日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

モリーオ市/盛岡市道高松二丁目13号線の旧称を知りたい

宮沢賢治『ポラーノの広場』冒頭で「植物園に拵え直す」と描かれた「モリーオ市の競馬場」は、ウェブサイト「宮澤賢治詩の世界」の記事「レオーノキューストが住んでいたあたり」の推理によると、盛岡市に実在した初代黄金競馬場が昭和7-8年に移転し二代目黄金競馬場がオープンしたという史実がモデルになっているのだという。
現在の高松二丁目30番地の東南角から31番地の北側を通って32番地の北西角に至る盛岡市道高松二丁目13号線は、その「旧旧盛岡競馬場跡」北東辺の痕跡にあたるようだ。
このあたり、国土地理院地図・空中写真閲覧サービスによると、昭和23年に撮影された米軍の航空写真(USA-R1424-77)や昭和40年の地理院写真(MTO652-C6-12)ではまだまだ田圃で、昭和44年の地理院写真(MTO692X-C11-8)から宅地化が始まっている。
初代黄金競馬場跡地が一面の田圃だった時期、盛岡市の住所は旧町名で運用されていた。
その頃、つまり一帯が「高松二丁目」になる以前、現在の盛岡市道「高松二丁目13号線」は、何という名の道路だったのだろう(道路法により、遅くとも昭和28年以後は名称が与えられているはずだ)。
昭和37年度以前の旧町名を知りたい場合は盛岡市管財課が問い合わせ窓口になるようだが、例えば道路課に市道の旧称を尋ねるとして、過去の道路台帳や認定路線網図というのは保存されているものなのだろうか。
道路の旧称に「モリーオ市の競馬場」らしさが記憶されていたりはしなかっただろうか。