日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

築城主らは経度を測ったんだべか

先日「千々石ミゲルの測量術」さ記しった本ば、いくつか眺めてみた。
デーヴァ・ソベル『経度への挑戦』(asin:4881355058)は、紹介文を読んで字のごとく、「無名の時計職人」によるクロノメーター開発物語だった。それはそれで面白い話なんだども、己が知りたい天正-慶長期の位置特定技術とは異なる話だった。
J.B.ヒューソン『航海術の歴史』(asin:9784303200602)には、それより古い技術から電子航法まで、位置特定に関する技術が広く扱はれてゐた。Chapter 6「経度」には、当時可能だった月食の観測によって経度を知る方法によっては陸上で天候等の条件が整ってゐても一分間の時計のズレで四分の一度程度の経度の誤差が生じるって話と、天文学者ゲリブランドが評価した1631年10月29日のキャプテン・トーマス・ジェームスによる月食観測由来の経度測定値の話が。ジェームスの測定値は1度程度の誤差を伴ってゐるが17世紀中頃で状況が順調なときに得られる最も正確な結果とヒューソンは記してゐる。
飯島幸人『航海技術の歴史物語』(asin:4425431618)のコラム「経度の歴史」には、

当時であっても、正確な時計があれば経度の決定はできることはわかっていたが、1500年代の時計は陸上で教会の塔で使っているようなものや、久能山東照宮にある家康がスペイン王から贈られたようなものはあったが、その最も良い時計でも、その誤差は一日に10分程度であって、とても経度の測定に使えるようなものではなかったのである。

ってな記述があって、ちょっとがっかり。
そんなこんなで出会った川村博忠『近世絵図と測量術』(asin:4772216235)。
近世の測量術は、史料として残ってゐるのが江戸中期からであるため、主にそれ以降の話が記されてゐて、直接的には天正-慶長期の技術を知ることはできねがったんだども、第3章の次の記述に励まされて、ニーダムの『中国の科学と文明』ば眺めてみっかと決意。

古く大陸から伝わったわが国律令時代以来の算法や測量術は、戦国時代には軍学に取り入れられて戦略に利用され、安土・桃山から江戸初期にいたる城郭建設ラッシュの時代には、築城法などに応用されたものと思われる。

ホントは、築城法などに応用されたものと「思はれる」根拠は何かって話も書いてて欲しかったんだども、そりゃ無いものねだりだわな。