日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

牧治三郎『京橋の印刷史』買うべきか

稲岡教授の「長尾景弼・股野兄弟と博聞社」が載った『都留文科大学研究紀要』第63集(2006年3月刊)のコピーば入手し、拝読中。
多くの先行文献が挙げられており、まずは己の不勉強を恥ぢる。
さて、ここで問題が。
Webcatで探せる大学図書館を見る限り、全国で10館しか牧治三郎『京橋の印刷史』を所蔵してをらず、また公立図書館の所蔵もほとんど期待できない状況であるやうだ。
批判的視点を保持した参照といったことになるんだか重要な基礎文献のひとつといふ位置づけになるんだか、まだ見たことが無いんで判らねぇんだども、印刷史研究あるひは活字書体史研究の真似事を続けるならば、やはり機会を見て『京橋の印刷史』を入手しておくべきだべか。
博聞社に関する印刷史関連の先行文献について、稲岡論文が、次のやうに述べてゐる。

既往の研究文献も至って手薄で、印刷史の名著と言われる島谷政一『印刷文明史』(一九三三年)、川田久長『活版印刷史』(一九四九年)には、アリキタリな数行の言及がある程度。『大蔵省印刷局百年史』(一九七一年)では壬申地券印刷で産をなしたことに触れ、牧治三郎『京橋の印刷史』(東京都印刷工業組合京橋支部 一九七二年)は多少詳しく、明治五年九月創刊の『博聞新誌』や、『東京日々新聞』掲載広告の営業科目から当時紙型鉛版装置をもっていた総合工場の一つとしているのはさすがである。

該論文が指し示すところによると、島谷『印刷文明史』第五巻「本邦紙型鉛版術の起源及び発達」の項に博聞社の記述があり、確かにそこには博聞社のことを誤ったと思はれる「博文社」と社長の「長尾影潔」のことが十行程度記されてゐる。川田『活版印刷史』pp.128-129には一応「博聞社」の創業から消滅までの事柄が記されてはゐるのだが、その内容は稲尾論文によって一々論破されてしまってゐる。
サスガと評される牧『京橋の印刷史』、やはり見ずにはゐられない。