日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

#組版書誌 ノオト:横尾忠則『暗中模索中』(河出書房新社、1973)の「組版造形」にかかわる活版書籍印刷工程の細部を知りたい話

2024年3月25日発行の白井敬尚組版造形 タイポグラフィ名作精選』(グラフィック社 https://www.graphicsha.co.jp/detail.html?p=54159)で取り上げられている「和文組版」の幾つかについて、本文活字の書体、大きさ、組み方を推定するお手伝いをさせていただきました。2017年に発行されたパイロット版の時点で「正体不明な大正初期9ポイント活字」だったものは2017年9月どころか2024年現在でも相変わらず正体不明のままであるなど【活字書体や字間・行間の「リヴァース・エンジニアリング」を「組版書誌」という名称で担当】させていただくに当たって常々己の力不足を感じているのですが、個人的に3冊ほど、今まで念頭に無かった部分で勉強不足をつきつけられたものがあったので、メモを残しておきたいと思います。

1冊目が、今回取り上げる横尾忠則『暗中模索中』(河出書房新社、1973)です。わたくしは今回の『組版造形 タイポグラフィ名作精選』掲載予定図版によって横尾『暗中模索中』のことを初めて知りました。

通常なら奥付に記載されるはずの内容が本の「背」のみに印刷されているなど一目で分かるextraordinaryな本づくりがされていて、本文組版の造形、書容の設計においてもextremeな匂いがしています。活版書籍印刷のordinaryあるいはorthodoxな技術の細部が分かっていれば、どのくらいextraordinaryなのか、このextremeな本はどのようにしてつくりあげられたのかが、もっと楽しめるのに、今の自分には分からない悔しさ!

1.『暗中模索中』の本文組――マージンの指定がわからない

『暗中模索中』本文の活字サイズや組み方を推定するのは、1ページあるいは1見開きのことだけ考えれば、そう難しいことではありませんでした。文字活字も込め物類も全て岩田母型のポイント活字で組まれているように見受けられたからです。

インタビュー形式になっている本文は、わたくしの見立てでは横尾本人の発言が岩田明朝8ポイントのベタ組で1行67字詰(536pt)、インタビュアーの発言が岩田角ゴシック7ポイントのベタ組で1行76.5字詰(535.5pt)です。行長が正確に合致しないと金属活字の組版は成立しませんから、8ポ本文は版面の外側にクワタやスペースを足して8ポ70倍(560pt)、7ポ本文は同じく7ポ80倍(560pt)となるような文字組版になっているはずです。

横尾忠則『暗中模索中』の本文組(白井敬尚組版造形』158-159ページ掲載見開き部分の内容を元に内田作成)

『暗中模索中』本文行間のインテルは、8ポ本文と8ポ本文の間が7ポイント、7ポ本文と7ポ本文の間と8ポと7ポの間が8ポイントになっているようです。というわけで、本文が形作る矩形であるところの版面――私の造語で言うところの「本版面」https://twitter.com/uakira2/status/889846945342078976――は、タテが536pt、ヨコが概ね236pt程度なっているようです。

ノンブルはノド側に6ポイント活字で、本文とは26-27ポイント程度のアキを取り、更にノド側を大きく空けている状態。なので私の造語で言うところの「総版面」が、タテ536ptでヨコが概ね268pt程度。こうして数字を書き出してみて気がついたのですが、「総版面」はタテヨコ比がちょうど2対1になっていますね。

以上は活字組版の原版を推定したもので、原版から紙型取りし、おそらく平台印刷機で印刷するための亜鉛版を作成して印刷したものと思われました。というのも、行長が現物の実測で186.5mm――つまり上記の寸法関係を0.8%程度縮めた状態で実際の紙面と合致する内容だからです。(『組版造形 タイポグラフィ名作精選』掲載予定画像からこのあたりまで読み込んでいって、現物を手に取って眺めたくなってしまったので、ネット古書店で入手しました。)

