日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

印刷雑誌(含印刷世界・第二次〃)大阪印刷界(含日本印刷界)リスト

近代日本語活字史というのを産業史的な視点から眺めていく際、『印刷雑誌』(後継誌である『印刷世界』や第二次『印刷雑誌』を含む)や『大阪印刷界』(後継誌である『日本印刷界』を含む)といった業界誌に掲載された活字広告が役立つ場合がある。
例えば「秀英体」の要石と言うべき最初の「秀英四号」活字は何時ごろ作られたのかというようなことを知りたい時、国会図書館デジタルコレクションで実用例を丹念に追い続けるというような手があり、仮名は明治27年初めに「秀英体」スタイルのものに切り替わったと知れるのだけれども、『印刷雑誌』五巻十一号(明治28年12月)掲載の製文堂「改正四号」広告の記述によって明治28年末に至って「今般四号も悉皆改良完結」したということ、つまり漢字等も含む四号活字セットが新しいスタイルのものに切り替わったことが判る。

そのような調査の基礎資料となる業界紙誌なのだけれど、通しで全部持っているところは無く、例えば戦前の『印刷雑誌』・『印刷世界』・第二次『印刷雑誌』を通覧するには国会図書館と印刷図書館の双方を頼る必要があり、またイレギュラーな巻号表期のため「××年ごろの事柄を調べたい」と考えた時にどういう所蔵期間があてにできるかということの把握が難しかったりする。

そんなわけで、だいぶ以前から、印刷雑誌系と大阪印刷界系の業界誌について、どこにどの号があるのかを一覧できるリストを作りたいと思っていた。

築地体前期五号と後期五号の「準仮名記号」一覧

昨年の暮れ、〈国語×活字問題としての樋口一葉『暁月夜』の「文」〉という形で宿題を頂いて以降、呼び名のことを含めて思い悩んでいた「候文のアレ」らの件なのだけれども。

一葉のところで『当方の残念な国語力では「こと」「ごと」以下、一部のキャラクタしか何というキャラクタであるかが判らない。併せて御教示賜度候也。』と記していた通り、判読できずに名指すことができないキャラクタが幾つもある。



仮につけた名前のうち、「合略仮名」は国語を考える際にもUnicodeも文字クラスを考える際にも通用するはずだけれども、「準仮名記号」と「消息符牒」は、文字クラスに仮の呼び名をつけたもの。

カギ括弧内が空白になっているキャラクタの読み方や、読み方を記してあるけれども誤っているものなどについて、ぜひとも御教示賜度候。

なお、『築地体前期五号と後期五号の「準仮名記号」一覧』と題しているけれども、実際の明治27年版五号総数見本(前期五号)および明治39年版五号総数見本(後期五号)から、「〆」「ゝ」「ヽ」「〳〵」は省いている。


なお、大正2年の秀英五号総数見本(『秀英体研究』215-218頁)には、上記に見えない次の3キャラクタが掲載されている。併せて御教示賜度。

独立研究者連盟を旗揚げする日

過日ツイートした通り、研究者番号を持っていなくとも論文(あるいはそれに類する著作物等)があれば登録できる研究者ポータル・研究者データベースであるresearchmap(の中の人)が、我々「在野研究者」「日曜研究者」「野良研究者」「独立研究者」「フリー」等を統合する「所属」属性ラベルに関する意見を募集中だ。

事の経緯はtwitter/@naka3_3dsukiさんによるTogetterまとめ「リサーチマップ(researchmap)の登録者の新しい区分について」や、同氏のブログ記事「【ニュース】researchmap登録者の新しい区分に図書館司書・学芸員ほか色々と検討開始」に記されている。


ところで、《我々「在野研究者」「日曜研究者」「野良研究者」「独立研究者」》のうち、英語でいう「Independent Scholar(またはIndependent Researcher)」の訳語として相応しいものは、どういうものだろうか。

