日本語練習虫

旧はてなダイアリー「日本語練習中」〈http://d.hatena.ne.jp/uakira/〉のデータを引き継ぎ、書き足しています。

ケヶ指針が目指したもの

大きなケなのか小さなヶなのか判別に迷ふものがある。文字の専門家であるとは限らない、入力ボランティア、校正ボランティアにとって、できるだけ簡単な判別方法は無いものか。
己の記憶が確かならば、そこが“ケヶ指針”の出発点であり目的地で、「ケヶ个の活字見本」に類する見た目で大きさを判定する手がかりが無いといふ状況下で、「こ・か・がと読む」と判断がつけば「ヶ」だとする「区点番号5-17と5-86の使い分け指針」が誕生した。ケヶの使ひ分けと無縁な底本に対してとても有効に機能する解決策であり、己の記憶が確かならば、議論の過程で当時は己もこの指針を支持してゐる。
一方でこの指針は、先日「ケヶ个の何だらう」に記した通り、ケヶの使ひ分けが為されてゐるテキストに対して無力であること――無力でないとしても複雑かつ奇妙な注記を要すること*1――や、「「BBQのウマさマズさ」問題」に類する奔放なテキストにも対処できないことが指摘されてゐる。
また、「六ケ敷(六ヶ敷)」など古典籍に親しんでゐないと読めない類の語句への対処をどう考へるのか――日本国語大辞典で「むずかし・い(むつかし・い)」を見ても「難」「六借」の例示のみで「六ケ敷(六ヶ敷)」は無く、諸橋大漢和で「六」の項を見ても「六ケ敷(六ヶ敷)」は無く、『JIS漢字字典』2頁「ヶ」の項に用例があるわけでもない――といった、奔放テキストとは違った意味で「読めないテキスト」に対して無力だといふ問題もある。多くの用例がある「六ケ敷(六ヶ敷)」は、辞書に頼らなくとも直感や経験で「読める」かもしれない。けれども、本当に困難な難読用例に出会ふたび、どこからか救ひの神が現れて解決してくれるんだらうか。
繰り返すが、当時は己も現行ケヶ指針のそれなりに高い有用性を認め、支持してゐる。
けれども、現行ケヶ指針が万能ではないこと――時に有害であること――が様々に指摘される中で、現行ケヶ指針では対処できないテキストに効力を持つ代案が必要だと考へるに至った。そして漸く「ケヶ个の活字見本」といふ見た目で大きさを判別する手がかりの素案を提示できる段階になった。
全ての現行ケヶ指針支持者に問ひたい。
中央執行部の方針は常に正しい、「正しくない国語」による底本の存在それ自体を認めない、のだらうか。
そもそも現行ケヶ指針が標榜する国語的な正しさとかいふ話は、絶対的に正しいのか?*2
現行ケヶ指針は、《大きなケなのか小さなヶなのか判別に迷ふものがある。文字の専門家であるとは限らない、入力ボランティア、校正ボランティアにとって、できるだけ簡単な判別方法は無いものか。》といふ問題意識から生れた、「ひとつの解決案」ではなかったのか。そして「ひとつの解決案」に過ぎないのではないか。
「ケヶ个の活字見本」式*3の「見た目」を手がかりにする判別方法は「もうひとつの解決案」たり得ないか。検討の余地も無いか。
入力ボランティア、校正ボランティアのどちらも、素人さんには気軽に参加してもらはなくて結構、現行方針を支持するメンバーだけで充分数が足りている――といふ状態なのか。「読み」による対処と「見た目」による対処は共存できないのか。共存する必要がないのか。
現行ケヶ指針が機能しないテキストの存在も認め、現行ケヶ指針による対処は《大小の判定は困難だが「こ・か・がと読む」ことが明らかなもの》に限るなど、前進のための譲歩をしても良いのではないか。
――以上、「読み」式と「見た目」式のどちらにも長所と短所があるよと考へ、「正」か「反」かといふ選択肢に人を陥れがちな土俵で議論することを極力避けたいと思ひ、またできれば「合」を目指したいと願ひつつ外野席から議論を傍観してゐる一人の特殊工作員による、現時点の小規模な生活と意見。
ちなみに、青空文庫主催で芝野先生の講演会が開かれるといふことが、「読み」派が「折れてみせる」ための儀式なんだと想像してゐる己は、空気読めてない大馬鹿野郎ですか?

*1:例:《住居表示が「霞が関」であるところの官庁街にある地下鉄の駅は、看板の表記が「霞ヶ関」と小書き片仮名ケ(KATAKANA LETRER SMALL KE)である「ケ[※底本は、ケと読む文字(区点番号5-17)を、この箇所では小振りにつくっています。]」で記されていて、その駅の券売機で特別急行券を買うと「霞ヶ[※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。]関→成城学園前」といった片仮名ケ(KATAKANA LETTER KE)である「ケ」で印刷される。》

*2:部外者の感想と異なり、「読み」式を唱へる「区点番号5-17と5-86の使い分け指針」日本国語大辞典の記述を恣意的に読み替へてゐたり、ケヶを現行指針に拠らずに扱ってみて不都合があるのかどうか再考してみませんかと提案する「「ヶ」について」がJIS漢字の規格票に書かれた内容それ自体が何を言ってゐるか(「行間」に書いてあるらしいことを推理するのでなく)を考へることと同時に日本語における「ケヶ」に関する意見に広く耳を傾けようといふ謙虚な姿勢である点が、興味深い。

*3:ところで、邦文マンガ愛好者である己としては「ケヶ个の××」ば「けけけの××」と読んで欲しいんだども、正しい国語しか許容しない方々はさう読んでくれねぇんだべなぁ……。「ケヶ指針」っていふ語句も、「けけししん」ぢゃなくて「けこししん」「けかししん」「けがししん」のどれかであると一意に決定できたり「けこししん」「けかししん」「けがししん」が重なりあった状態で存在すると判断なさったりするんだべなぁ……。