知りたいこと、その1.1
『暗中模索中』について、『横尾忠則全装幀集』(パイ・インターナショナル、2013)では「裁ち落としギリギリまで文字を組んで、もしかしたら裁断したときに切れたところもあったかも知れないが、まあ読まれなくてもいい。ひとつの立体作品として作ったものだからね」(164ページ)と回顧されていますが、「裁断したときに切れたところ」はありません。小口と天地を(おそらく)概ね均等に空けるような指定が行われたように見えます。小口、天、地ともマージンは5mmくらいのようですが、この寸法についてどのような指定があったのでしょう。
知りたいこと、その1.2
小口、天、地の5mmほどのマージンは、本文を絶対に切り落とさずに安定的に印刷・製本できる「技術的な限界値」を目安として決定されたextremeマージンなのでしょうか、あるいは純粋に技術的にはあと1~2mm程度追い込めるが審美的な理由で本文活字2倍程度のアキとした、というようなものだったのでしょうか。

2. 1950-70年代に発行された菊判書籍の最大級の版天地を知りたい

横尾が「ひとつの立体作品として作ったものだ」という『暗中模索中』の現物を手に取ってみると、H198×W112×t33という直方体でした。敢て和風に言うと、縦がおよそ6寸5分、幅が3寸7分、厚みが1寸1分というところ。中肉中背の成人男性である自分が手にした場合、親指の腹を小口にかけ、小指で地を、また薬指と中指の腹が背を支える状態で、人差し指が重心より少し上を支えることが出来るサイズ感。

仕上がり縦寸法(198mm≒6寸5分)は、四六判(188mm≒6寸2分)より大きく、A5判(210mm)や菊判(221mm≒7寸3分)よりは小さいサイズ。なので、A判の紙か菊判の紙を大裁ちした紙に印刷したということになるのでしょう。

『暗中模索中』が仮に菊変形判――ページ天地が221mm――として造本されていた場合、本文行長536pt(≒188mm≒6寸2分)が変わらないままだとすると、この版面はどのようなサイズ感になるのでしょうか。

主婦の友社石川武美が昭和19年の『わが愛する事業』で誌面節約のために「それまでの菊版の組版を、横三寸八分を四寸一分に、竪五寸八分を六寸一分にひろげた。活字も特に鋳造したものを用ひた。その結果は内容を二割ほど増した」と記しているのですがhttps://dl.ndl.go.jp/pid/1043523/1/76、マージンを削って三分(約9mm)増やしたという「菊版の組版」の縦方向よりも『暗中模索中』は更に一分(約3mm)大きいサイズです。

日本印刷学会出版部『印刷術講座 第6集 新版』(1952)では「縦組物においては、一行の長さを(1段組の場合)ページ天地の75~85%の範囲できめ、左右寸法を68~74%ていどにとれば、普通の範囲の組版面が出る」と解説されていてhttps://dl.ndl.go.jp/pid/2477698/1/10、判型ごとの標準的な字詰・行数・総字数がページ天地の75%で示されていますhttps://dl.ndl.go.jp/pid/2477698/1/11

石川武美の回想をページ天地に対する版天地の比率として見直すと、当初79%だったものを84%ほどまで増やした、という話になります。『暗中模索中』の判型が菊判だった場合に版天地が536pt(≒188mm≒6寸2分)で変わらなければこれはページ天地の85%で、『印刷術講座』が記す「普通の範囲」の最大側ということになります。

知りたいこと、その2.1
1950-70年代に刊行された菊判(あるいは菊変形判、ページ天地が七寸三分〈221mm〉から七寸二分〈218mm〉程度)の書籍で、版天地がページ天地の85%(536pt≒188mm≒6寸2分)を超えるようなものは、どれくらいあったでしょうか。
知りたいこと、その2.2
1970年代までに刊行された菊判(あるいは菊変形判)の書籍で、本文活字サイズが9ポあるいは8ポのもののうち、本文の行長が536pt≒188mm≒6寸2分を超えるようなものは、どれくらいあったでしょうか。

