丸善は昭和十六年九月の『学燈』で岩井大慧による「支那叢報」複刻・解説などの特集を組み、十月には大手の新聞や『図書館雑誌』などに「限定五百部」予約募集の広告を出してゐる。この昭和十六年十月三十一日締め切りの予約は第一回だったんだらうか。第二回だったんだらうか。
奥付を見ると、「第一巻解説」から「第五巻解説」までは昭和十七年二月五日発行で、「第六巻解説」から「第十巻解説」までが昭和十七年十二月二十日「六五〇部」発行。「第十一巻解説」から「第十五巻解説」までが昭和十九年二月十日発行となってゐる。
徳永直は昭和十七年二月、後に『光をかかぐる人々』第一章となる「日本の活字」を書き上げて『改造』三月号に掲載となってゐる。第二章となる「サツマ辞書」は『新潮』の五月号で、第三章「長崎と通司」が『文芸』の六月号。
徳永は、昭和十七年、まだ東大図書館に最初の五巻しか納品されてゐない時点でこの『支那叢報解説』に出会ひ、丸善へ購入方法を尋ねに出向いてゐるんだども、その際、第二回の予約も締め切り、第三回の予定は無いとあしらはれてゐる。
さて、徳永直と支那叢報との出会ひは、昭和十七年の、いったいどの時期のことだったのかを、ある程度限定できるだらうか。