日本語練習虫

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麻島昭一「戦時体制期の中島飛行機」中島飛行機『中島研究報告』

東北大学付属図書館の本館2号館に『経営史学』のバックナンバーがあると中島飛行機参考書リストを作った時に気づいてゐたんだども、新聞・雑誌や紀要を収蔵してゐる本館2号館は17時までしか開いてゐない。
久々に出かけた2号館で『経営史学』第二十巻第三号冒頭に掲載されてゐる麻島昭一「戦時体制期の中島飛行機」ば眺めてみたところ、戦後財閥解体された中島飛行機といふ企業体を経営史の眼で見てコンツェルンであると言へるかどうかを考察した論文であって、技術史の視点から何か得るところがあるとは見えなかった。
Wikipediaがなぜこれを参考文献に掲げたのかも、解らない。中島飛行機の歴史については『富士重工業三十年史』を参照せよといった記述があった。さう言へば前川正男『中島飛行機物語』も歴史についての記憶違ひがあり得るのを同書で補正するよう努めたといったことを書いてゐたので、『富士重工業三十年史』も読むべき参考文献さ加へる。
Webcatplusによると東北大学付属図書館は中島飛行機『中島研究報告』を所蔵する数少ない図書館のひとつでもあり、金属材料研究所の図書室にあると知ったので、戦前の印刷物であることに『飛翔体』愛好家としての昂奮を抑えきれず、早速出かけてみた。
とても久しぶりに北門食堂で食事したんだども、金研の建物に入るのは初めてだ。
昭和十四年の第四巻一号と二号に糸川英夫の名があり「横方向の安定及び操縦性」といふ飛行理論と飛行実験に関する考察がされてゐたんだども、「飛行機」の「機体」を扱ふものだった。結局、最終号であるらしい昭和十九年の九巻二号まで、「飛翔体」や「ジェットエンジン」等の語句は出現しない。
まあ、落ち着いて考へてみれば、機密研究の内容が公刊の研究書に記録されてるわけは無い。