ちなみにわたくしが記憶している菊判書籍の版天地最大級は『アイデア』356号で取り上げた鷗外森林太郎訳『即興詩人』初版(春陽堂、1902 https://dl.ndl.go.jp/pid/897037/1/25)になります。ページ天地219mm(≒7寸2分3厘)に対して、罫線の天地が204.5mm(≒6寸7分5厘)、行長は築地四号活字41字詰め199mm(≒6寸5分7厘、ページ天地の90.8%)、罫の外側にノンブルがある(!)ので、版天地が207mm(≒6寸8分3厘、ページ天地の94.5%)という、永世王者といった趣があります。

3.『暗中模索中』の「組みつけ」――「あき木」のことがわからない

『暗中模索中』のページを繰っていくと16ページごとにかがり糸が見えているので、「1折」が16ページ――ということは裁断前の紙に対して片面8ページ分の版を組みつけているはずです。

私はページものの活版印刷技術について実感的な理解をほとんど持っていないということを今回痛感しているのですが、まずは芦立昌雄『活版印刷教室』(日本印刷新聞社、1966)に掲載されている「組みつけ完成図(ページ物)https://dl.ndl.go.jp/pid/2509579/1/53」を元に、『暗中模索中』の「インポジション」を想像してみます。

横尾忠則『暗中模索中』の「8ページ本掛け組みつけ」想定図

続いて藤森善貢『出版編集技術 Ⅲ 製版印刷編』(日本エディタースクール出版部、1968第1刷、1975第5刷)428ページ「各ページの割りふり図」の内容を、今の「8ページ本掛け組みつけ」想定図に重ねてみます。

横尾忠則『暗中模索中』の「8ページ本掛け組みつけ」想定と割りふり図

芦立『活版印刷教室』と藤森『出版編集技術』に基づいて、印刷時に必要な「くわえしろ」や、製本時に最小限必要とされている「裁ちしろ」や「仕上げしろ」なども見ておきます。

横尾忠則『暗中模索中』の「8ページ掛け組みつけ」時の仕上げしろ

知りたいこと、その3.1
『暗中模索中』の地マージンは約5mmなので、折り返しの仕上げしろを9mmと見ておくと、「けした」部分の「あき木」は19mmほどのスペースを稼いでいることになります。19mmというと約54pt――五号5倍(52.5pt)より少し大きいサイズ――ですが、ページ物の「あき木」の最小サイズはどのようなものだったのでしょうか。
知りたいこと、その3.2
「けした」の間隔を決める「あき木」の寸法単位はミリでしょうか、号数あるいはポイントだったのでしょうか。号数あるいはポイントの場合、本文が号数活字ならインテルも「あき木」類も号数系、本文がポイント活字ならインテルも「あき木」類もポイント系というような感じでしょうか。
知りたいこと、その3.3
「あき木」は「ジョス」のように出来合いのものではなく、指定のレイアウトを実現するために都度製作するようなものだったのでしょうか。あるいは規格品と特製品の双方が使われていたとか?

朗文堂Salama Press ClubさんがYouTubeで公開してくださっている「活字自家鋳造+書籍印刷所 豊文社の記録」の3分50秒あたりhttps://youtu.be/jzZhLVwyWMU?si=lyqXp7jLK9B7xad9&t=230から5分36秒あたりまでがハイデルベルクの平台印刷機による8ページ掛け「原版刷り」の「組みつけ」になっていて、実際の「あき木」のイメージも鮮明につかめるのですが、上記のような細部が分からず今こうして悔しがっているわけです。

端物印刷に用いるテキンのチェースに版を組みつける際に用いる「あき木」「締め木」の類は、木製のものと金属製のものがあり、幅が広いものと五号n分のものを組み合わせて位置合わせを行いますが、ページ物でも同じような感じなのでしょうか。

4. 紙型鉛版と「台付け」――鉛版と「鉛版釘」の周辺事情がわからない

現在精興社のウェブサイトで示されている「活版印刷における工程」で「鉛版」の項目を見ると「できた鉛版は1ページごとに切り分け、余分な箇所を切り落とします。」と書かれていますhttps://www.seikosha-p.co.jp/corporate/process.html

知りたいこと、その4.1
切り落とすのは、下図の赤細線のように「総版面」の外側を長方形に切る感じでしょうか。青点線のように「本版面」の外側をなぞりつつノンブルが途切れないよう最小の面積でつないでおく感じでしょうか。緑太線のように、直線的に削れるところを削っておく感じでしょうか。

