日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

壽岳文章・靜子『紙漉村旅日記』(昭和18年向日庵版)の活字

神保町のオタ氏によると、2019年12月14日に長岡京市中央生涯学習センターで開催されたNPO法人向日庵の公開研究会「寿岳文章一家 その人と仕事を追う」で、向日庵が使った活字が質疑になったのだという。

お待たせしてしまったけれど、ようやく昭和18年向日庵版『紙漉村旅日記』の本文活字が判明したと言ってよいであろう段階に至ったので、ここに記しておく。

大日本印刷の(原寸直彫時代の)12ポイント活字が、昭和18年向日庵版『紙漉村旅日記』の本文活字であろうと思われる。

実は宮城県図書館に、昭和18年向日庵版『紙漉村旅日記』の中でも特別な一冊が所蔵されている。箱の内側に、次のような献本添え状が貼付されているものだ。

あつき感謝をこめてこの一冊を
奥州白石郷土工藝研究所におくる
昭和十九年二月吉日  壽岳文章

奥州白石郷土工藝研究所は、この特装版の表紙に使われた紙布を漉いたところである。宮城県図書館の蔵書印と共に、「昭和28年4月受入」の押印・記載がある。経緯は判らないが、そのタイミングで寄贈されたものなのだろう。

本文活字以外は寸法しか判別できていないが、一応メモを残しておこう。

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壽岳文章・靜子『紙漉村旅日記』(向日庵版)扉

「紙漉村旅日記」が28ポ、「壽岳」と「著」が21ポ、「文章」と「靜子」が16ポ。

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壽岳文章・靜子『紙漉村旅日記』(向日庵版)刊記

「昭和十八年」「京都向日版」は18ポ。

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壽岳文章・靜子『紙漉村旅日記』(向日庵版)前書

見出し「まへがき」18ポ、本文12ポ。

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壽岳文章・靜子『紙漉村旅日記』(向日庵版)本文

見出し「昭和十二年」16ポ、本文12ポ。

秀英舎(大日本印刷)風と思いつつも書体同定のための材料が少なすぎるため何とも言えなかったこの12ポイント活字なのだけれども、先日仙台駅前イービーンズの古本まつりで購求した『中村汀女・星野立子 互選句集』を媒介として、大日本印刷の明朝活字である蓋然性が高いと言えるようになったのだった。

来る2020年12月20日京都府立京都学・歴彩館で、「書物・和紙・文学 ―寿岳文章の豊かな世界―」という講演会が催されるらしい。もし、冒頭の質疑に関わった方がいらしたら、以上、お伝えいただければ幸甚。


以下、12月13日追記:

ブログ「神保町系オタオタ日記」の12月12日付の記事中島俊郎先生の講演会と内田明先生により解明された寿岳文章が向日庵本で使った活字」にて、冒頭の質疑が次のようなものであったとお教えいただいた。

その時、どなたかの質問で「さすがに寿岳先生も向日庵本で活字は手作りではなかったでしょうね」というようなものがあったと思う。

ここでいう「手作り活字」の内容として、2通りの違った事柄を考えることができるように思われる。1つは、活字書体を自作すること(鋳造活字における父型〈ひながた〉または母型〈鋳型〉をゼロから作り出してしまうこと、もしくは彫刻活字として1本1本の活字を彫ってしまうこと――残された印刷物を見る限り彫刻活字は使われていないので、この可能性は捨てて良い――)。もう1つは、出来合いの活字書体ではあるが、母型を購求し自ら鋳造機を用いて必要な活字を鋳込んでしまうこと。

活字書体が出来合いのものであることは既に記した。残る自家鋳造の可能性について。

印刷・出版工房としての向日庵について「転居の前年より私家本の刊行を発起していた」昭和7-8年というタイミングであれば、ひょっとすると活字母型や活字合金を買い求めておくことが可能だったかもしれない。しかし昭和13年、活字の鋳造に使われる活字合金を構成する鉛・錫・アンチモンは、経済統制を受ける使用制限品目となっている。また、活字母型に使われる銅は、更に貴重な戦略物資とされており、印刷事業者が供出を促されるような状態になっている(このあたりの状況は、中井晨「鮎川信夫と『新領土』(その11-1)」〈http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000012383〉などを参照願う)。昭和13年以降であれば、新規購入は難しかったのではないか。

ところで、昭和4-5年頃から一部の印刷所において、印刷が終わった活字組版を解版して個々の活字を棚に戻す(少しずつ摩耗していく活字と新しい活字が混在した状態で次の印刷に備える)ことよりも、国産化された活字鋳造機を導入し印刷が終わった活字組版は次の活字を新規に鋳造するための「活字地金」化する所謂「活字一回限り使用」の方が総合的なコストが低廉かつ印刷物の仕上がりが美麗であるという動きが出始めている。

美しい印刷物を手作りするという目的で印刷・出版工房を立ち上げようとしていたのであれば、スタート時点において、「自家鋳造による活字一回限り使用」が視野に入っていても不思議ではない。この場合、例えば8ポイント(または9ポイント)と12ポイントのみ母型も備えた自家鋳造を行い、見出し用途の中型・大型活字は活字業者から都度買い求めるというような運用が行われていたのではなかろうか。

向日庵における本文活字の自家鋳造については、他の判断材料が無い限り、行われていたとも行われていないとも言い難い。