれど、イギリスでは“Moveable Type”なんだよ」という点について、例えばCornelius S. Van Winkle『The Printers' Guide』(1836、New-York)19頁Introduction冒頭 https://books.google.co.jp/books?id=T800AQAAMAAJ&hl=ja&pg=PA18#v=twopage&q&f=false で“moveable type”と綴られているように、アメリカ語にもアメリカ語の歴史的展開があるわけですが、ここはハヤヒデの見解に基づくセリフということで。

*2:「1734年に発行された初代William Caslonの活字見本には… Letter-Founderと書かれている」という件。〈活字鋳造所〉という普通名詞としての用法とは限らない点に注意が必要です。後継のH. W. Caslon社が1870年代に発行したと推定 https://uakira.hateblo.jp/entry/2019/01/02/201800 される見本帳の表題も『Specimens of printing types of the Caslon Letter Foundry』でした。屋号として〈Type Foundry〉ではなく〈Letter Foundry〉という表記が採用され続けている可能性と、イギリス風・アメリカ風の語彙の違いという可能性、諸々あるでしょう。

*3:『慶長日件録』の日々の文言を記載している『歴史の文字 記載・活字・活版』(http://umdb.um.u-tokyo.ac.jp/DPastExh/Publish_db/1996Moji/05/5100.html)が慶長11年4月27日「件銅活字、備天覧之処、御感也。」としているのは、『日本古典全集』版の原文が「銅印字」としているものの転記ミスでしょう https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1041785/137。いわゆる古活字版の時代に「活字」の語が使われたことが確実と見られる日本のテキストは、見つかっていないのでは。※2022年4月17日17時30分追記:ちなみに『歴史の文字 記載・活字・活版』書籍版の当該箇所は143頁下段。