『暗中模索中』174ページによって鉛版の切り落とし具合を例示

同じく精興社ウェブサイト「活版印刷における工程」で「印刷」の項目を見ると、「1ページ単位に仕上がった鉛版を印刷機に組み付けます。鉛版を1台分(8の倍数ページの用紙1枚分)ごとに並べ、メタルベースに接着し」とありますhttps://www.seikosha-p.co.jp/corporate/process.html

せんだいメディアテーク活版印刷研究会で樹脂版を作成して「メタルベースに接着」すること――専用の両面テープを用いる手法――も経験しているので、そこはイメージできるのですが、木製の台木(木台)に釘打ちして鉛版を固定していた時期のことが、いまひとつ判りません。

『日本印刷年鑑1953』の「印刷用語集」には見えなかった「鉛版釘」という語がhttps://dl.ndl.go.jp/pid/2472045/1/178、『印刷時報』185号(1959年10月)の「印刷用語辞典40」には見えているのですがhttps://dl.ndl.go.jp/pid/11434648/1/59、「平鉛版を木台に打つけるための釘」という説明があるだけで具体的な姿はイメージできません。

鉛版釘のサイズ感については『印刷ハンドブック 凸版印刷技術編』(東京都印刷工業組合、1966)に「長さ約12mm」と記されているほかhttps://dl.ndl.go.jp/pid/2510566/1/13、言及されている資料を見たことがないように思います。なお、『印刷ハンドブック』では、版を「釘で固定する」手順についても「接着剤で固定する」手順についても文章で解説されているのでhttps://dl.ndl.go.jp/pid/2510566/1/13、とても助かります。

実は今まで気にしたことが無かったため、目にしたことが無いか目にしていてもそれと判っていなかったか定かではないのですが、世の中には「鉛版釘」の釘頭にインクがついてしかも印刷物に痕跡が残ってしまったものがあるようです。ね太郎氏の「名作三十六佳撰メモ」http://www.ongyoku.com/E2/j70/jouhou70a.htmの中に、①「表紙意匠の違い」によって鉛版釘の位置が異なる例(絵本太閤記)、②「同じ表紙意匠で裏表紙の広告が異なって」いても鉛版釘の位置が同じ例(絵本太閤記)、③「同じ表紙意匠で裏表紙の広告が異なる」と鉛版釘の位置が異なる例(生写朝顔日記)が挙げられているのを知り(「名作三十六佳撰 メモ補足」http://www.ongyoku.com/E2/j70/jouhou70m.htm、とても驚いています。おかげで、『印刷ハンドブック』の「釘で固定する」手順④「谷の深い部分」というのが五号全角相当の行間であれば十分に鉛版釘を打つことができるのだと判りました。

知りたいこと、その4.2
明治20~30年代の鉛版釘の釘頭はルビ活字より大きく見えhttp://www.ongyoku.com/E2/j70/jouhou70m.htm、ひょっとすると六号活字(7.75pt~8.0pt相当)くらいの直径なのではないかと見えるのですが、1970年代の鉛版釘ならば『暗中模索中』の本文行間(7pt)に打ち込むことが可能だったのでしょうか。
知りたいこと、その4.3
『暗中模索中』のように本文の行間が狭い(7pt)場合には紙型から鉛版を鋳造する際に小口なりノドなりの余白を広くして上図のように釘を打てるようにするなどしていたのでしょうか。

『暗中模索中』174ページによって鉛版を釘で固定するイメージを例示

知りたいこと、その4.4
あるいは、『暗中模索中』が印刷・出版された1970年代前半には、台木(木台)への釘打ちは既に主流ではなく「メタルベースへの接着」が一般的だったのでしょうか。


横尾忠則『暗中模索中』というextraordinaryな造形の図書が設計された際、活版書籍印刷におけるextremeな技術が要求されていたのか、ordinaryあるいはorthodoxな技術をextraordinaryに使うよう指示されていたというものなのか、「その時代の技術」のことをもっともっと知りたいと思ったことでした。この話題で2冊目、3冊目に続くかどうか、実は自分でも判りません。