2017年4月21日現在、「Independent Scholar」で検索すると第1位がWikipedia英語版の当該項目である。

第2位が「independent scholar の訳語 - TOEFL・TOEIC・英語検定 解決済 | 教えてGoo」になっており、「独立研究者、在野の研究者、など言い方はいくつかあるかと思うのですが、新聞などで表記する際independent scholar をどう訳しているのか知っていたら教えてもらえると嬉しいです。」という質問に対するベストアンサーとして、次の回答が掲げられている。

在野研究者

在野学者

独立系研究者

など

使用例:

http://www.asahi.com/international/weekly-asia/TKY201109190083.html

http://mainichi.jp/s/it/news/20110608k0000m030084000c.html

回答中で示されているURLはどちらもリンク切れになっているが、前者(2011年9月19日付朝日新聞「週刊アジア」コーナーの記事)はインターネットアーカイブに蓄積されており、「交易の島、共通語生む インドネシア ことばを訪ねて(1)」と題する、「在野研究者」用例の記事であることが判る。後者はインターネットアーカイブにも残されていないが、2011年6月8日付毎日新聞の「Independent Scholar」関連記事であることから、G-Searchにより、同日付の東京朝刊国際面に掲載された「米グーグル:Gメール攻撃「単純だが大胆な手口」専門家。2月に警告」と題する「独立系研究者」用例記事であることが判る。

このように例示されると、「在野研究者」はどちらかというと「Scholar out of power」などだろうから「Independent Scholar(Researcher)」は「独立系研究者」だな――と思ってしまいがちだが、この「回答」は2017年の我々にはふさわしくない。

「我々」の自称で(も)あり得る「フリー研究者」「在野学者」「在野研究者」「自主研究者」「自由研究者」「自立研究者」「独立系研究者」「独立研究者」「日曜研究者」「無所属研究者」「野良研究者」のキーワードでG-Searchしてみたところ、次のような結果を得た*1

グラフに掲出していない「自主研究者」「無所属研究者」「野良研究者」は0件。「自由研究者」は1997年6月18日付日本工業新聞の「動燃改革検討委員会 座長試案」1件のみ。「自立研究者」も、2014年6月23日付日刊工業新聞の「13年度版の科学技術白書、高度研究人材の流動性・多様性の向上を重視」1件のみ。

「独立系研究者」は1990年〜2016年の期間に3件しか使われておらず、5件使われた「日曜研究者」や10件使われた「在野学者」、17件使われた「フリー研究者」よりも少ない(上記〈Gメール攻撃〉の記事は、希少用例を一種の典型例として示してしまった、不幸な回答である)。

2016年に荒木優太『これからのエリック・ホッファーのために/在野研究者の生と心得』(asin:9784487809752)が刊行されるなど本命と目される「在野研究者」はこの期間に73件、対抗となる「独立研究者」は110件使われている。

「独立研究者」は、グラフに表れている通り、2000年代に入って急速に世間に浸透してきた言葉といえる。一方の「在野研究者」はこの期間コンスタントに使用されているだけでなく、例えば「本務校をもたない非常勤講師の問題・在野研究者の問題(婦人研究者問題全国シンポジウム)」(1975年11月『日本の科学者』)のような今日的問題を含む40年前の用例があったりするように、古くから「我々」のことを指し示す言葉として使われ続けている(《これからのエリック・ホッファーのために》が「在野研究者」の語を選んでいるのも、同書が歴史に学ぼうとする本だからであろう)*2

ともあれ、「フリーランス・独立系」という形で「独立系」という文字列を目にすると、「政府系シンクタンク」「独立系シンクタンク」などと言う時の「独立系××」に所属しているかのように感じてしまうし、「独立系研究者」の省略形だとするなら、実は前述のように「独立系研究者」の語は「Independent Scholar/Researcher」の訳語として今採用するべきではない。仮に〈フリーランスや独立研究者などに類する系統の方々〉の意味であるとしても「フリーランス・独立」「フリー・独立」「フリーランス・独立研究者」などに改めていただいた方がいいように思われる。


