日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

手塚治虫のフキダシ

手塚治虫石子順手塚治虫 漫画の奥義』(ISBN:4062051559)pp.133-136さ、「田河漫画五つの特徴」といふ項があって、ちょっと脱線した話題の中で手塚が自らのフキダシのルーツについて語ってゐだった箇所がある(p.133)。

今の漫画のふきだしの形は、ぼくがルーツなのね。ぼくは新関健之介さんのふきだしに手を入れて、これを作ったんだけど、これが大阪から始まって、東京の漫画も全部これになったんです。これはだれも知らないことなんだけれども。それまでの戦前は、田河さん的なふきだしが多かったんです。

これは、標準的な吹きだしのフォルムが“角丸”か“雲型”か“風船型”か“多角形”か……といった問題ではないと己は思ってゐる。
夏目房之介『マンガはなぜ面白いのか』(ISBN:4140840668)pp.22-24に、手塚のキャラであるジャングル大帝“レオ”と、田河のキャラである“のらくろ”の目・眉を入れ替えてしまって表情の表現力を支える何ものかを指し示す実験画像があり、またコトバによる次の記述がある(p.22)。

レオの白目と黒目の比率、目の脇の線、眉の歪みが、ただの驚きではない困惑や悲劇的心理を表現しています。この表情の表現力があって、初めて手塚マンガの複雑な人間ドラマが可能になったのです。ここでみられる心理表現の差が戦前マンガと手塚マンガの差です。他に汗や吹きだしの形も心理表現に参加しています。

喜怒哀楽や声量の大小によってフキダシのフォルムが変化するといふ表現――例へば普段の会話では風船型の安定したフキダシなのに叫び声はギザギザした感じの爆発型フキダシになるといったこと――に慣れてしまってゐる己達が『のらくろ』を見ていて物足りなく感じるだらう点(あるひは興味深く感じるだらう点)は、大声で号令をかけるとか、驚くとか、さういった場面のセリフにも標準フォルムのフキダシが使はれてゐる――といふところである。基本的に『のらくろ』あたりのフキダシには、セリフの量に応じた相似的な変形はあっても、質的な変化は無いのである。
手塚が「今の漫画のふきだしの形は、ぼくがルーツなのね。ぼくは新関健之介さんのふきだしに手を入れて、これを作ったんだ」と語ったことの内容は、《喜怒哀楽や声量の大小によってフキダシのフォルムを変化させる》といふ演出/表現技法は手塚が一般化させた(少なくとも本人はさう思ってゐだ)ってことなんでねぇべかと己は思ふのだ。
もっとも、こっそりさう思ってゐるだけで、ちらっと拝見した松本零士・日高 敏『漫画大博物館』(ISBN:4778030079)や、幾つかの復刻本からの印象だけでは何とも言へねぇでゐる。
できれば、霜月たかなか編『誕生!「手塚治虫」―マンガの神様を育てたバックグラウンド』(ISBN:4257035404)の第2章で推定されてゐる“手塚少年愛読マンガ”の多くばアンチゴチ調査と平行して閲覧し、「フキダシのフォルム変化で感情表現を行ふ」技法に先行者が少しだけゐるのかどうかと、新関がその先行者に含まれるのかどうかといった事柄を調べたいと思ってゐるんだども、果たせっかどうか、判らねぇ。
なほ、『ぼくは漫画家』だの何だのと自伝的記述ば幾つか眺めた範囲では、手塚自身がフキダシの形状について言及してゐるのは冒頭の『漫画の奥義』だけだったんでねぇかと己は思ってゐだったんだども、他にかういふ記述があるよとご存知の方がおいでであれば、どうかご教示願ひます。