日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

森川龍文堂の読みと『最新欧文活字標本』の刊行年

セリエAASローマSSラツィオがホームスタジアムとしているスタディオ・オリンピコ・ディ・ローマ(Stadio Olimpico di Roma)。
ウィキペディア日本語版の解説では1960年ローマオリンピックのメイン会場として建設されたと記されているが、実際にはムッソリーニが1940年のローマオリンピックを目指して建てたのだという
テヴェレ川に架かるドゥーカ・ダオスタ橋(Ponte Duca d'Aosta)の袂からStadio Olimpicoに向かう正面通路には、古代ギリシアの黒絵式陶器風モザイク画が描かれている。

この、ある種「オリンピックのアイコン」と言えるギリシア風イラストを、森川龍文堂が電気版に起こして販売していた。

このうち例えば595番(の元画像)は現在もInfo Genesis LLCのシンボル、598番(の元画像)はケベック州ロータリークラブのシンボル(2015年当時の同ホームページ:https://web.archive.org/web/20140405143327/https://www.rotary-quebec.com/fondation/【2024/02/01追記】)に活用されるなど、欧羅巴文化を感じさせる内容であることは疑いない。



この電気版を掲載しているのは『最新欧文活字標本』と題する活字見本帖で、46頁掲出の「リョウブンドウセンチュリー」という記載や「RYOBUNDO」という表記から「森川龍文堂」が「モリカワリュウブンドウ」ではなく「モリカワリョウブンドウ」であることが判明する資料でもある。



1940年の夏季オリンピック(第12回大会)は、様々な交渉と世界情勢の変化によって、ローマから東京へと開催権が譲られている
そんな時代状況を背景に『最新欧文活字標本』を標榜して刊行された全82頁の活字見本帖なのだが、72-79頁は和文活字が占めている。和文活字の内容は、奥付に「昭和10年11月5日発行」と刊記が記されている『龍文堂活字清鑒』よりも若干、ポイント活字の整備が進んだ段階と見受けられる。

和文活字を更に細かく見ると、『龍文堂活字清鑒』よりも後だが「新体明朝」が未掲載である、――そんな時期のようである。

この『最新欧文活字標本』には刊記が無く、前書きなどを見ても発行年の手掛かりは無いのだが、表紙をよく見ると「2597」という数字が書かれている。

掲載されている欧文書体は「No.120-ロ」までであり、2597という数字は掲載書体数の類ではない。
西暦1940年の(幻の)東京オリンピックが国内的には「皇紀2600年の東京オリンピック」であったように、おそらくこれは皇紀2597年、すなわちこの活字見本帖が西暦1937年(昭和12年)の発行であることを示すのだろう。
国会図書館の書誌データは1940年代(194-)刊行となっているが、福島県立図書館では筆者と同じ推定をしたようで刊行年を1937年としている
念のため双方の全頁を比較して実見した*1が、同一の資料であった。国会図書館書誌の修正が望ましいように思う。

*1:国会図書館本は原装が保たれており貴重書閲覧室扱いだった。