日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

アンチゴチがマンガさ使はれはじめる頃のことば調べてみっぺ

Wikipedia「ふきだし」記事中、「使用される書体」の項目さ、「商業ベースの漫画においては、ふきだし内のセリフは二種類の書体が混植(混ぜて使用)されている。漢字はゴシック体、かなはアンチック体(antique=アンティークの意)となっているのである。古い漫画を見るとこの限りではなく、戦後の漫画発展史の中で、可読性の追求により開発されてきた方法と言える。」とかいふ記述がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B5%E3%81%8D%E3%81%A0%E3%81%97
この歴史認識に関して、例へば『巨人ファンでもアンチG 〜Job On the Pond.〜』あたりの記述ば鵜呑みにしつつ書きつけた内容なんだべなぁと妄想してみてゐる己なんだども。
http://www5.airnet.ne.jp/thepond/html/job/antig.htm
小学館クリエイティブのお蔭で身近になってきた《「のらくろ」以外の戦前マンガ》の、おそらくごく一部の状況ば覗き見た限りでは、例へば阪本牙城『タンク・タンクロー』(実は国会図書館も所蔵してゐる)だのは明らかにアンチゴチでセリフが刷らってゐて、昭和初期の幼年マンガがアンチゴチ定型化のスタート地点なんでねぇべかと想像されるんだども、己は勇気が無いんで、出来れば相模原市津久井郷土資料室所蔵の「幼年倶楽部」と「少年倶楽部」ば全部閲覧させていただいた後、更にどこかでナカムラマンガシリーズばガッツリ拝見する僥倖に恵まれてから、「××期の○○系△△マンガがアンチゴチ定型化のスタート地点と考えられる」と“仮定”してみるつもり。
http://www004.upp.so-net.ne.jp/t-kyoudo/
また、ちらっと拝見した松本零士・日高 敏『漫画大博物館』の印象では、“マガジン”・“サンデー”より少し前に貸本系でアンチゴチが“復活”してゐたらしくも思ふんだども、『貸本マンガReturns』ば未読の己。早く読め。
http://www.mugendo-web.com/kashihon_returns.htm
――ここでかうして“復活”と記してしまったものの、戦中・戦後の期間にアンチゴチが使はれなかったのかどうかは全く不明。活字書体としてのアンチゴチは、アンチック体もゴシック体もヘンタイ活字鋳潰シ運動ば生き延びた筈。単に対象年齢層が年上のマンガにアンチゴチが使はれてゐねがっただけとかいふ状況も考へられる。大塚英志大澤信亮『「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか』あたりに刺激さったマンガ研究者やマンガ愛好者の方々が戦中マンガさもっとたくさんの光をあてて下さると、アンチゴチの居場所ば知りてえ己も助かると邪な期待。日本漫画資料館方面さ念力で何か頼め己。
http://www013.upp.so-net.ne.jp/kun-shimizu/siryokan.htm
さて一方タンクローと同時代、『コドモノクニ』だのの絵本でも全面的ではねぇけども《グラフィックにくっつくコトバの活字はアンチゴチ》だったりすっから、現在でも和文アンチック体の主要な居場所である絵本とマンガの、双方が同時多発的にアンチゴチば使ひはじめたのか、どっちかが先んじてゐたのか――てなことも知りたいと思ってはゐだったんだども、果たして自分自身で大阪府立国際児童文学館ば調べられっかどうかは判らねぇ。
http://www.iiclo.or.jp/
以上、余計なお世話と本人の覚書也。
ついでだから、ひょっとすっと和字がアンチック体になってんのは「単にゴシック体平仮名が一般化してねがった時期だから」っつう理由だがもしんねぇよ:
http://dosei3.no-ip.org/~uakira/n/?date=200401
――、と、日記さは書いておぐ