日本語練習虫

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「舟走」於『大日本古文書幕末外国関係文書之九』

昨晩記した「舟偏に走」の記事へのkarpaさんのブクマコメントを拝読し、引用文中の漢字なのだから引用元を確認すべきであったことを猛省。
徳永直は『光をかかぐる人々』の「開港をめぐって」第四節さ、かう記してゐる。

安政元年十一月以來、つまり下田談判の中途から、彼はロシヤ人と共に伊豆の戸田村にゐたことが、「古文書幕末外交關係書卷ノ八」の記録によつてわかる。「昨十四日豆州戸田村到着仕候處――魯西亞使節私共着之趣承り急き面會仕度段、通詞本木昌造を以て申越候に付、直に使節罷在候寶泉寺へ御普請[#底本は「普譜」]役御小人目付等引連れ罷越及面會――」云々。これは翌年二月十五日付で、ロシヤ應接係の一人、勘定組頭中村爲彌から川路宛の上申書の一節であるが、ロシヤ人たちは戸田村海岸で船をつくつてゐたのである。

確かに安政元年の記事は東京帝国大学文科大学史料編纂掛編『大日本古文書 幕末外国関係文書之八』に纏められてをり、下田談判の話もその巻に出現するんだども、上記引用記事など本木昌造が出てくるのは『大日本古文書 幕末外国関係文書之九』である。
土日でも夜22時まで開けてくれる「神」東北大学付属図書館から借りてきた『大日本古文書 幕末外国関係文書之九』の354頁さ、「舟偏に走」の箇所がある。

確かにブクマコメントのご指摘通り、こちらも五号活字による「舟偏に走」である。
漢字好きの一人として、本当の原記録の記載にも興味はあるんだども、『光をかかぐる人々』増補版の編者としては、ここまでの作業で充分だらう。
ちなみにこの「舟偏に走」は、今のところ、「和製漢字の辞典」にも無い。