日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

板倉雅宣『活版印刷発達史』のことなど

やうやく、板倉雅宣『活版印刷発達史』を眺める機会に恵まれた。

活版印刷発達史―東京築地活版製造所の果たした役割

活版印刷発達史―東京築地活版製造所の果たした役割

ざっと斜め読みして、三つのことを思った。
ひとつは、キューピッドのヴィネットの件や平野活版の商標の件などに見られる新聞広告の調査など、「ああ、よく調べてゐるな」といふ感想。
活版印刷発達史』pp.159-160に、「明治27年1月『座右之友』で「五号ゴチック形文字」として地名、株式会社、生糸相場など新聞で使用されるような単語が載っている。」といふ記述があるんだども、己の未発表のリサーチでは、この時期に幾つかの新聞が紙面刷新を手がけてをり、『都新聞』が明治二十七年八月二日付の第二千八百七十三号から「商況物価」欄をリニューアルした際の中見出しが『座右之友』の「五号ゴチック形文字」に酷似した四号ゴシック活字を白抜きで用ゐた「東京株式取引所」「東京米穀取引所」「東京諸物価」「横浜商況」といふものになってゐる。同じく明治二十七年の四月頃から東京海上保険株式会社や明治火災保険株式会社などが『郵便報知新聞』の広告中で二号ゴシック活字によって社名を表示するやうになるんだども、このあたりが築地活版のゴシック体活字が一般に利用される最初期のものではないかと今のところ己は考へてゐて、『座右之友』はさうした状況の記録にもなってゐると思ひ始めてゐるんだども、まぁこれは脱線で。
己が“和文ゴシック体リサーチ”をやった際に出くはした築地活版の新聞広告を眺めての感想に、『活版印刷発達史』の記述は反しない。
ふたつめの感想は、「本書は、平成18年度財団法人印刷朝陽会の公益事業として発刊されたものである」といふなら、もう少し編集・校正に気を配っても良かったんぢゃないかといふもの。例へば、p.111「和様かなについては拙著『和様ひらかな』(朗文堂刊)を参照」といふ記述。『活版印刷発達史』の読み手となるやうな人物には自明のことかもしんねぇんだども、正しい書名は『和様ひらかな活字』で、朗文堂ヴィネット」シリーズの三冊めとして2002年5月に発行されてゐる。
ヴィネット―Typography journal (03)

ヴィネット―Typography journal (03)

同様の例で、p.113「1888年、マッケラー・スミスMacKellar Smiths & Jordanの見本帳には、平野の9年版見本帳のOrnamental Dashesの番号まで同じである。同じく1888年、ジェームス・コナーズJames Coners Sons Type Founding Co.のOrnamental Dashとも同様である。このことは、白井敬尚が「日本の活字版印刷を支えたアメリカの活字版印刷」の中で指摘している。」といふ記述。これも本書の読者には常識かもしんねぇんだども、己なら、「白井敬尚が「日本の活字版印刷を支えたアメリカの活字版印刷」(『日本の近代活字―本木昌造とその周辺』(近代印刷活字文化保存会、2004年)所収)の中で…」等と書かずにはゐられねぇ。
日本の近代活字―本木昌造とその周辺

日本の近代活字―本木昌造とその周辺

また、p.75に、明治「31年(1898)4月10日、『四號明朝活字總數見本 全』改正 発行。『五號明朝活字總數見本 全』改正 発行(武蔵野美大蔵)」とあるんだども、巻末(pp.330-334)の資料集に「五号明朝活字総数見本」とある資料の所蔵先は「武蔵野芸術大学」となってゐる。もちろんこれは、己が http://dosei3.no-ip.org/~uakira/n/?date=20050805 でレポートした、「武蔵野美術大学美術資料図書館」が所蔵する資料のことだらう。
活版印刷発達史』は、平成18年11月15日に社団法人日本図書館協会の「選定図書」になったさうで、己も宮城県図書館の蔵書を眺めてゐるんだども、印刷史の資料として広く永く使はれていい性質の編集・校正が為されてゐない気配があると感じられてならない。
三つめの感想は、上述の明治三十一年版『五號明朝活字總數見本 全』に関係する話で、ひとつめの感想と相反する記述になってしまふんだども、ロクに調べてゐないことが露呈してしまってゐるといふ点について。
この『五號明朝活字總數見本 全』は、http://dosei3.no-ip.org/~uakira/n/?date=20040811 での己の調査によって「後期五号仮名のスタート地点であるかもしれない」ことが予想された資料で、その後実際にさうであったことが判明した画期的な資料だったんだども、さうした観点の記述が『活版印刷発達史』には全く存在せず、「活字の書体は、いつ頃作られ、改作されたか」といふ節は、著者の手元にあった見本帖の状況を概観するに留まってゐる。
やはり、「明治期の全ての印刷物に当たる」ことが無理であっても「可能な限り多くの印刷物に当たる」ことを通じて《現存する見本帖の重要度を測る》といった作業を欠いた状態で記述された《見本帖コレクション自慢》は活字書体史の記述には不十分である、との思ひを強くすると共に、ここ数年の己の調査の重要度あるひは価値についての認識を新たにした己だ。