日本語練習虫

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中野重治『敗戦前日記』の徳永直

眠気と闘ひながら、市民図書館から借り出してきた中野重治『敗戦前日記』(asin:4120022714)ば眺める。
昭和16年9月6日に中野は、同年4月15日付で出版されたゴンチャロフ『日本渡航記』(井上満訳、岩波文庫asin:4003260619)を読了してゐる。16年6月に『日本渡航記』を読了してゐて「(本木)昌造の名が二回出てくる」などと徳永に語ったと描写されてゐる「H君」が実在の人物であるならば、やはり自身の昌造伝のために相当勉強を進めてゐたものと思はれる。
16年9月30日の「徳永のところへコオヒイを持つて行つていれて飲んだ。うまし。」とか、18年1月15日の「夜カモを食う。徳永酒持参。」などと記されてゐるのは、無言で飲み食ひしたわけはなく、『小品十三件』に言ふ「そのころ私は徳永の近くに住んでいた。「光を……」を書くについて何彼《なにか》と意見を求められたこともある。」のやうな会話もあったことだらう。
残念ながら、『印刷雑誌』に『光をかかぐる人々』の書評を書いたかどうかは記されてをらず、徳永から訂正の書き込みがある同書を貰った件についても日記への記載は無い。昭和19年2月11日の項に「徳永「光をかかぐる人々」読了、近来の好読物なり。」との記述がある。
昭和19年3月23日の項に「徳永ノ使イデ河出書房ヘ行ク。」とあるのは、ひょっとすると『光をかかぐる人々』第二版「訂正と正誤」の件かと思ふが、詳細不明。
幼児と共に暮らす親の一人として、病気がちな娘の体調管理が大半を占めるこの日記を実にハラハラしながら「徳永」を探して眺めたが、冒頭から読み進めて末尾に至ったところで詳細な人名索引があることに気づき、ずっこけた。
市民図書館(メディアテーク)の壁に貼ってあったポスターによると、本日6月9日は「国際アーカイブズの日」であったらしい。