日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

『のだめカンタービレ』の外国語表現

漫棚通信ブログ版の2006年10月16日付の記事『マンガの中の外国語:「のだめカンタービレ」の場合』で、外国語会話ば表現するために“のだめ”ではどんな工夫が行はれてゐるか、といふことが観察されてゐます。
http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_dc40.html
同記事についてゐるコメントで訂正されてゐる通り、“のだめ”における通常の日本語会話は、“アンチゴチ”(アンチック体の仮名とゴシック体漢字の組み合はせ)で刷られてゐます。主人公ふたりがフランスへ留学するところから始まる“フランス編”において、日本語以外の言語による会話であることをアンチゴチ以外の書体を用ゐたタテ書きという形態で表現する試みが為されるのですが、以下、同記事の観察を補足修正してみたいと思ひます。
さて、まずは“フランス編”の最初の回(Lesson 53)、レストランでの情景。10巻35ページの千秋と給仕のフランス語会話は漢字も仮名も中太の角ゴシック体(たぶんモリサワ「太ゴシック体 B-101」)で印刷され、千秋とのだめの日本語会話は“アンチゴチ”で印刷されるといふ使ひ分けがなされます。その直後に描かれる、のだめの音楽院受験シーン(10巻37ページ)に出てくる外国語会話、これも同じ中太の角ゴシック体です。
これらの実態がフランス語会話であることや、同じLesson 53の10巻57-59ページで描かれる日本語とフランス語のスレ違いギャグに「日本語」「フランス語」といふ注釈があることなどから、漫棚通信さんは、10巻において《フランス語会話を“漢字も仮名もゴシック”で表現する》ルールが確立したと捉へ、続く11巻のLesson 62-63において英語会話であらう外国語会話が“全部ゴシック”で表現されてゐる点を指して「混乱している」と評しておいでです。
けれどもおそらく連載時点では、それは“混乱”ではなく、後に《英語会話は“漢字も仮名も太明朝”で表現する》といふルールが登場するまでは、外国語会話と日本語会話の違ひを書体で表すことができればそれで用が足りてゐたのだらうと思はれます。第13巻のLesson 74で孫Ruiがフランスにやってくるまでは“日本語とフランス語以外の第三の言語が同一シーンに登場する”場面がありませんから、物語の視覚表現上、フランス語とそれ以外の外国語を区別する必要が生じてゐないのです。
例へば、Lseeon 59で秘書エリーゼプラティニコンクール参加中の千秋の状況を巨匠シュトレーゼマンに報告してゐるシーン(第11巻21-23ページ)や、Lesson 75、砂漠のプロメテウス作戦のエリーゼ・オリバー・千秋の会話シーン(11巻73-80ページ)、これらはドイツ語会話だと考へるのが自然な筈ですが、フランス語表現と同じ中太角ゴシック体で刷られてゐます。
第13巻94ページ(Lesson 73の最後のページ)で“外国語会話としてのフランス語”をのだめに語りかけて登場する孫Rui、Lesson 74の最初の2ページ(13巻96-97ページ)ではカタコトと思はれるフランス語を中太角ゴシックでしゃべり、98ページからは彼女にとってナチュラルなのだと思はれる言語(後に英語と判明)で話し出します。この孫Ruiのセリフから漢字と仮名に太明朝体(たぶんフォントワークスマティス」)が使はれ出します。
孫Ruiの“太明朝会話”に対し、のだめは“中太角ゴシック会話”で応えます。のだめは孫Ruiから最初にフランス語で話しかけられてゐますから、日本語でもフランス語でもないだらう言語でしゃべる孫Ruiに対して、相手の理解を期待してフランス語で返事をしているわけです。
ここが、物語が“第三の言語”の視覚表現を要求するスタート地点になってゐて、13巻107ページの千秋と孫Ruiの会話を通じて“太明朝会話”が英会話であることと、のだめが英会話を理解しないことが読者に説明されます。
さて、先ほどは、Lesson 74で「《英語会話は“漢字も仮名も太明朝”で表現する》といふルールが登場する」と記しました。けれども、これ以降現在までのところ“第三の言語”として日本語・フランス語以外の言語が登場するのが孫Ruiたちの英語であるといふだけであって、“第三の言語”としてドイツ語が登場するような状況があれば、11巻以降フランス語表現に使はれてゐたのと同じ中太角ゴシック体で刷られてゐたドイツ語会話が“太明朝会話”になる可能性もあることを勘案し、実際に登場したルールは《日本語・フランス語以外の第三の言語は“漢字も仮名も太明朝”で表現する》といふものだらうと言ひ直しておきませう。
更に言へば、物語の進展に伴って、日本語以外の二つの言語がフランス語と英語の組み合はせではないケースが登場するかもしれません。日本語をアンチゴチで表現する基本は変はらないでせうから、現在までに登場したルールは《(日本語を第一言語として)第二言語はオール中太角ゴシック、第三言語はオール太明朝》であると考へた方が良いでせうね。
といふのも、比較的最近になっても、フランス語会話ではないだらう外国語会話が中太角ゴシックで刷られてゐるからです。例へばLesson 83の冒頭、ターニャ母子の会話シーン(15巻8ページ)。肉声部分が“全部ゴシック”で刷られてゐるこの場面で話されてゐるのは、「日本語以外の第二言語」としてのロシア語(独立国家共同体構成国家のいずれかの言語)のはずです。Lesson 54でターニャが千秋に昔語りをするシーン(10巻85ページ)で「ロシアから出てきて言葉もなにもわからなかったわたし」云々と記されてゐますから、親子間の会話ではフランス語を話さないと推定されるわけです。
ともあれ、以上は肉声のセリフに関しては使用言語に応じて書体を切り替へてゐる様が観察されるといふ話でありまして、登場人物の“電話機越しの声”は何語であってもタイポス系書体(モリサワ「フォーク」)で表現されてゐます。回想シーンの書体も話者の使用言語に関りなく同じ細角ゴシック体(たぶんモリサワ「じゅんゴシック」)であるといふ指摘が『マンガの中の外国語:「のだめカンタービレ」の場合』でなされてゐますが、モノローグの書体も話者の使用言語に関りなく丸ゴシック体(モリサワ「じゅん」)である、と補足しておきませう。蛇足ですが、モノローグの語気の強度によっては、別の書体になるケースもあります。
あれこれ記して来ましたが、日本語会話書体と外国語会話書体の使ひわけが強く自覚されてゐる状況であるにも関らず日本語に違ひないはずの会話がアンチゴチでなく“全部ゴシック”で刷られてしまった16巻153ページの千秋とのだめの会話、これに納得がいかないといふ点は、漫棚通信さんに、私、激しく同意します。
たぶん、連載時も16巻製作時も、TVドラマ制作・宣伝の関係で作者さんと編集者さんが途轍もなく忙しかったのでせう。
もっとも、16巻の時点ではのだめも千秋もフランス語で話ができますから不自然ではあってもフランス語会話が不可能ではないんですが、12巻34ページのフランクとのだめの会話がアンチゴチである点は、フランクが日本語を理解しない筈だということから日本語会話ではあり得ないといふ観点で、私、書体指定の誤りだと断言してしまひます。