ここまでお読みいただいたあなたは、例えば中学校や高校で教鞭を執る傍らで研究活動を行う、しかも科研費を取得した研究活動まで行い成果を挙げている、そのような研究活動の中で「あなたは研究者では無い」という理由で資料へのアクセスを拒まれた経験をお持ちであったりしないだろうか。

また別のあなたは、建前上申請できるはずの科研費について、研究者ではなく教員として雇用される非常勤だからと、「所属先」から手続きを拒まれるような経験をお持ちであったりしないだろうか。

更に別のあなたは、「所属先」から定年退職して以降も自分自身の研究活動を継続している、そのような研究者であったりしないだろうか。

あなたがたもまた、我々Independent Scholarの仲間に他ならない。

Wikipedia英語版のIndependent Scholarの項を見ると、アメリ「National Coalition of Independent Scholars」、カナダ「Canadian Academy of Independent Scholars」、オーストラリア「Independent Scholars Association of Australia」等、諸外国では我々「独立研究者」をサポートする組織が活動しているのだという*3

「有所属研究者」が研究活動を寡占している「異常な」時代は、おそらく少子高齢化と情報化によって緩やかに終わりつつあり、我々Independent Scholarもまた(歴史的には常に既に)「裾野」とは限らない学術の担い手であることが社会的に認知されつつある、そのような時代に世界が変わりつつあるのだろう。

《これからのエリック・ホッファーのために》が示すような形で、個々人の努力と根性と幸運に頼って研究を進めざるを得ない「在野研究者」の時代を、2016年で終わらせてもよいのではないか。

researchmapに登録することで「独立研究者」という研究者であることがオーソライズされる、そしてそのような「独立研究者」の研究活動がNCISのような組織によってサポートされる、――そのように「社会の仕組み」によって「独立研究者」の研究活動が行われるような未来が、この日本でも今まさに切り開かれて、良いのではないか。


吾輩は「独立研究者連盟」所属である。連盟はまだ無い。

*1:2017年4月20日に「全期間」「全媒体」で検索した結果から、2017年の用例を省いた。

*2:「在野研究者」と「独立研究者」について、ざっさくプラスでより長期間の展開を追跡したい気持ちもあるが、非会員なので叶わない。どなたかお教えいただきたい

*3:カナダの組織は、「生涯学習」をキーワードに掲げていたり、大学がバックアップしている模様であるなどの点が興味深いが、各組織について、まだ十分に観察できていない。

陸前港駅北東「昭和大震嘯碑」の(記憶)ポータル化を望む

2016年春、Ingress「Initio Tohoku Mission」に向けて新規ポータル申請が「岩手県宮城県福島県の沿岸部エリア限定」で復活していた

申請可否の処理もたいへん素早く、陸前港駅のすぐ北東、国道沿いに建てられていた「昭和大震嘯碑」の新規申請を2016年4月20日に登録していたところ、同5月22日には下記のように却下の返信が届いていた。

We've reviewed your Portal submission and given the information you've provided in your submission, we have decided not to accept this candidate.

At this time, we’re not able to provide specific rejection reasons for each submission we review; however, the following are common reasons for rejection:

  • The candidate is on our PLEASE DON'T SUBMIT list
  • We couldn't find evidence that the candidate meets any of our ACCEPTANCE CRITERIA
  • The candidate was submitted in an incorrect location, and we weren't able to find the right location

なぜ今頃そんな話を思い出したかというと、2017年4月14日に現地を再訪したところ、この「昭和大震嘯碑」が無くなっていたからだ。

この陸前港駅北東にあった「昭和大震嘯碑」は、2011年の「大震災」で倒れたものが2014-2015年に再建され、2016年度中あるいは2017年度に入ってから付近の国道関連工事のために(一時的に?)撤去されてしまったようである。

ストリートビュー2012年12月撮影:

ストリートビュー2015年8月撮影:

現況写真2017年4月14日撮影:

