日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

『アイデア』352号『明朝活字の美しさ』書評

矢作勝美『明朝活字の美しさ』の書評が4月10日発売の『アイデア』352号に載って嬉しい花一匁。

idea (アイデア) 2012年 05月号 [雑誌]

idea (アイデア) 2012年 05月号 [雑誌]

例えばAmazonでは『明朝活字の美しさ』の書影に「函」が使われているけれど、
明朝活字の美しさ:日本語をあらわす文字言語の歴史

明朝活字の美しさ:日本語をあらわす文字言語の歴史

表紙は黒にエンボス加工となっている。

『アイデア』誌では、実物の「黒さ」を生かしつつよく見るとエンボスの文字も判るというバランスで、紹介されていて、スキャンじゃ感じが出ないからそれなりの機材で写真撮ってくださいなと押した甲斐があったと感慨深い。
……
実は書評脱稿のタイミングで、「はてな」とFacebooktwitterの己のプロフィールを、現在の「十九世紀日本の、文を綴る字と、描き文字、板本の文字、初期活字書体の関係に、興味を持っています。 」というものに変更した。
自分の興味と関心の向かうまま、勝手気ままに「初期日本語活字書体の開発状況」をほじくってきたわけなんだども、開発史の研究史というものともきちんと向き合ってみようと思うに至ったわけだ。先日ちらりとツイートしたんだども、2000字でレビューというリクエストだったのに4500字の書評をしてしまった己の我儘を受け止めてくださった編集長に、改めて深謝申し上げる次第。
もう一言だけ書いておけばよかったと思うことがあったんで下に書いてしまうんだども、それはそれとして、今回の評は、仮にタイポグラフィ学会誌やデザイン学会誌、出版学会誌に載せても恥ずかしくない内容と自負している。御用とお急ぎで無い方は是非ともご高覧の上ご批正賜れれば幸甚至極。
ただし352号は巷で話題沸騰中の超絶特集号ゆえ、Amazonでは現在中古のみ流通(直販在庫アリ http://www.idea-mag.com/jp/publication/352.php )という、短期間で売り切れ必至の模様。
……
もうひとことだけ書いておけば…というのは、旧著の「研究書」としての評価について。例えば牧治三郎『京橋の印刷史』なんかだと、○年×月に△印刷が〜〜した、という話のウラの取りようが無いのに対して、矢作『明朝活字』『明朝活字の美しさ』は、可能な限りx年y月z日付mn新聞に△が□の広告を出した、というような記録を示そうとしている。
書評のために先日旧著を再読するまで意識に上っていなかったのだけれど、博聞社の自社活字販売広告の件も、己が先日『朝野新聞』縮刷版で見つけた明治十年四月二十六日付「一和漢洋活字并花形類及紙型版(ステレヲタイプ)」発売広告と同様の広告が同年五月十四日付『東京日日新聞』に出ていると『明朝活字』『明朝活字の美しさ』に記してあった。
己は四月二十六日を基準に「東京日日」も前後二週間分をマイクロフィルムで確認し、東京日日には見えなかったと記していたんだども、確かに再確認した五月十四日の紙面に広告が載っていた。謹んで訂正しておく。
このように、伝承や思いではなく資料や記録が手がかりになることで「研究史」の発展が可能になると、改めて矢作氏の執筆スタイルに敬意を表したい。
……
これは『明朝活字』『明朝活字の美しさ』の細瑕のひとつなんだども、新著154-155ページあたりに記された、矢作氏の言う築地五号「第二次改刻」完成の件を伝える新聞広告について。
旧著でも新著でも

明治十七年(一八八四)には、すでに二号および五号明朝がほぼ完成していることがわかる。それを伝えているのがつぎの明治十七年(掲載紙不明)の新聞広告である(美術出版社『日本の広告美』所収)。

とあるんだども、正しい出典は「美術出版社『日本の広告美術』」である。『明朝活字』『明朝活字の美しさ』には当該広告の図版は引用されず、テキストが書き起こされているだけなんだども、『日本の広告美術』を見ると、これはちょうど板倉雅宣『活版印刷発達史』が掲げている、明治十七年五月二十三日付『東京日日新聞』に載った広告であると判る。前後一月分の朝野には出てこないから、東京日日で間違いないだろう。

……
と一旦は締めておきながら、4月13日追記
以前「板倉雅宣『活版印刷発達史』のことなど」という評を書いた頃までに目にしていた明治十七年五月二十四日付郵便報知新聞に、前日の東京日日と同じ広告が載っていたことを、今朝になって再確認した。

先日縮刷版を漁った朝野や時事にはこの完成広告ではなく一月ほど後の値下げ広告しか出ていなかったようなので、つい、他紙も同様であったように思い込んでいたものだ。
『日本の広告美術』には個々の広告の出典が見られないので、「前記東京日日か上記郵便報知であろう」と、謹んで訂正しておく。