先日 http://d.hatena.ne.jp/uakira/20071024 で言及した、「木偏に豊」でハリノキとなる国字を含む地名なんだども。
この字に続けて「木」を書いて「ハリノキ」と読む地名が香川県坂出市(府中町)にあったと『新潮日本語漢字辞典』さも記さってゐだったんだども、明治の『正式二万分一地形図』で綾歌郡府中村に見える地名は「榿谷」で、5000分の1国土基本図(昭和四十二年作成)の坂出市府中町にある地名も「榿谷」、昭和三十八年に編まれた『府中村史』90〜95頁にある「村内の地名」の項に出てくる地名も「榿谷」(92頁)だった。
この地名が昔坂出にあったといふ時の「昔」は、江戸以前の話なんだらうか。
ちなみに現在当該地区は、25000分の1地形図にも見られる通り漢字一文字で「榿」と表記されるやうで、当該地区にある神掛神社の平成六年に建て直さった石柵には寄進者名の上に「榿」「小原」「打越」と地区名が表記されてをり、また集会場名も「榿集会場」である。
かつて「《木豊》木」といふ地名があったなら、消えてしまった地名といふことだらう。
さてその一方で。
亀岡市薭田野町佐伯に「木偏に豊」を用ゐた《木豊》木縄手(はりのきなわて)といふ小字があるといふ話を2chの地理・人類学板「稀少地名漢字を語ろう」スレで見かけたことがある。その記事を投稿した人物が、以前の書き込みで「住宅地図からの拾い物」である小字名を挙げてゐたので、「はりのきなわて」も住宅地図から得た情報と思われた。
問題の漢字はゼンリンの住宅地図(昭和四十八年版、1992年版)では探せなかったが、京都吉田地図株式会社による亀岡市の住宅地図平成四年版を閲覧したところ、187図に当該地名があるのを見ることができた。
http://dosei3.no-ip.org/~uakira/zatu/harinokinawate/juutakutizu.pdf
第三水準漢字とJIS外字が含まれるといふすごい地名だども、併せて閲覧した『新修亀岡市史』本文編第一巻の附録である「亀岡市大字小字図索引」と「大字小字図1」を見ると、「索引」では「榛木縄手ハンノキナワテ」とされ、地図では「《木豊》木縄手」であるといふ不審な状況だった。
http://dosei3.no-ip.org/~uakira/zatu/harinokinawate/koaza.pdf
ゼンリンの2005年版などが「はりの木縄手」と平仮名交じりの表記であるのは、亀岡市の現時点での公式な表記が「はりの木縄手」であるからだと思はれる。亀岡市役所「市民情報センター」備え付けの『市内住所小字一覧』の表記が、さうなってゐる。
http://dosei3.no-ip.org/~uakira/zatu/harinokinawate/list.pdf
ちなみに、平成四年の住宅地図では田圃しか存在しない「はりのきなわて」に、平成十八年版では建物が一つ存在するらしく記されてゐる。現地を確認したところ、その建物の郵便受けには住所の表記が無く、中で働いてゐた女性にお教へいただいたところ「ここの住所はカタカナでハリノ木縄手」とのことだった。
かつて「《木豊》木縄手」といふ漢字地名があったなら、消えてしまった地名といふことだらう。
この「木偏に豊」といふ漢字の字面は、現在のその建物によく似合ふので、ぜひ住所を漢字表記で屋根に大書されるようお奨めしたいと思ひつつ口には出さなかった己だ。
エツコ・オバタ・ライマン『日本人が作った漢字』がJIS漢字化を提案した《木豊》に関しては、たぶん笹原宏之さんか安岡孝一さんが既にかうした現地調査や文献調査を済まされてゐて「消えてしまった地名」もしくは「存在したことが疑わしい地名」だと思はれたからこそ、現在もJIS外字なのだらう。
戸籍統一文字には「木偏に豊」が含まれてゐるが、地名の実用例はあるのだらうか。