最近、ここ2年ほどの間に宮城県内で申請したポータルの登録可否判断処理が進んでいるようで、たびたびメールが届いている。

可能ならば、この陸前港駅北東「昭和大震嘯碑」も、一種の「記憶ポータル」として登録して欲しい(国道関連工事が終了した後、この石碑は現地に復元されるはず)。宮城県在住エージェントからのお願い。

高木元「『浮雲』 書誌」の〈組版書誌〉に寄せて

去る3月31日付での印刷・発行扱いで、立命館大学国文学研究資料館「明治大正文化研究」プロジェクト編『研究成果報告 近代文献調査研究論集 第二輯』(asin:9784875921851)が刊行された。前半に作品研究が4本、後半に書誌研究が3本収録されているのだけれど、書誌研究のうちの1本として「近代日本の活字サイズ――活字規格の歴史性(付・近代書誌と活字研究)」という表題のテキストを掲載していただいている。
このテキストは、昨年12月23日に開催された立命館明治大正文化研究会において発表した近代日本の活字サイズ 神話的・「伝統的」・歴史的」を改題し独立した文章として纏めたもので、近代日本語活字の歴史研究というフィールドで、板倉雅宣『号数活字サイズの謎』(2004年、asin:4947613726)や山本太郎タイポグラフィにおける文字の大きさに関する考察」(2007年、『タイポグラフィ学会誌01』)などからの進展を目指している。大学図書館などにあてて配布されることとなる模様で、もしも身近に接せられるようであれば、ご高覧ご批正を賜りたい。



副題の末尾に括弧書きしている「近代書誌と活字研究」は、本論のあとに滑り込ませた断章形式のメモあるいは手紙のようなテキストで、このうちの1つは敬愛する高木元先生にあてたレスポンスとなっている。
このところ、近代書誌あるいは分析書誌が扱う事項のうち活字・組版の記述を取り出して「組版書誌」と(暫定的に)呼んでいるけれど、この「組版書誌」に関して(可能ならば高木先生も交えて)読者諸賢と共に議論を深めたい事柄であるため、注釈フォーマット・番号と図版番号を論集から〈はてダ〉用に改め、またWebエディションとしてリンクを増強したものを、下記に掲げておく。

青葉ことばの会編『日本語研究法〔近代語編〕』(おうふう、二〇一六、asin:9784273037833)に、高木元氏による「『浮雲』 書誌」という極めて詳細な書誌が掲載されている*1
高木氏の「そもそも書物とは本文テキスト(文字列)だけが問題なのではなく、表紙の色や使われている材質、その装訂の意匠、手に取った時に感じる重みや感触、使用されている紙の質感や厚み、板面の字詰めや行間の空き、使われている活字の美しさ、インクの匂い、印圧に拠って生じた凹み等々、まさに五感を駆使してモノとして書物と対峙することなしに〈読書〉という行為は成立しないのである。」という動機に支えられて記された「『新編浮雲』 第一篇 」書誌の「組版」の項目に、「二葉亭四迷浮雲はしがき」は東京国文社楷書四号活字、23字詰×9行、字間ベタ、総ルビ。春の屋主人「浮雲第一篇序」は弘道軒清朝四号と東京国文社五号仮名との組み合わせ、30字詰×11行、字間ベタ。目録・本文は東京国文社四号明朝活字、23字詰×11行、字間二分アキ、総ルビ。広告は東京国文社五号明朝活字、36字詰×23行、ベタ組み。」とある。
国会図書館デジタルコレクションでは、国会図書館「特52-703」本に広告が見当たらないので、他の部分の活字について気がかりな事柄を、志を同じくする者の間での相談のために記す。「浮雲はしがき」に使われた活字のボディー寸法は弘道軒清朝四号*2相当(六・一四ミリ)で、漢字活字の「書体」は弘道軒清朝四号。仮名の「書体」は複数系統が混在するように思われるが、筆者の知見では未詳とせざるを得ない。また春の屋主人「浮雲第一篇序」の序文本体に使われている活字のボディー寸法は弘道軒清朝五号相当(四・六三ミリ)で、漢字活字の「書体」は弘道軒清朝五号。仮名の「書体」は(紙幣局‐印刷局の古い五号活字の流れを汲む)国文社の五号仮名で、「活字」としてはこれを清朝五号サイズのボディーに鋳込んだものであろう。本文については高木氏の記載通りと思われる。
大正から昭和初期にかけて、新聞活字が次々に小さくなっていくことに対応するため、例えば秀英舎の場合「小振りな字面で作った六号活字」の活字母型で「六号ボディー(七・七五ポイント相当)」の活字と七・五ポイントボディーの活字、七ポイントボディー活字の三通りの活字を鋳造したようである。また、関東大震災以後昭和一桁半ばまでの築地活版が用いた五号活字には、十ポイント活字と共通の母型――筆者はこの仮名書体をいわゆる「後期五号」の次の世代のものとして暫定的に「復興五号」と呼んでいる*3――を使っていた模様である。
この「秀英六号母型」活字や「築地復興五号母型」活字、あるいは『新編浮雲』や、吉岡書籍店の「新著百種」シリーズ第一号および第二号などに見られる国文社/田口高朗印刷の清朝五号サイズの活字のように、活字ボディーと活字「書体」が一体化していないような活字を用いた印刷物の書誌を、どのように記すのが良いだろう。高木氏の「『浮雲』 書誌」のように「弘道軒清朝四号と東京国文社五号仮名との組み合わせ」という書き方では、【図】右側の「博聞本社」広告のように異なるサイズの活字が組み合わされている本文組の状態を記したように思われないだろうか。

このようなケースでは、複数サイズ混在の本文組と区別するため、従来から「組版」の情報を記載する際に使われていた、「明朝N号活字、M字詰×L行、字間○○」のように「活字サイズ、文字組」の順に記した上で補足的に「書体」について言及する方が好ましいのではないだろうか。つまり、「『新編浮雲』 第一篇 」書誌を例にとると「二葉亭四迷浮雲はしがき」は清朝四号活字、23字詰×9行、字間ベタ、総ルビ、活字書体は東京国文社楷書四号。春の屋主人「浮雲第一篇序」は清朝五号活字、30字詰×11行、字間ベタ、本文活字書体は弘道軒清朝五号と東京国文社五号仮名との組み合わせ。目録・本文は四号活字、23字詰×11行、字間二分アキ、総ルビ、活字書体は東京国文社四号明朝。広告は五号活字、36字詰×23行、ベタ組み、本文活字書体は東京国文社五号明朝。」という具合になるのだが、如何だろうか。

*1:例によって高木元氏のサイト「ふみくら」にGNUフリー文書としてアーカイブされている。〈http://www.fumikura.net/other/ukigumo.html

*2:東京国文社が独自規格の「楷書活字」を作っていたとは思われず、弘道軒清朝の号数で示すべきと考える。

*3:内田明「大正・昭和期の築地系本文活字書体」(『タイポグラフィ学会誌08』〈二〇一五〉所収)

正体不明な大正初期9ポイント活字

大正4年から6年にかけて新潮社が発行した出版物を見ていると、正体不明な9ポイント活字が使われているのを目にする。

NDLデジコレインターネット公開資料のうち、大正3年に発行された27点中、本文に9ポイント活字を使っているのは『子の見たる父トルストイ』1点のみで、博文館印刷所が7月6日付で印刷した「築地電胎9ポイント」型活字の使用例である。

新潮社の出版物では、大正4年に発行された24点のうち次の5点において、問題の正体未詳9ポイント活字の使用が開始されている。

下記はNDLデジコレによる、中沢臨川タゴールと生の実現』の冒頭ページ。

過日吹囀した通り、去る3月10日付で発行された『アイデア377号パイロット版が収録されている白井敬尚組版造形』が取り上げる和書に関する、活字書体や字間・行間の「リヴァース・エンジニアリング」を「組版書誌」という名称で担当させていただいていて、このパイロット版で取り上げられている竹久夢二『小夜曲《せれなあど》』(大正4年12月20日発行)の本文もまた、この正体不明な9ポイント活字で刷られている

この9ポイント活字、仮名の骨格は明治末までに作られていた秀英舎製文堂の三号太仮名に似たスタイルとなっていて、確かに秀英体らしさを感じる書体ではあるのだけれども、大正5年頃の新聞各紙に秀英舎が提供した9ポイント/9ポイント仮名つき活字の書体は我々が「秀英電胎9ポイント」型と呼ぶスタイルであって、『せれなあど』タイプのものではない。

以後、大正5年に「新潮社印刷部」高橋治一名義での本文9ポイントの活字は全て『せれなあど』型。

大正6年4月2日印刷(「新潮社印刷部」高橋治一)の『トルストイ叢書 第6』からは「秀英電胎9ポイント」活字との混植が始まり、10月14日印刷(「新潮社印刷部」高橋治一)の『有島武郎著作集 第一輯』からは全て秀英電胎9ポイントになるようだ。

秀英体研究』に掲載されている、秀英舎製文堂の大正3年版総数見本『活版見本帖 Type Specimens』に掲載されているポイント系活字が「19ポイント」「9ポイント半」「9ポイント半仮名付」のみであるように、大正3年の段階では「秀英電胎9ポイント」は未完成である。

過去の観察に基づく限り、「新潮社印刷部」高橋治一名義での印刷物の大半は、秀英舎の活字を用いた印刷物になっているのだが、「秀英電胎9ポイント」以前に、ごく短期間だけ「初期型」の秀英9ポイント活字が短期間使われていたというようなことなのだろうか。

あるいは、勇文堂などこの時期にポイント活字を供給していたと見られる他の活字製造業者による9ポイント活字を、中正社/新潮社印刷部が一時的に使用していたということなのだろうか。

手がかりを得たいと考えているが、今のところ、NDLデジコレインターネット公開資料の大正3年〜6年発行出版物のうちNDC91類1586点を十分に調査できておらず、中正社/新潮社印刷部以外でこの正体不明の9ポイント活字を使っているように見える資料も、秀英舎が9ポイントで刷った資料も、どちらも見つけることができないでいる。

9月の刊行が予定されている白井敬尚組版造形』(誠文堂新光社)の原稿締め切りまでに、この9ポイント活字の素性を明らかにすることができるかどうか。諸賢のご教示を希う次第。

候文のアレ

先日 id:karpa さんにお教えいただいていた、『漢字講座』8「近代日本語と漢字」と、ついでに同7「近世の漢字とことば」、同9「近代文学と漢字」を眺めてみていた。
この中では、「近代日本語と漢字」isbn:4625520886 に収録されている貝美代子「書簡文の漢字」が最もこの話題に近いのだけれど、根本的な問題意識が全く異なっているので、お互いにうまく話が通じない感じの内容だった。
例えば、「みんなで翻刻」の対象資料にもなっている、東大地震研「安政二乙卯年十月二日大地震之事」の十月十六日のあたりのように、極力漢字を崩さないで書かれているところにおける「候」「之」「而」なんかの崩しっぷり(と小書きっぷり)は、これらの文字が「使用率上位の漢字」としてではなく〈候文に特徴的な、仮名に準ずる一種の記号〉として書かれているんじゃないかと思えてならない。



同じく id:karpa さんにお教えいただいていた矢田勉『国語文字・表記史の研究』isbn:9784762936029 第三章「候文の特質Ⅰ」の「六 候文における「候」字の機能」465頁には、「候」字が草書の《非常に崩された字形》で書かれたり更に《「ゝ」によるような表記さえ可能であった》ことについて、《「候」にはもはや語彙的意味はなく、したがって視覚上、漢字「候」が字形として明確に示される必要が全くといっていいほどなかった、ということなのである》と記されている。
やはり、〈仮名に準ずる一種の記号〉と言ってしまった方がスッキリするんじゃないだろうか。